第3話

 ――トリシャ教授が懐から取り出した封筒。

 それがボクをグリューネバルト領へと導く”きっかけ”だった。


「旅行ですか……? それに教授の”名代”って大丈夫なんです? いろんな意味で。

 最悪の場合、命とか狙われたりするんじゃないんですか……?」


 破竹の勢いでアカデミアの教授会を駆け上っているのが、トリシャ・ブランテッドという女性だ。まず、そもそも”女”という時点で”教授”として異端。

 さらに彼女は”機械魔法科”という新領域を立ち上げてから、由緒だけはある”魔術史学科”の椅子にも座った。その意味は、重い。どうしようもなく。


「いいや、さすがにそこまではないだろう……たぶん」


 ここで言い淀むくらいには、トリシャ教授というのは危うい立ち位置にいる。

 それも当然だ。出世の速い人間は疎まれるし、男社会に食い込んできた女も疎まれるし、それが新領域を創ってから、歴史ある椅子に座った日にはもうフルコンボといったところだろう。

 ――”優秀すぎて疎まれる”の典型例がトリシャ・ブランテッドという人なんだ。

 アカデミアの教授なんかじゃなく王族・貴族のお抱え魔術師になっていた方が、よほど安全だったろうし稼げたはずの人なんだ。


「……まぁ、良いですよ。それで、教授の代わりに何をしろと?

 ボクに魔法の才能は有りませんよ。機械魔法も”使える”ってだけです。

 銃やバイクを”造る”には、絶望的に知識が足りません」

「ふふっ、そういう意味での”代わり”は求めていないよ。もっと簡単な話だ」


 封筒をクルリと裏返し、そこに刻まれた家紋を見せてくるトリシャ教授。

 海の波と、剣をモチーフに規則的に編まれたそれは、まるで魔術式のようにも見える。


「家紋……ですよね? それにしては、随分と魔術式っぽいですけど」

「ご明察。良い眼をしているな、クリス。これが家紋であること、そしてそれが魔術式に類似しているのを不審に思えること。1か月程度でよくそこまで仕上げた」

「……まぁ、正直なところ、何かの”結社”の紋章かとも悩みましたけどね」


 王族・貴族とは無関係なところにある結社ならば、魔術式をモチーフにすることもあり得ない話じゃありません。

 王国全てを股に掛ける”商会連合・ラウンドテーブル”くらいならともかく、小規模の組織なら、魔術式をモチーフにしたところで何の問題もない。

 ただ、王族・貴族となれば、話は別だ。

 彼らが、魔術式をモチーフにするのは一種のタブーなんだから。


「ああ、だが、これは確かに王国時代の初期から続く名門貴族の家紋だよ。

 なんとなくでもそれを感じ取れるだけで充分だ」


 ――教授の言葉に、ゾクリとした感覚が走るのが分かる。

 王国時代初期からの貴族が”魔術式”をモチーフにした家紋を組んでいるなんて、あり得ない話だ。少なくともボクが詰め込んだ常識ではそうなっている。


「王国時代初期っていったら、魔法排斥が最も叫ばれた時代ですよね?

 そんな当時から、魔術式を掲げた貴族って……何者なんですか?」


 ボクが食いついたことを確信し、ニヤリとした笑みを浮かべるトリシャ教授。


「このスカーレット王国の南、アトル海岸に領土を持つ”グリューネバルト家”さ。

 彼らは”当時の魔法王”から、そっくりそのまま”領土”を受け継いだんだ」


 ”魔法王”から領土を受け継いだ”貴族”か。

 ……そんな、そんな、あり得ない話があるだなんて。


「あり得るんですか? そんな話が……?」


 ――そもそも、この”スカーレット王国”というのが建国されたのは、今から約300年前のことだ。それよりも前の時代は、自らの国を持つほどに強力な魔法使いたちが乱立する戦乱の世だった。

 国を持つ魔術師――”魔法王”たちは”敵国の奴隷”はもちろん時には”自国民”さえ魔力へと変え、その命を使い潰していった。


「だって”魔法王”でしょう? あの虐殺者たちなんでしょう……?」


 魔法という技術がもたらした恩恵は大きい。

 今でも魔法という技術が廃れていないことからもそれはよく分かる。

 けれど、魔法王が跋扈した魔法時代というのは、確かに暗黒時代だった。

 自国民でさえも、その命を魔力へと変換する――そんな”魔法王”たちの勢力争いがもう2世代も続いていたら、この世界の人類は滅んでいたと言われているくらいに。

 だからこそ、魔法王たちを打ち倒した初代スカーレット王は英雄だし、彼の意思を継ぐ王族・貴族たちは”反魔術”なのだ。今ではだいぶ形骸化しているとは言えども。


「”魔法王”の乱立による滅びの危機と、そいつらを打ち倒した”初代スカーレット王”の伝説。まぁ、基本的には、クリスの勉強した通りって訳だね」


 そう言いながら、ボクの肩に触れる教授。その指先が、やけに艶めかしい。


「――だけどね、クリス。

 よく覚えておきな。物事にはいつだって”例外”が存在する」

「魔法王にも……?」


 ボクの問いに頷くトリシャ教授。


「もちろん。それが”慈悲王ベアトリクス”――アトル海岸を治めていた”唯一、自国民を殺さなかった魔法王”さ」


 慈悲王、ベアトリクス……自国民を殺さなかった、魔法王。

 なるほど、そういう魔法王も居たってこと、か。


「……それは分かりました。じゃあ、この封筒はいったい何なんです?」

「こいつかい? これは招待状さ、慈悲王様の生誕祭のね――」


 慈悲王様の生誕祭、その招待状――!


「行っていいんですか? ボクが」

「ああ、懇意にしてる学院生からもらったんだけどね。

 どうしてもその日は都合がつけられない」


 お手上げといったように両手を上げる教授。纏う風格に似合わず、お茶目な人だ。


「だからって、空席にしてしまうのも忍びないだろう? 

 それにクリスにとっても、興味深い題材だと信じていた。

 まぁ、夏休みの自由論文にでもしてくれたまえ。旅費くらいは用意する」


 ――魔法王の例外、唯一自国民を殺さなかった”慈悲王ベアトリクス”

 絶好の題材を教えてもらって、さらに旅費まで出してくれる。

 そうなれば、ボクに断る理由などなかった。

 どうせ、何の予定もなかった夏休み。有意義に使うには良い機会だ。


「その話、喜んでお受けしますよ、教授」

「よろしい。詳しいことはまた連絡する。そろそろ学院に戻らにゃならん。

 準備だけ整えておいてくれ。遠い場所への旅だ、少しは長くなるぞ」


 ――月並みな言葉だけど、この時のボクはまだ何も知らなかった。

 ぶらーっと遠くへ旅をして、トリシャ教授の代わりだなんて少し堅苦しく振る舞って、それで色々と取材して。

 それで終わりだと思っていました。それだけの旅だと、信じていたのです。

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