6-81 奥の手の名は狐火


 平原を2人で歩くこと数十分、陽は沈み切り、日光に隠れていた月が顔を見せた。


 雲のない空にはまばらに星が光りだし、薄暗い地上で姿を見失わないようにと、キタキツネは腕を絡ませてきた。

 

 開けた土地に吹き通る風が耳を揺らし、仄かな月光は彼女の毛並みを鮮やかに照らし出す。


 そんな長閑な情景を楽しみつつも、何か言い表せない悪い予感がする。……複雑な思いは、僕が何処に行ってもついて回るようだ。



「もう、真っ暗だね」


 一度暗くなり始めると、真っ暗になるまでの時間はそう長くない。

 何か悪いもの――セルリアン以外思いつかないが――でも草むらから飛び出してきそう。

 生憎、そいつらをゲットできるような道具は持ち合わせていないのだ。


「そろそろ、飛んでいく?」

「そうする、ちょっと怖いよ」


 そう言いながらキタキツネは腕の力を強め、更にガッチリと僕にくっついた。……あざとい。


 飛び立つ前に、狐火を走らせて周りの様子を見た。なるべく遠くに出したけど、突然現れた明かりにキタキツネは大層驚いていた。

 彼女を落ち着けながらじっくり見ると、ライオンの城らしき影に気づいた。



 ――そしてそれは、僕が「相当歩いたんだな」などと考えながらキタキツネを抱え上げようとした矢先の出来事であった。


 ……轟音。


 直後、微かに耳に届いた枝葉の擦れる音から察するに、それは木が倒れた音だった。遠くで細々と砂煙が上がった、間違いなくあそこが現場だ。

 

 現場はかなり遠い。そこで起きた音がここまで響いたのはつまり、そういうことだ。


「……どうしよう」


 何が起きたのか確かめたい。だけど恐らく危険だ、キタキツネを危ない目には遭わせたくない。


「行こう、ノリアキ」

「行くって、あの音の場所に?」


 キタキツネはコクリと首を縦に振った。


「でも、危ないんじゃ……」

「その時は、”刀”の出番だよ」

「……あはは、そうだね」


 誰かが危険なことに巻き込まれているなら見過ごすわけにはいかないし、セルリアンが関わっている可能性もある。

 慎重にならないとだけど、現場までは全速力だ。素早くキタキツネを抱え、フルスロットルで飛んで行った。



 その先で目にしたのは、無残になぎ倒された幾つもの木と、その周りで交戦するフレンズとセルリアンの姿だった。

 セルリアンはさておき、フレンズの方はそれなりに緊張しながら戦っている。命が懸かっているのだから当然だ。


 しかし、彼女たちの目に焦りや驚きの色はない。


 彼女たちにとってセルリアンの出没はさほど特別なことではなく、今夜は””……ということになるんだろう。


 僕はセルリアンを攻撃する群れの中によく知るフレンズを見つけた。



「……ヘラジカ?」


 ボソッと零れ落ちた言葉だが、向こうはしっかり拾ってくれた。


「ん? おお、コカムイじゃないか! こんな夜中にどうしたんだ?」

「いや、大きな音がしたから気になってね」

「ああ、この木か。すまない、私の攻撃で倒れてしまってな、ハハハ!」


 ヘラジカは辺りに転がる木を見回して、豪胆に笑った。


 ゆっくりとヘラジカの近くに降りて、キタキツネも地面に降ろした。


「セルリアン退治、手伝うよ」

「いいのか? ……分かった、恩に着るぞ!」


 息を整え、刀を抜いて両手に構えた。


「む、それは何だ?」

「刀だよ、屋敷から持ってきたんだ」


「それは構わないが、使えるのか?」

「……大丈夫!」


 夜闇の中に青い凶星がいくつも浮かび、場に緊張が走る。尤も、セルリアンは本能に従って襲い掛かるだけなのだが。



「ねぇ、ボクはどうすればいいの?」

「キタキツネは隠れてて、すぐに片付けるから」

「き、気を付けてね……?」


 さっきまでは元気だったのに、キタキツネは途端に勢いを失くしている。やっぱり実際にセルリアンを目の当たりにすると怖いのかな。


 それとも……?


 何はともあれ、そうこうしているうちに近くのセルリアンを撃退していたカメレオンやハシビロコウなどがヘラジカの近くに戻ってきた。



「よし、集まったな。全員、もう一度突撃だ!」


『おー!』



 ヘラジカの号令で一斉にセルリアンの群れの中に突っ込んでいく。


「はあっ!」


 掛け声と共に刀を振り抜く。

 鋭い刀は弧の軌道を描き、セルリアンの柔らかい部分を無情にも切り捨てる。


 切り離された部位は宙を舞い、サラサラと輝きを零しながら解けて消えてしまった。


「す、すごい切れ味」

『周りの奴に当てるなよ?』

「……気を付けるよ」


 セルリアンの体はまるで”切れる水”のようで、どれだけ切り裂いても刃こぼれはしない。

 余りの手応えの無さに、刀を振りすぎないかヒヤヒヤさせられる程だ。


 しかし刀と言えども”石”を壊すことはできないようで、石に当たるたびに高い金属音を立てて刀が弾かれる。


 この時ばかりは、刀が傷ついてしまわないか心配になる。



「それなら……!」


 刀を鞘に戻して、セルリアンの石に叩きつけた。鞘が飛ぶと悪いから両手で叩くことになるけど、石を砕くならこれが確実だ。


「おお、やるな!」

「ふぅ、後何体?」


「お陰で、あと2体だ」


 なら、もうすぐ終わりだ。残りは任せて、キタキツネの様子を見に行こう。


 見ると、キタキツネは木の陰で縮こまって僕の様子を見ている。何だか不憫に思えて迎えに行こうとしたその時――



「ッ……キタキツネ、後ろ!」

「え? ……うわあっ!」

「く、間に合って!」


 地面スレスレを飛んで、横向きにキタキツネを連れ去った。

 さっきまで彼女がいた場所には、大きなセルリアンの腕が重々しく叩きつけられていた。


「危なかった……」

「ありがとう、ノリアキ、その、また……」


 震える彼女を慰めて、ヘラジカの近くの木の陰に隠れ、手招きをした。


「ん? 何か――」

「シーッ!」


 僕の仕草を理解してくれたのか、みんな静かにこっちに来てくれた。

 小声でハシビロコウが尋ねる。


「何があったの?」

「あそこ、セルリアンだよ」


 セルリアンがいる方を指さすと、ヘラジカが反射的に体を動かした。慌てて引き止め、状況を説明した。


「駄目、アイツは大きい。作戦を立てなきゃ……ほら、隠れて」



 大きなセルリアンはヘラジカが倒した木の辺り、開けた空間にいる。

 あの大きさだと林の中で活動するのは厳しいから、しばらくはあの場に留まってくれるはずだ。

 

 焦らずに作戦を立て、確実に討伐しよう。


「作戦か……私はよく分からん。任せていいか?」

「分かった、まずアイツの石の場所が知りたいな……」


 自分で飛んで行こうかと思っていたけど、カメレオンが手を挙げてくれた。


「では、拙者が見てくるでござる」

「大丈夫?」

「もちろん! こういうのは忍びの役目でござるよ」


 次の瞬間カメレオンの姿が消え、僅かに草が揺れるのを感じた。揺れたと言っても、そよ風が吹いた時のような小さい揺れだったけど。


「流石、って言うべきかな」



 セルリアンについては彼女の情報を待つとして、どうやってなるべく安全に倒そうか。

 ここしばらく遭遇していないせいか、奴らの習性について綺麗さっぱり忘れてしまった。


「何か、セルリアンの気を引く方法って知ってる?」

「例えば、音を立てるとか、かな?」

「音……ね」


 フレンズが立てればその子が危険に晒されるし、石を投げたとしても奴の注意を引くほどの大きい音は出せないだろう。


「他に何か手があればいいけど」

「ならば、火を使うのはどうだ? 前の戦いでかばんが使っていたと聞いたのだが」

「火って言えば……ノリアキ?」

「やっぱり、そうなる?」


 狐火を使えば多分上手くいく筈。戦い方は、刀で地道に相手の体をそぎ落とすのが無難だろうか。



「セルリアンの石、見てきたでござるよ!」


「ありがとう、どこにあった?」

「ここから見て背中の方向で、かなり大きかったでござる」


「地面から狙える高さ?」

「ええ、その通りでござる、それと、腕が4本も生えていたでござるな」



 よし……これで作戦は決まった。


 狐火で誘導しながら刀で腕を切り落とす。力を削ぎながら頃合いを見て、石を攻撃して倒してしまおう。

 

 空を飛べば気付かれずに近づけるし、みんな火を使うのは恐いだろう。となると僕がやるしかないようだ。


「じゃあヘラジカ、僕が合図をしたら手伝ってね」

「分かった、気を付けるんだぞ!」

「了解、ヘラジカこそ、勢い余って飛び出さないでね?」



 いよいよ作戦開始だ。


 まずはこの位置から狐火を向こう側に出現させる。

 力が届くか多少不安はあったけど、特に問題なかった。


 予想通りセルリアンは狐火の明かりにおびき寄せられ、狐火を取り込もうと乱暴に腕を振り回している。

 お陰で更に木が倒され、セルリアンのいる空間がもっと広くなった。


「じゃ、行ってくるね」


 音を立てないように空を飛びつつ、木の陰に隠れて様子を見る。


 セルリアンの粗雑な攻撃は意外にも功を奏し、開けた視界のために簡単に近づけなくなっている。


「腕は石の近くに3本、逆側に1本……」


 弱点を守るために戦力をある程度集中させている。



 と、いうことはつまり――


「狙い目は1本の方だね、まず確実に斬らないと」


 一振りの刀を両手で持つ。一撃に力を込めて、間違いがないようにしなければ。


 そして位置の調整をする。気付かれないよう慎重に、セルリアンの近くの木に身を隠し、タイミングを見計らう。


「こう、かな?」


 これ見よがしに狐火をちらつかせ、狙いの腕が僕の近くに来るように試行錯誤。

 数回の移動と合わせて、突進と同時の一閃で斬り捨てられるようにした。



「ふぅ……」


 大きく息を吸って、吐いて。


 構えた刀が月光を跳ね返し、風が止み一瞬の無音が訪れた。


「――ハァッ!」


 気が付くと既にセルリアンの腕は斬り飛ばされ、自分はセルリアンの向こう側の芝生に足を付けていた。


「……!?」


 刹那の間に斬撃を受けたセルリアンは、当然何が起こったのか理解できていない。


 しかし攻撃されたことだけは本能で感じ取ったようで、狐火を追っていた腕を四方八方へと振りかざし、邪魔な倒木だけを増やした。



「後3本、どうしたものかな」


 ここまでやったら後はでどうにかなるだろうか。


「……野生開放」


 フワッと体が軽くなると同時に、サンドスターが体から抜けていくような感覚を覚えた。

 これも、間隔が空いたせいなのかな。


「まあ、いいや」


 どちらにせよ、セルリアンを倒すことには変わりない。



「……ッ!」



 木の幹を足場にして蹴っ飛ばし、一気に加速して腕を斬りつけた。ついでに胴体にも一閃を食らわせて、セルリアンの体に大きな裂傷を作った。


 そして方向転換。


 勢いのままに今度は別の木を足場に飛び出した。開けた空間の真ん中にいるセルリアンは、全方位からやってくる斬撃を防ぐことができない。


 2本、腕を斬り落とし、哀れなセルリアンは一本の腕と弱点の石を残すのみだ。体はその殆どを削ぎ落された惨めな姿である。


「最後の1本、もらうよ!」





 ――窮鼠猫を嚙む、という言葉がある。




 死にかけのセルリアンも文字通り死力を尽くして抵抗した。

 僅かに身を捩った、その程度の動きだった。


 だけどそのお陰で刀は石に当たり、硬い石は刀を跳ね返した。


「……あッ!」


 慌ててもう片方の刀を手に取ろうとする。


 しかし、既に眼前に迫る最後の腕。


 反射的に目を閉じ、腕を出し抵抗にならない抵抗を試みた。



「…………?」


 僕は、攻撃を受けていない。

 不思議に思い目を開けると、目の前に広がる光景に驚いた。


「キタキツネ……!?」



 地面に転がるセルリアンの腕、既に砕けた石。

 月光を浴び、静かに佇むキタキツネ


「ノリアキ……」


 ゆらり、視線が僕の目を射止め、彼女は座り込む僕に縋りついた。


「大丈夫? ケガしてない……!? ノリアキ、ノリアキがケガしちゃったらボク……! ねぇ、死んじゃったりしないよね? もうセルリアンは倒したよ、ノリアキ、もう大丈夫、大丈夫だよね……? 嫌だ、もう危ないことしないで、ね? ゆきやまにいようよ、ずっと、ずっと一緒にゲームだけして、ねぇ、ノリアキ……! だって、外に出なくてもいいもん、危ない目に遭って、ボクが勝手に出掛けちゃったから、こんなところで、ごめんなさい、ごめんなさいぃ……!」


「ッ……」


 泣きじゃくって、今この瞬間すら僕がいなくならないように爪を立て離すまいとしがみ付く。


「今度は、僕が助けられちゃったね」

「……うぇ?」


「ありがと、キタキツネ」

「う、うぅ……!」



 今は、こんな言葉しか掛けられない。

 自分が恨めしくなり、目を逸らして空を見上げた。



 木の葉に隠れて、月は見えなかった。

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