7-97 かくして、めざめて、九尾の狐


「中身が、サンドスター!? …って確か、保存施設の…キタキツネ、そこに行ったの?」

「うん、行ったよ?」


 まるで散歩に行っていたかのような言い草で、

 その瞳には一切の危険が映っていない。

 

「危ないよ! 黒いセルリアンがどこから出て来たか忘れたの?」

「確か…からだったっけ?」


「覚えてるじゃん! もし残ったセルリアンに襲われてたら……」

「…でもボク、襲われなかった」

「……」


 あくまで、悪いとは思ってないみたい。

 まあ、今ここにいる訳だし襲われなかったことは事実だろう。


「だとしても、待ってて…って言ったよね?」

「ちょっとは待ったし、赤ボスもここにいるよ」


 だから、言いつけは守ったって?

 滅茶苦茶だ、僕がどれだけキタキツネを心配して赤ボスを預けたのか、分からないのかな…


 どっと疲れが押し寄せてきた。

 体じゃなくて、心に重しが乗せられたような感覚だ。


 寒気に襲われて、汗まで吹き出してきた。

 

「ノリアキ、汗だくだね…」


 あはは、おかげさまでね。


 僕の気持ちに構うことなくキタキツネは抱きついて、胸元に思いっきり顔をうずめた。


「くんくん、すー、はー、はぁ、はぁ……! いい匂い…」

「え、ちょっと、そんな場合じゃないって…」


 キタキツネは止まらない。

 千切れそうなほどに振り回される尻尾にもその興奮具合はなく現れている。


 わわ、服の中にまで手が……



「お、お前たち、何を盛りあっているのですか!?」

「この状況で、なんという…!」


「ぼ、僕じゃなくてキタキツネが…はうっ!」

「ふへへ、ノリアキぃ…!」


 首にまで噛みつかれた。

 力が、抜ける……


 すると、体からイヅナが半分飛び出してキタキツネを突き放した。


「キタちゃん、今はダメ…早く離れて?」

「む……はーい」


 …助かった?


「コカムイ、お前…」

「…何だかんだ言って、お前にもあるのですね」


 ちょっとだけ…助かってないかも。




「ふふ…まぁ、場が和んだところで? このサンドスターはどうしましょう」

「博士、笑わないで…」


 傷は浅い…そのはず。

 例え博士に笑われても、気にしない…関係ない…うぅ…


「ああ…失礼したのです」

「ともかく、これは大きなチャンスです…使い方が重要ですよ」


『ただの体力回復じゃ、またすぐに元通りになっちゃう』


 その通り、それにキタキツネが持ってきてくれたんだ…無駄にはしない。


「じゃあ…僕たちが野生開放するとか」


「…可能なのですか?」


「分かんない…でも、これだけあれば…どうかな、イヅナ」


『できるよ…でも、いつまで持つかな、それに、言ったよね?』

…とか何とか?』



『多分別々には戻れるよ…だけど、何て言えばいいんだろう…分かる? 怖いの、この姿で野生開放するってことは、私たちの魂が限りなく同化することだから』


『…どういう理屈?』


『野生開放は、文字通り力を解き放つ…だから、私の力も強くなって、ほぼ一体化しちゃうの』


 …なるほど、理解できない理屈じゃない。

 でも、何が怖いんだろう…同化なんて、イヅナからすれば願ったり叶ったりだと思うけど。


『分かんない…でも、私は…が、を好きでいたいの…一緒じゃ、なくて』


『…大丈夫、戻れるんでしょ? ちょっとなら大丈夫。元々長く続けられるものでもないから』


『…うん、分かった』



「野生開放はできる…サンドスターのある限りね」


 その代わり、足りなくなったらどうしよう。

 限界まで戦って倒せなかったら、もう…


「そうですか…では、我々はサンドスターの補充に回りましょう」

「キタキツネ、まだあそこに残っているのでしょう?」


「うん…いっぱい」

「あ、そっか…」


 たとえ足りなくなっても持ってくればいいんだ。

 疲れてるな、肝心なことさえ思いつけなかった。


「ま、ただの役割分担なのです」

「その代わり、ちゃんと倒すのですよ」


「……任せて」




 博士たちは残りのサンドスターを取りに向かい、キタキツネは隠れて様子を見ている。


 そして僕とイヅナは切り開いた緑色の塊とにらめっこをしていた。


『イヅナ、どうすればいい?』

『集中して、この中身を全部食べちゃうイメージ』


 言われた通りにして、サンドスターを体に取り入れる。


 …不思議な気分だ。

 どこかの長閑な景色を見ているようで、心が安らぐ。


 動きの鈍った体に、活力が完璧に戻った。

 そして取り込んだ力を、すべて野生開放に使う。



 四方八方から現れた輝きが僕らを包み、2本の尻尾が9本へと数を増やした。


イヅナ、この尻尾は…

最強の妖怪…九尾。さあノリくん、あの化け物セルリアンを倒しましょう?




 これで、3回目かな。

 今度ばかりはセルリアンも本気になっている様子で、現れるや否や大きな波でお出迎えをしてくれた。


「もう、効かない…!」


 手を前にかざし、妖術で波を防ぐ。


 野生開放のおかげで、たった1つの新しい妖術を扱えるようになっている。


「ふふ…完璧ね」


 それは氷の妖術。

 目の前の物を凍らせ、生き物も化け物をも凍えさせ、死へと誘う術。


 野生開放の力を以てしても、目の前の僅かな空間を冷却する程度の出力しか出せない。


 でも、今の僕たちには、このセルリアンには、それで十分なんだ。


 だって、僕たちは2人だ。

 空も飛べて、縄も出せて、火も氷も使える。


 そして記憶を操る力イヅナだけの力で、サンドスターも自在に扱える。


 今この頭の中に、セルリアンを討伐する一連の筋書きが出来上がった。



 妖術で生み出した氷が、バラバラと散る。

 そしてその向こうに、セルリアンがいる。


「イヅナ…行こうか」

「うん、もう戦うの…飽きちゃった」


 9つの尾を潮風になびかせ、右手に周囲の、自分自身のサンドスターを


 集めてこねて形にして、氷を砕く最上の武器を用意しよう。


「…ハンマーなら、使いやすいかな?」

「じゃあ、ヒグマの形にしよっか」


 ヒグマが使う熊手のハンマー、正しくはとか何とか…まあいいや。

 使い方が変わることはないんだから。


 柔らかい輝きはゆっくりと、硬く鮮明にあの形をかたどる。

 柄を握って軽く一振り、虹色のハンマーのその先をセルリアンに突きつけた。


 声が、重なる。


「…



 一歩踏み出し、加速を付けて飛び込む。

 狙いはただ一点、奴の触手の付け根。


「さあ、凍れ!」


 手の平をかざして、私の持つ感触の侭、触手の付け根を氷漬けにする。


「……ァァァァ!」


 セルリアンは異物感にでも苛まれたのか、呻くように声を上げた。

 

 でも、大丈夫。

 その感覚も、から。


「砕くよ!」


 ハンマーに力を込め、振りかぶり重力に任せて氷へと叩きつけた。

 ピキピキとヒビが入り、広がって、粉々に散らばった。


 付け根の部分がそうなってしまえば、勿論その先の部分は…


 ビュンッ!


 制御を失った腕が行き着く先は海の中…ではなく。


 「キミは、あっちだよ!」


 森に向けて投げ飛ばした。

 ガサガサと枝葉が擦れる音が聞こえ、腕は木々の隙間へと姿を消した。


 セルリアンを取り込む力がある以上…海に放置していたらいつの間にかされかねない。

 もしかしたら無駄に高い耐久力も、一部の腕を取り込み回復したせいだったのかも。


 気づいた以上、もう放ってはおかない。


 さあ、その素敵な触手は…後何本残ってるのかな?




「コカムイ、サンドスターの到着なのです」


 やってきた補充の第一波は助手だった。

 空を飛び、サンドスターを入れた冷凍植物を抱えて持って来てくれた。


「ありがとう、今行くよ…てやっ!」


 丁度ピッタリなタイミングで一回り大きな触手を破壊。

 今度ばかりは投げにくそうだから、回復ついでに持って運ぼう。


「ふぅ…博士は?」

「時間をずらして、追々到着するでしょう」


 事前に話し合ったのだろうか、滞りなく助手は事実だけを告げて、再び保存施設に向かおうとする。


「待って…助手のもう1往復が必要かどうかは、様子を見て決めようよ」

「…そうですか、了解なのです」


 あっさりと引き止めに応じてくれた。

 説得に時間を使う余裕もないし、助手もそこを慮ってくれたんだろう。


「リフレッシュして、もう一回…!」



 …これで、38本くらいかな?

 

 いくら多いと言っても、流石に多すぎる、妙だ。


 取った触手は投げ飛ばしてるし、回復してるわけじゃないよね。


 そういえば、細い触手がやたらと増えたような気がする。



 ――なるほど、そういう訳か。

 私たちが1本ずつ撃破してるから、本数を増やして疲れさせようって手立てだね。


 だけど、僕たちには刀もある。

 細くなったとはつまり斬りやすくなったということ、どの道セルリアンに逃げ場はない。


「じゃあ、次はこっちの出番だね」


 うん、刀の方が軽くて振り回しやすい。

 ハンマーは威力こそあるけど重い、ヒグマはよくあんなモノを使いこなせるね。


「後悔しないでね、キミのせい…だからさ」


 だけど、斬った触手を陸に投げ飛ばすのが辛かったりする。

 それも助手に頼み事なきを得て、引き止めてよかったと心の底から思った。



 …ここで、1つの憂いが現実に近づいた。


「戦いの方は問題ないけど…不思議な感じ」

「本当に、一緒になっちゃったみたいでしょ?」


 僕たち2人の思考がごちゃ混ぜになって、どっちが私の考えなのか分からなくなってきた。


 こればかりはキタちゃんが見つけたサンドスターでも解決しないし、神依君に頼んでも…ダメそうだ。



「早く終わらせよう…思ったより負担が大きいよ」


 少ない触手をまとめて太くしたセルリアンは、怒りに震えている。

 もう触手は一本限り。


 今度こそとどめを刺すために、そう強く念じハンマーを握り直した。


「まずは…触手からもらうよ」


 僕たちの間を遮るものはなく接近は実に容易で、ついさっきまで苦戦していたのがまるで嘘のようだ。

 

 何なく目的の場所に辿り着き、最大出力で付け根を凍らせる。


「よーし、吹っ飛べッ!」


 景気づけにと一際強く叩いて砕き、支えを失くした触手は陸地に投げ捨てた。


 打ち上げられたその触手は、カラカラに乾いて溶岩へと

変化していく。

 案の定、黒い部分はゲル状のままだ。


「…ま、後でいいね」


 海に放り込んでおけば済む話だし、もっと危ないのが目の前にいるからね。



「とうとう、石だけになっちゃったね」


 触手をすべて奪われて、残すは石とそれを囲む体だけ。

 これでは、そこら辺にいるセルリアンと何ら変わりない。ただ一つ、海にいること以外は。


「その石、壊しちゃうよ!」


 でも石は大きい、逃げられないように一撃で、確実に仕留めよう。

 キンシコウの持つ如意棒をイメージし、虹色の形にする。


 そして…セルリアンの石と体のに突っ込む!

 

「よし…せーのっ!」


 挟まった如意棒に全体重をかけ、大きくしならせる。

 そのままの原理を使ってセルリアンと石を分離、遥か彼方の空へと打ち上げた。



「…とどめっ!」



 如意棒を投げ捨て、素早くハンマーに切り替え。

 狐火をハンマーに纏わせ、全力を以て地面へと叩きつけた。


「ど、どう……?」


 着地点には土煙が舞い上がり、狐火と一緒に青い霧を作り出している。


 やがて強い潮風がそれを薙ぎ払うと、砕けてバラバラになった赤い石がそこかしこに散らばっていた。


「セルリアンは……倒せた、みたいだね」


 海にはもう、あの化け物の姿はない。

 

 勝ったんだ…

 やっと海の化け物への恐怖から解放されて、これからはもっと穏やかに過ごせることだろう。




「ノリアキ、大丈夫…?」


 戦いを終え、9本の尻尾は元の2本に戻っている。

 サンドスター不足も勿論のこと、野生開放の副作用も怖かった。


「大丈夫、終わったよ…!」


「やりましたね……もう博士の出番が無いのは残念ですが」

「あ…あはは、そうだね」


 博士はまだセルリアンを倒したことを知らないだから、サンドスターも持ってくるはず。

 …まあ、体力回復用に有難く使わせてもらうとしよう。



「ところで、お前たちが使っていた妙なものは何ですか?」


って聞かれても、いくつか心当たりがあるんだけど…」


 氷の妖術にサンドスター製の武器に、他にも有り余るくらい浮かんできそう。


「ほら、虹色の武器ですよ」


「ああ、サンドスターで作った…」


「サンドスターで? まさかそれも…イヅナの力で?」


「うん、そうだけ……っ!?」



 視界の端に、黒い何かを捉えた。

 それは、キタキツネに向かって――


「キタキツネッ!」

「えっ…?」



 噛まれた。

 

 比喩でもなんでもなく、キタキツネを庇おうと差し出した左腕が、肘のすぐ下まで噛みつかれた。


 何が、僕を噛んだ?

 

「これ、って…」


 黒い、黒い、ドロドロ。

 あの石よりも、赤い石。


 小さな小さなセルリアンが、僕の左腕を貪っていた。


「うぅ…」 

「ノリアキ!?」


「ぐ、しぶといセルリアンなのです…!」


 痛くない…早くもそんな感覚は奪われた。

 ただただ、鈍く重く腕が落ちていくように感じるだけ。



『もう、ノリくんから離れてっ!』


「腕に付いてるせいで…当たんない…!」


 下手をすればすぐに自分へのダメージとなるこの状況。

 僕が強気に出られない今この瞬間も、セルリアンは輝きをじわじわと奪い去ってゆく。


「ノリアキ、ボクが…!」


 野生開放をしたキタキツネが、僕の左腕に光る赤い石を狙う。

 

「っ、当たってよ!」


 だけど石は腕の周りを自由自在に動き、キタキツネの爪はそれを捉えることができない。


「もう、サンドスター、が……ぁ…」

「ノリアキ!」


 野生開放での消費も相まって、いよいよ限界…だ。

 膝をついてしまい、もうフレンズの姿が維持できるかすら怪しい。


 それでもまだ辛うじて保っているのは、きっとイヅナがいるからだ。

 イヅナに頼って、僕はまだ意識を残している。



「博士、早くサンドスターを……!」


 助手の願う声が聞こえる。


「ノリアキ、ノリアキぃ……!」


 キタキツネの悲痛な声が聞こえる。


『ノリくん、私が…死なせないから!』


 イヅナの決意の声が響き渡る。


『……祝明』


 ポツンと聞こえた彼の声には、どんな感情が籠っているのだろう。

 分からない、それを聞く前に、こんなことになってしまった。




「この塊、案外重……ん?」


 上空からの影が、助手の体に掛かる。

 助手はそれに気づき、博士の姿を見つけた。


「…あ、博士! 早くサンドスターを!」

「な、何があったのですか? 海のセルリアンは?」


「博士、いいから早く!」

「そう言われても、何が何だか…」


 初めて目にする焦り様で捲し立てる2人に、博士はただ困惑するばかり。

 きっと緊急事態なのだなと理屈では理解したものの、体が追い付いていかない。


 それもそのはず、博士の考えではまだ海にセルリアンがいて、僕がそれと戦っていて、博士自身はそれの補助。


 だから静かな海も、膝をつく僕も、泣きわめくキタキツネも、博士の理解の範疇外だった。


「と、とにかく、急ぐのですね…!」



 だが、そんなことで行動を止めるほど博士は愚かでなかった。

 だからすぐに声に従い、地上に降り立った。


 しかし、焦る彼女たちの心情に気づけるほど博士は賢明でなかった。

 だからキタキツネの凶行に、反応できなかった。


「き、キタキツネ…?」

「早く、それを渡してよッ!」


 野生開放した姿で、『サンドスターを奪う』ただその一点のみを目的として、彼女は博士に襲い掛かる。


 それ以外の考え事は全て頭から吹き飛んでいた。


 だからだろう、キタキツネの爪は――

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