第24話

 ――お風呂上がり、明日はどうしようか。

 なんて他愛もない話をしながら、自室へと戻ろうとしていた、まさにそのときでした。

 ゾッとするような気配に、全身の神経が逆立ったのは。


「ッ――クリス……っ!」


 青ざめたベティが、ボクの腕を掴む。

 ボクは、既に左腕のブレスレットに手を伸ばしていた。

 どこだ……? どこから、来る……!


「え……!?」


 意識は八方に分散させていた。

 気配はしても、敵がどこから来るか分からなかったからだ。

 でも、決して目を離していたわけじゃない。

 真っ正面から、目を離していたわけじゃないのに!


「――――――ァ!」


 月明かりだけが照らす闇の向こう、ボクらの真っ正面。

 頭蓋のない死体が、立っていた。

 錆び付いた剣を、右手に。


「下がって、ベティ!」


 これはアレだ。昼に見せて貰ったドラガオンの遺体だ。

 ドラコ・ストーカー首領ビルコ・ビバルディの遺体だと思わせるための偽物だ。


「ジャま、だ……!」

「おいおいおい、どこから声、出してるんだ! お前ッ!!」


 引き抜いた黒槍、錆び付いた剣を受け止めた刹那のにらみ合い。

 最中、頭のないドラガオンが喋ったんだ。

 声帯どころか喉も何もない、死体が。


「……ドけ。ネラいは、ベアとリくスだ!」


 地響きのようなうなり声。

 頭のない死体が紡ぐ言葉に、肝が冷える。


「ベアト、リクス……?」


 繰り出される剣戟、それを弾き防ぎながら、死体の紡ぐ言葉、その意味を考える。

 こいつの狙いは、ボクじゃなくてベティだ。

 けど、こいつはベティを、ベアトリクスと呼んだ!


「コロしてやる! コロしてやるぞ!」

「何を、ふざけたことを……!」


 受け止めた剣を、絡め取りながら、すねを蹴り飛ばす。

 激痛が走る急所のひとつ。でも、どうやら効果は薄いように見える。

 相手は”死体”だ。痛みで動きを止めたりはしない、か。


(さて、どうする……?)


 こっちは傷ひとつ負わされただけで終わり。

 あちらは破壊しない限り、止まることのない死体。

 最高に分の悪い戦いだ、これは。


「ッ、クリス……!」


 冷や汗が頬を伝っている。そんなことに気づいたときだ。

 真後ろから、声が聞こえた。ベティちゃんの声が。


「――そういうことか、分かった!」


 彼女の右手には、輝く魔術式が用意されている。

 その術式がなんなのか、見覚えのないボクじゃない。

 だから、分かる。ボクがどう戦えばいいのか。どうすれば勝てるのかが。


「仕掛ける――!」


 踏み込み、刺突を放つ。

 それは、錆び付いた刃で防がれるが、そんなことは予測の上だ。

 畳みかけるように槍を返し、追撃を放ちながら、先へ先へ。


「ッ――!」


 こちらに圧倒され、驚く顔が目に浮かぶようだ。顔はないけれど。

 そして、今度は胴体に蹴りを入れて、こちらの黒槍をもって”死体”を壁にくくりつけた!


「退いて、クリス――!」


 言われるがままに横に転がり、ベティのために道をあける。


「――ぶっ飛べ、マスターキー!」


 ドラガオンの死体、それに触れる寸前のところで発動する術式。

 それは、ベティの首もとにまで迫っていた刃ごと、全てを吹き飛ばした。

 そしてマスターキーによって引き起こされた爆音は、この屋敷自体を揺らす。


(マズいね、人が集まってくるぞ……)


 ドタバタと足音が聞こえて、領兵さんたちと、それを率いるように1人。

 あの人が現れる。フラウフリーデ・グリューネバルト殿下、その人が。


「これはいったい、何の騒ぎですか? クリス」

「死体です。ドラコ・ストーカー首領の遺体が、ベティを狙ってきたのです」


 ゴットハルト先輩に情報をもたらした張本人であり、同時に既にヘイズの手に落ちている人。

 いったいこの人は今、どういう状況に追い込まれているのでしょうか。


「死体が……? やはり、まだ終わっていないということですね」

「ええ、そういうことになるでしょうね。

 どうします、フラウ殿下? このことは内密に?」


 眼鏡越しに”群青色の瞳”を見つめる。

 血縁的には叔母と甥に当たるというのに、ゴットハルト先輩と本当にそっくりだ。


「そうですね、よろしくお願いします。とにかく2人とも、無事でよかった」


 この表情、とても嘘をついているようには思えない。

 きっと常時乗っ取られているという訳じゃないんだろうな。

 けど、だとしたら最悪の気分だろう。

 自分の意志が残ったまま、他人に操られるなんていうのは。


「いえ、これがボクの仕事ですからね。

 しかし殿下、これでドラコ・ストーカーに乗せられていることは間違いなくなった」

「はい、分かっています。慈悲の王冠奪還作戦に関わった者たちから子細を聞き出しましょう」


 ……白々しいことを、なんて怒りを向けるのは不当なのかな。

 それすらも今のボクには判断が付かない。


「聞き出しが終わったら、教えていただけますね?  殿下」

「ええ、もちろん。それと今回のことについて、教えていただけますか?」


 ――首のない死体が襲ってきたことに関して、か。

 簡潔にまとめてフラウ殿下に報告する。別に難しい話じゃない。

 首のない死体が、いつの間にか立っていて襲ってきた。それだけのことだ。


(ベティのことを、ベアトリクスと呼んでいたことは、伏せるかな)


 いったい敵が何を持って、そう判断しているのか分からない。

 けど、その可能性が皆無というわけでも、ないんだよね。


「クリス……?」


 どこか怯えた表情のベティ、その頭を撫でながら、ボクは少し安心する。


「帰ろう、ベティ。今日は、疲れた」

「うん、そうね。帰りましょう?」


 朝からずっと目まぐるしく状況が変わりすぎだ。

 偽りの凱旋から、どれほどの新しい情報がなだれ込んできたことか。

 けど、慈悲王様の生誕祭は明後日。まもなく明日になる。


(敵が、動くとしたら、生誕祭か……)


 ドラコ・ストーカーとしての目的も読めないままだ。

 この世界の北半分の領土を有する竜帝国ドラゴニア、その諜報機関が、どうして南の海岸線にあるグリューネバルトに仕掛けてくる?

 本国から最も遠い場所で戦争を起こすことに、何のメリットがあるっていうんだ?

 仮に勝利したところで、孤立した土地がひとつ生まれるだけなのに。


(……何にせよ、今のボクに出来ることを、やるしかないか)

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