第12話

 ――ボクとビルコの勝敗が決しようとした、まさにそのときだ。

 ベティと名乗る300年前の少女が弓を引いた。

 だから、魔術師ドルドはその静観を破り、魔法を仕掛けてきた。

 けど、そこに”仮面の男”が現れ、ドルドの魔術式を逆流させた。


「――構わん。今日は”王冠”を奪ったことで、良しとしよう」


 窮地に陥った部下、それを前にドラコ・ストーカー首領の決断は速かった。

 お得意の転移魔法を用い”慈悲の王冠”だけを奪い取ったのだ。


「ッ、野郎……!」


 体勢を立て直した仮面の男が、毒づく。

 そして、何かが動き出す音がガチリと鳴り響いた。


「フン、お前たちは、ここで焼け死ぬと良い。

 残念だよ、クリス・ウィングフィールド。君が欲しいのは、本気だったんだがね」


 床に展開していた魔術式は、とっくの昔に消え失せている。

 そして自らの背後に展開した魔術式の向こうへと、ビルコは消える。

 自らの部下、魔術師ドルドを愛しそうに抱え、消えていく。


「う、うわぁぁあああああ!」


 悲鳴が聞こえる。閉じこめられたということへの悲鳴が。

 そして、大理石で囲まれた部屋、ひんやりとしていた部屋の温度が上がる。

 床に、壁に、この”最奥”の全てに、真紅の魔術式が起動したのだ。


「これ、本気かよ……!」


 くそっ、こんなところで、ボクは死ぬのか? 冗談じゃない!


「た、助けてくれぇ!」


 観光客たちが扉に向けて走り出す。

 けど、こんな術式を仕掛けられているんだ――ほら、やっぱり開かない。

 扉に群がる人たちは、死に物狂いで、焼かれずとも圧死しそうな勢いだ。


(けれど、実際、どうする? あの人たちの方法ではダメだと分かる。

 でも、ここでの正解を知らないのは、ボクも同じだぞ……)


 温度は刻一刻と上がっている。発火点まで、あと何十秒あるだろうか。

 このまま、焼き殺されるのを待つことしかできない……?


『――うろたえるな! 群がるな! 扉から離れろ!』


 仮面の男が”支配”の魔法を発動する。

 そして扉に群がっていた人たちを退け、扉を閉じている魔術式に触れる。

 あの人、扉に仕掛けられた術式を、解除するつもりか!


「やれるだけ、やるしかない、な……!」


 扉を閉じている術式は、5つから6つの術式から形成された複合術式だ。

 今、その1つ目を解くのに掛かった時間が、約15秒。

 そして、温度はすでに、肌に痛い。……ダメだな、これは。間に合わない。

 あの術式を解除し切る前に、ボクらは消し炭だ。


「ハァ……」


 溜め息を吐く。そして、ふと、ベティと名乗った少女に視線を向ける。

 彼女は何か、知らないのだろうか。

 あの娘は、ここで、死ぬことに何も、感じていないのだろうか。


「ベティ!」

「……?」


 ――ボクの声に、少女の瞳が動く。黄金色の瞳、その美しさに、息を呑む。


「君は知らないのかい? あの扉を、開く方法!」

「……どうして?」

「死にたくないからだよ、君だってそうじゃないのかい?」


 あの娘、どうにもまだ目覚めきっていないように見える。

 意識が混濁しているのか、自分が命の危機にいることを理解していないんだ。


「……死にたく、ない……そうね、そうだったの、かしら――」


 ――ベティ・トリアルと名乗った300年前の少女。

 慈悲王が持つ無数の姿のひとつ、それに相応しい魔術師。

 彼女の瞳が、強く、輝き始める。


『――起きなさい』


 ドルドの掛け残した術式、深い眠りの中にいた戦士さんたちを、たった一言で叩き起こす。

 これは、あの仮面の人が使っていた”支配の魔法”と同じなのでしょうか?


「ねぇ、どこ? 私は、どこを開ければいい?」


 すらりとボクの前に移動してくるベティ。

 その瞳は、ボクの瞳だけを、捉えていて、まだどこかぼんやりとしている。


「そこだ。黒い男の人が、術式を解こうとしているだろ?」

「うん、分かった――」


 吸う息が、熱すぎて、もう終わりだ。そう思った。

 ベティと名乗る少女が、扉の前にたどり着くまでの猶予はない。

 たぶん、この舌打ちがボクの最期だ。そう、覚悟した。


「――退いて」


 けど、彼女の移動に時間は掛からなかった。

 いつの間にか、扉の前にいて仮面の人を退けたんだ。


『クリエイト<マスターキー>』


 右手に輝く魔術式――それを、大理石の扉に押しつけ、ベティは呟く。


「ばーん……っ!」


 子供らしい擬音、それが引き金だった。

 生み出された”マスターキー”それが発動するためのトリガーだった。


「な……っ!?」


 分厚い大理石で造られていた扉が、爆発を持って、打ち砕かれる。

 マスターキーなんて言うから、どんな術式さえも解く術式を用意するのかと思った。あるいは、この霊廟の中に眠った彼女だからこそ用意できる霊廟の全てを開く術式なのかと。

 けど、答えはもっと単純で”ぶっ壊した”んだ。どんな錠前でさえ吹っ飛ばすほどの火力を持った拳銃を”マスターキー”と呼ぶことがあるらしいけど、全くそれと同じ話だったんだ。


『よし、走れ! 逃げるんだ!』


 扉から離れろ、そう命令していた仮面の人が、もう一度支配の魔法を発動する。

 破壊された扉の向こう側へと逃げ出していく人々。

 扉の前にいた、ベティちゃんに、目もくれずに。


「……来ないの? 死にたく、ないんでしょ……?」


 振り返って、光を背に、ボクに手を伸ばすベティ。

 その姿はまるで”女神”のようで――ボクは忘れていた、呼吸をすることさえも。

 冷たい外気がなだれ込んできたから、息ができるようになっていることも、分かっていなかった。

 ……気温は僅かに下がった。でも、熱源が消えたわけじゃない。時間の問題だ。発火するまでは、時間の問題だ。


「――もちろん、行くよ」


 ”漆黒の槍”を拾い上げ、走り出す。

 そして、差し出された少女の手を握った。


「ありがとう、君のおかげだ。ベティ」

「……これくらい、別に、お礼されるようなことじゃない」

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