Chapter 007 外の世界への道標

7-85 海のセルリアン、再び


 その災いは、けたたましい波の音と共に現れた。

 島を取り囲む海を縦横無尽に泳ぎ回る怪物は多くのフレンズの不安を煽り、一人のフレンズの旅立ちを妨げた。


 過去に現れたのは一度きり。

 まさに水のように実体のない化け物が再び姿を現したその日、僕達はキリンに呼ばれ”みずべちほー”に足を運んでいた。



「…あ、来てくださいましたか師匠!」

「師匠…? って、ああ、確かそうだったね。今日はどうしたの、用を聞いてないんだけど」


「どうもこうも、私の成長した姿を師匠にお見せしたかったんですよ」

「でも、オオカミさんには見せないの?」

「先生にはつい先日お会いしました! その時に師匠がいなかったので、今日こうして呼んだんですよ」

「…そっか、悪いことしちゃったね」

「気にしないでください! 2回目だから、私も緊張せずにできます!」


 しかしなるほど、先にオオカミに見せていたんだ。

 ロッジに寄った時、やけに彼女が上機嫌だった理由が分かった。


 となると、キリンには期待して良さそうだ。


「し、師匠、そんな目で見られると流石に緊張してしまいます…」

「キリンさーん、そろそろ準備始めますよー!」

「はい、今行きます!」


 マーゲイに呼ばれ、キリンは奥の控え室に駆け足で向かっていった。


 そうして、その場には僕とイヅナだけが残された。


「…ノリくん、あの子にどんな目してたの?」

「ただの期待の目だけど…えっと、ダメだった?」

「…別に」


 そう言いつつも、イヅナは相当強い嫉妬を覚えている様子。

 表情は何一つ変わらず、いやむしろ無表情だからこそ余計に恐ろしい。キタキツネも来ていたら一体どうなったことか。


 キタキツネは僕に眠り薬を飲ませたことをイヅナに密告され、3日間ギンギツネの監視下に置かれている。

 それも確か今日で終わりのはずだ、タイミングが良いのか悪いのか。



「師匠、お待たせしました!」


 変わらぬ姿のキリン、その後ろからPPPのみんなが何かを持って現れた。

 そして、深呼吸をしながら不思議な構えをするキリンの正面に大きな丸い的を置いた。


「あのさ、何をするのかな?」

「ご覧の通り、これからこの的を壊します!」

「…え、探偵は? 声を変える修業は?」


 それを尋ねると、少し寂しそうな表情をしてキリンは答えた。


「私は気づきました。フレンズには特技というものがあると」

「つまり…無理だったんだね」

「だから、私は私自身の特技を伸ばすことにしたんです!」

「それが、これ?」


 まあ、キリンの言う通りかな。

 あの時は舞い上がってただけだろうし、こうして自分に合った道に進んでくれるならそれより良いことはない。


 …でも、まだ探偵の方は諦めていなさそうだ。


「まあ、とにかく見ててください!」


 大きく息を吐き、左の拳を硬く握りしめて目を閉じた。

 マーゲイやPPPのみんなも固唾を飲んでキリンを見守っている。


「……ハアッ!」


 キレのいい掛け声と共にキリンが的を貫いた――その瞬間。



 ザブーンッ!



「……?」


 外の方から、異様に大きい波音が聞こえた。


「何かあったんでしょうか?」

「かなり大きかったわよ、嫌な予感がするわ」


 自然の波とは一線を画すほど鈍重で、目に見えなくとも大きな質量を感じさせるその音に空気は一変し、未知への不安が足元に重く立ち込めた。


「…行ってみよう、イヅナ」

「師匠、私も行きます! セルリアンが出てきたらこの名探偵アミメキリンが退治しますよ!」

「分かった、頼りにしてるよ」

「はいっ!」


『…ノリくん』

『大丈夫、危ないことはしないから』

『そうじゃなくってー…』


「さっさと確認して、続きを見ないとね」

「ええ、私の邪魔をしたツケは払ってもらいましょう!」


「ノリくん!」

「うわわっ…」


 強く引っ張られた腕を撫でながら振り向くと、涙を流して無言の目線で訴えかけるイヅナの姿があった。


「分かってるって、後で、ね?」


 頭と耳を優しく撫でて、軽く抱き寄せた。


「…ずるいよ」

「あはは、ごめん」

「…いいけど」



 楽屋から出ると、水浸しになったステージの様子が目に飛び込んだ。水は海辺に近づくほど多くなっている。

 つまりは、海から沢山の水が飛んできたということだ。


「師匠、あれを!」

「あれは…! まさか、こんな姿だったとはね」


 キリンの指差す方向には、海上をスイスイと移動するセルリアンがいた。


「嘘、海の中に…?」

「もしや、前に博士が言っていた”海のセルリアン”という奴か?」

「本当にいたんですね…」

「と、とんでもなくデカいぞ…?」

「ここ、これは大事件ですよ!?」

「こ、こわい」


 後から現れたみんなも、奴の姿を見てそれぞれ感想を口にする。

 僕も初めて見たけど、随分と不気味なフォルムだと感じた。


 タコのような楕円形の頭に付いた目玉が周りを見渡し、先端が口になった太い腕が何本も胴体から生えている。

 今水面から出ているのは2本だけだが、海中にもその腕を潜ませていることだろう。


 深海がそのまま形を持って水面に浮き出てきたような、底知れなさを体現する青黒い体。なるほど、確かに海のセルリアンと呼ぶにふさわしい。


「赤ボス、”としょかん”に連絡をお願い、『海のセルリアンが出た』って伝えれば分かるはずだから」

「マカセテ」


「イヅナ、アイツに間違いないよね」

「うん、間違いない。アイツが船を壊したの」

「…それはイヅナだよね」

「…うん」


 どさくさに紛れ嘘をつくイヅナを戒める。流石のセルリアンも無実の罪を被せられたら堪ったものではないだろう。


「さて、博士たちが来るまで待つべきなのかな」

「下手に刺激して襲ってきたら大変なのでは…?」


 それについてはジェーンの言う通り、勝算が薄い戦いを仕掛けるべきではない。隠れて1、2枚ほど写真に収めるくらいが丁度いいのかな。


『逆に、ここで逃せばまたしばらく現れない可能性もあるぞ』

『この島を離れる可能性も、ね』


 今はサンドスターのある範囲のお陰かこの島の近くで活動しているみたいだけど、外にある人の街に行ったら何が起こるか…


「でも、今は様子見かな」


 今、セルリアンは岸から遠くの沖にいる。

 互いに手出しができない状況だし、今になって浮かんできた理由も知りたいから文字通りしばらく泳がせておこう。




「ん…あれは…?」


 観察を続けていると、海ではなく陸に不思議なものを見た。

 海沿いに普通…というかよく見る形のセルリアンが4、5体ほど集まっていた。


「水が嫌いなはずなのに、珍しいね」

「海のアレと関係があるのか?」


 しかし、真に驚くべき出来事がその直後に起こった。


 ザブンッ!


「え、飛び込んだ!?」


 どぶから大蛇が出てきたような光景だった。

 ”セルリアンが”、、『海に』飛び込むだなんて。


 飛び込んたセルリアンたちは何処かへ泳ごうとしていたが案の定すぐに固まって身動きが取れなくなり、半分溶岩化したような体のままブクブクと沈んでしまった。


「絶対、普通じゃないよ!?」

「イヅナも、理由は分からない?」

「だって私、セルリアンなんて”作れる”ことくらいしか…」


 明らかに何かが起きている。さっきの光景も、どこか違和感があった。

 飛び込んだセルリアンたちが、何かに引っ張られていたような…



 バサッ!


「あれが、噂の”海のセルリアン”とやらですか」

「我々も初めて見ますが、確かに脅威ですね」


 博士と助手が、おおよそ彼女たちにふさわしくない大きな羽音を立てて現れた。


「博士、来てくれたんだ!」

「勿論、呼ばれたら来るのです」

「奴の姿を確認出来て、少しは急いだ甲斐がありました」

「博士! …2人が来てくれて頼もしいわ」


 2人に気づいて、離れて海を見ていたみんなもこちらに駆け寄ってきた。


「我々に任せるのです、この島の長なので」

「しっかり解決してやるですよ、この島の長なので」


 セルリアンの出現からずっと重苦しいままだった空気も、博士たちの登場によって和らいだ気がする。

 長の力は偉大だな。


「…では、奴への対処を考えましょう」

「幸いにも、海と空で行動できるフレンズが揃っているのです、可能なら撃破してしまいたいところですがね」


 PPPが海で、フクロウとキツネ合わせて4人が空で活動できる。合わせて9人、それなりのセルリアンを撃退するには困らない人数だ。


 問題は、あのセルリアンがほぼ間違いなくの域を超えた強さであるということだけど。


「でも、見えない部分に何があるか分かりませんよ?」

「ふむ…どちらにせよ退治するなら、もう少し陸地に近づいてもらわねばなりませんね」


「あ、でも…」

「他に何か?」

「…いや、後で話すよ」


 セルリアンの集団入水については関係があるって決まったわけじゃないし、余計な情報を渡す必要もないだろう。


「そうですか、なら早く方針を決めましょう」

「それなんだけど、倒すにしても海じゃなくて陸地で戦いたいんだ」

「…と、言うと?」


「確かにPPPのみんななら海でも戦えるかもしれないけど、まだそうするにはアイツのことを知らなすぎると思う。海の中でやられたら助けに行くのも難しいから、まず僕達が戦いやすい場所におびき寄せよう」


「師匠に賛成です! 海の上で戦ったら私の出番がありません!」

「あはは…」


 キリンの強い後押しもあって、そのまま僕の言った戦法を取ることに決定してしまった。



 そして戦いを始める前に、こっそりイヅナと話をした。


「それで、なんだけどさ…どうにかして、アイツの腕を陸に引っ張れないかな?」

「陸に…?」


「うん、確かめたいことがあってね」

「…分かった、私の妖術で何とかするよ!」

「あはは、ありがとう」


 そんなこんなで、セルリアン撃退作戦の幕が開いた。



「大きな音を立てれば来てくれるかしら」

「では、私が!」


 マーゲイが名乗りを上げ、早速大きく息を吸い込んで準備を始める。


「我々は少し離れていましょう」

「耳も塞いでおくべきなのです」


 言われた通り耳を塞ごうと腕を上げ始めたその瞬間、マーゲイの咆哮が響き渡った。


「アアァァァァァ!!」


「うわわわ!? 高い…!」

「これは、トキの声真似でしょうか…」

「うう、少し頭が痛いのです…」


 トキの声ってとんでもなく高いんだね…

 耳を塞ぐのが間に合わなかった僕は勿論、備えていた博士たちもその声に頭を痛めている。


「…?」


 しかし効果はてきめん、セルリアンは無事こちらの存在に気づきゆっくりとその巨体をくねらせこちらに泳いでくる。


「来たのです…!」

「よし、僕がアイツの気を引くよ」

「ノリくん、気を付けて…」


 攻撃を避けるため空中に飛び上がって、遠巻きにセルリアンの様子を観察する。セルリアンは目をこちらに向けてはいるが攻撃することはない。


「もしかしたら、マーゲイさんを狙ってるのかもしれない」


 おびき寄せるための声を出したのはマーゲイだ。セルリアンが声の主を聞き分けられるなら彼女を狙うのもおかしい話ではない。


「もうちょっと、離れておきます…」


「ほら、こっちだよ」


 パチパチと手を叩いて誘導を試みた。

 するとセルリアンは案外単純なもので、この程度の物音も聞き逃さずこちらに注意を向けてくれた。これもフレンズを狩るための注意深さ…なのかな。


 セルリアンは元々出していた1本の腕の先を向け、うねりながら僕を捕まえようとする。


「っ、危ない…っと」


 大きな動きで撹乱し、一度も掠ることなく無事に注意を僕一人に引き付けることに成功した。

 そのまま岸に足を付け、息をついて一歩下がった。


「とはいえ、少し遠いね」


 セルリアンは陸地を警戒しているのか距離を取って僕達の様子をうかがっている。この距離では互いに攻撃が届かないだろう。


「もう一押し、必要かな」

「ですが、奴が警戒しているならこれ以上近づくとは思えないのです」

「だから…イヅナ、いける?」

「準備できてるよ、アイツが腕を伸ばしたら絶対に逃がさないから!」


 意気も十分みたいだ。


「じゃあ、もう一度だね」

「師匠、お気を付けて!」


 再び距離を詰めて攻撃を待つ。

 相手も突然の接近を多少なりとも訝しんでいるようですぐに攻撃はしてこない。


「そんな知能があるとはね…」


 なら、僕の方が先手を打つべきだろう。

 腕を伸ばさせることが目的だから、攻撃には飛び道具を使うのが一番だ。


「何か良いものは…」


 極端な話、刀を投げる攻撃が一番大きいダメージを期待できる。でも戻ってこない可能性が高いからリスキーなことはしたくない。


「…石ころ」


 陸地の方にいくつか転がっているそれを使いたい。だけど今更取りに戻るのもどうかと思う。

 …だったら、陸にいるフレンズに投げさせよう。


「キリン、1つ頼んでいい?」

「はい、何でしょう?」

「あのセルリアンに石を投げてくれる? なるべく思いっきりね」

「…分かりました!」


 キリンは特に力が強いらしいから、うってつけの役回りだ。


「とりゃあ!」


 ありったけの力で投げられたであろう石ころは、綺麗な直線の軌跡を描いてセルリアンの体に食い込んだ。するとセルリアンは反射的に反撃を始めた。真っ先に標的になるのは一番近くにいた僕だ。

 それをかわしながらじわじわと距離を開け、岸の近くに誘い込んでいく。



 隙をついてイヅナを確認すると、目が合ってウィンクされた。どうやら問題ないみたいだ。


 次の瞬間、痺れを切らしたセルリアンが一直線に腕を突き出し僕を捕らえようとした。


「イヅナッ!」

「任せて、捕まえるのは私だよ!」


 イヅナの手の先から七色に光る太い縄が伸び、突き出されたセルリアンの腕にグルグル巻き付いて縛り上げてしまった。


「ほら、こっちにおいで…!」


 陸に上げようと引っ張ると、抵抗してセルリアンも海へと引っ張ろうとする。


「私たちも手伝いましょう!」


 PPPの5人もイヅナに加勢して、1対6の綱引きが始まった。優勢なのはイヅナたちで、ピンと伸びたセルリアンの腕が陸地に打ち上げられている。


「…よし、斬ってやる」


 刀を抜き、上から狙いを定めた。

 滑空するように素早く降下し、一回転して叩き斬った。


 刀の長さが足りず斬れない部分もあったが、腕は十分にダメージを受けた。

 さらにイヅナたちとセルリアン自身の両方から引っ張られているため、腕はその力に耐え切れずに千切れて弾け飛んだ。


「うわあっ!」


 力の行き所を失くしたイヅナたちは揃ってしりもちをつき、セルリアンも後ろに大きく仰け反った。


 セルリアンは突然腕が無くなったことに驚いたのか、見たこともない速さで海の中へと消えた。



「…行ってしまいましたね」

「でも、僕達にも十分戦えることが分かった、大きな収穫だよ」


 得体の知れない恐怖も、その本質に気づけばなんてことはない。”幽霊の正体見たり枯れ尾花”と言うようにね。


「イヅナ、大活躍だったね」

「えへへ、ありがとう」


「師匠、私はどうなんですか!?」

「キリンも、キレのある投げ方で良かったよ」

「お役に立てて光栄です!」


「ところで、あの”腕”はどうする?」

「アレですか? …おや」


 千切れ飛んだ腕を確かめると、腕に何かが起きている。

 虹色の粒子が腕の周りに漂って、腕自身は段々と黒く、真っ黒に変色している。


「これって…」


 やがて、それは”溶岩”に変わってしまった。


「なんででしょう?」

「へえ、不思議なこともあるのね」


「…いや」


 そんな言葉で片づけて良い訳がない。必ず理由があるはずだ。


 セルリアン、海水、溶岩、適応、進化――



「…まさか」

「何か分かったのですか?」


「もしかしたら、あいつは海でしか生きられないんじゃないかな」


 そう、まるで歯を失くした鳥のように。


 空を飛べなくなったペンギンのように。


 海に適応したセルリアンは、陸で生きる力を失った。













「ところで、我々を呼んだ意味はあったのですか?」

「…多分」

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