5-65 吹雪と共におやすみなさい
図書館で起きた『セルリアンの大量発生』から数日、図書館やロッジを度々行き来してはしゃぎ回った僕たちは一度雪山の宿に顔を出すことにした。
ギンギツネは「昨日も来たじゃない」と苦笑いを浮かべていたが、ようやく紅茶を淹れる練習が終わった、と言って紅茶を振舞ってくれることになった。
イヅナは紅茶と聞いて複雑そうな顔をしていたけれど。
そういった経緯で、僕はゆっくり座って外の様子を眺めていたのだ。
そこにキタキツネがやってくるところから今日の話は始まる。
「これじゃ、外には出られないね」
「風が寒いな……」
そう言いながらキタキツネが僕に寄り添う。
今日は激しい吹雪が吹いている。
雪山育ちのキタキツネが「寒い」と言うほどだから、滅多にない規模の吹雪なんだろう。
宿の屋根が吹き飛んでしまわないか心配だ。
「キタちゃん、寒いからって抜け駆けはずるいよ!」
イヅナはキタキツネのいない方向から同じように寄り添い、腕を絡めた。
両隣に誰かがいると、外の吹雪など文字通り”どこ吹く風”と眺めていられるくらい暖かい。しかも二人ともモフモフのキツネだからより一層暖かく感じる。
イヅナはこの状態をいいことに尻尾を僕の体にこすり付けている。
後からそれに気づいたキタキツネが対抗してきたことも、もはや言うまでもないのだろう。
「そうは言っても、こうベッタリとされると暑くなっちゃうよ……」
「ふふ、だったら無理やり振りほどけばいいじゃん」
僕が出来ないことを知っていて、イヅナはこんな物言いをする。
予想通り一切動けない僕を見て、とても満足そうにしている。
「……やっぱりノリくんは優しいね」
言葉を紡ぎながらイヅナは姿勢を変えて、僕を抱きしめようと腕を広げた。
「……何してるの」
当然、キタキツネが放っておくはずもなく、声を掛けられたイヅナはその場でピタッと止まり、二人は一言も発さずににらみ合いを始めた。
「キタちゃん、邪魔するの?」
「『抜け駆けはずるい』って言ったのはイヅナちゃんだよ」
おもむろに二人とも立ち上がって向かい合うと、今にも激しい争いが始まりそうな雰囲気が辺りに立ち込めた。
……まあ何にせよ、二人が離れてくれたおかげで動きやすくなった。
しばらく様子を見ていても状況は変わりそうになく、僕はその場を離れて適当に歩き回ることにした。
赤ボスもあの場所にいるのは辛かったのか、僕が動き出すと同時にピョコピョコと飛び跳ねながら後ろについてきた。
適当に歩き回ると言っても、一応目的はあった。
研究所でキタキツネに渡した鞄、その中には薬箱などが入っている。
ただそれだけのはずだが、キタキツネは何故かずっとその鞄を開けさせようとしなかった。
もしや、中身を見られたくない理由でもあるのだろうか。
そうは言っても、あの場で渡してから特に妙なものを入れる隙もなかったし、一度見ても罰は当たらないだろう……多分。
「……あった、これで間違いないね」
台所の隅に、まるで隠すようにその鞄はちょこんと置かれていた。
その置き方さえも、僕の好奇心をくすぐるのだった。
「なんだか、緊張しちゃうな……」
誰かの秘密を探る時は、得てして胸が高鳴ってしまう。
世に名を轟かす名探偵も、こんな気持ちをしていたのだろうか。
震える手でファスナーを開け、真っ暗な鞄の内側を覗き込んだ。
暗すぎてよく見えない、窓の明かりが入る場所まで移し、鞄の口を大きく開いて再び中を見た。
「……何もないや」
予想に反し、薬箱や包帯など研究所で渡したものしか中に入っていなかった。
まあ当たり前のことなんだけど、期待に胸を膨らませていた身からすれば些か、というか非常に拍子抜けだ。
「……赤ボス、これからどうしよっか」
「一度戻ルベキダト思ウヨ」
「あー、確かにそうかも」
何も言わずに探しに出ちゃったから、もしかすると怒ってるかもしれない。
様子を見に行くなら早い方がいいだろうな。
「二人とも、ど、どう……?」
さっきまでの場所に戻ると、二人は何も言葉を発さずに座っていた。
座っている場所に若干の開きはあるけど、険悪な空気はなくて少し安心した。
「どうって、ノリくんを待ってたんだよ……?」
「……突然いなくなるから心配した」
怒ってはいなかったようだけど、不安に思っていたらしい。
……これからは気を付けないと、いずれ恐ろしいことが起きそうだ。
「別に、探しに来てくれてもよかったのに」
「そうしたいのは山々だったんだけど、キタちゃんがね……」
「イヅナちゃん、ボクのいないところで何するか分かんないから」
なるほど……お互いに牽制しあって動けなくなっているうちに僕が戻ってきたと。
「なら一緒に探せばよかったんじゃ……?」
すると二人は顔を見合わせ、二人ともそっぽを向いてしまった。
「でも、そうは言ったって……」
「どうしてイヅナちゃんと……」
ああ、まあ、譲れないところとか、プライドとか、そういう類のものがあるのかもね。
下手に踏み込んで刺激しない方が吉だろう、”触らぬ神に祟りなし”って言うしさ。
……あはは、”神”だってさ。
見たいものも見て、拍子抜けして暇になっちゃった。
この天気じゃ温泉に入っても吹雪いているせいで行き帰りのうちに冷え切っちゃいそう。
やることもないし、転がって寝るかゲームかしかないや……
「ふわぁ~……」
大きなあくびがこぼれ出た。
もし今昼寝をしたら夜眠れなくなったりしないかな……?
「ノリくん、眠いの? 私が寝かしつけてあげる!」
「違う、ノリアキはボクとゲームするんだよ」
「またなの……?」
このままだと再びさっきと同じ状況になること間違いなしだと感じた。
しかし、実際にそうはならなかった。
大げさだが、この場の空気を一変させる救世主が現れたのだ。
「みんな、そろそろ紅茶をどうか……し、ら? あら、二人とも何をしているのかしら?」
ギンギツネだ。彼女が言っている通り、ティータイムにしないかということらしい。
この際重要なのは紅茶ではなく、イヅナとキタキツネがいがみ合う状況を終わらせたことだ。
その場しのぎになるかも分からないんだけど、あとは僕が何とか……で、できるのかな……?
……まあ、それは後で考えよう。
「あれ、紅茶の用意ができたの?」
「ええ、すぐに淹れられるわ、だけど……」
ギンギツネは途中で言葉を切って振り返り、障子の間から見える向こうの部屋を指さした。
「あっちの部屋にテーブルがあるわ、座った方が飲みやすいでしょ?」
「確かにそうだね、そっちに行くよ」
ギンギツネの後について行こうと立ち上がると、それより早くキタキツネがスッと立った。
何事かと一瞬様子を見ている間に、片手でイヅナの腕を引っ張ってもう片方の手でギンギツネの背を押し、僕一人と赤ボスを部屋に残して部屋から出てしまった。
「ちょ、ちょっとキタキツネ、いきなりどうしたのよ!?」
「わわ、何なのキタちゃん!」
キタキツネは二人の言葉に一切耳を貸すことなく、テーブルがあるという部屋まで一直線に入って行った。
「あはは……キタキツネは時々こうなっちゃうのかな」
彼女の行動の意図はおおよそ理解できる。
きっと僕を、イヅナかギンギツネのどちらとも二人きりにしたくなかったんだ。
イヅナへの対抗意識は言わずもがな、でもギンギツネに対して似たような感情を持っているとは驚きだった。
当然イヅナに向けるものとは違うのだろうけど、長い間親しく過ごしてきた相手に対しても、やっぱり嫉妬はするものなんだな。
そう考えると、どこか気が咎めるような、そんな気持ちに苛まれた。
「今温泉の方からお湯を取ってくるわ、待ってて」
「お湯って、紅茶に使うの?」
温泉のお湯を飲用に使うと聞くと、お風呂のイメージからか抵抗を感じてしまう。
「安心して、温泉って言っても、湯船に入る前のを取ってくるから」
「そっか……よかった」
紅茶が入るまではくつろいでいて、とのことだったから、背もたれに体を預けて全身の力を抜いた。
ここ数日は文字通りキタキツネを抱えて飛び回ったり、博士に頼まれて難しい本を読んだり、寝る時に布団に潜りこまれていたり……
とにかくトラブルとは別の形で、楽しむ方向でかなりの疲れを溜めていた。
それもあって温泉でリラックスしようと思い訪れたのだが……やっぱりこの吹雪じゃ厳しいか。
というか、そんな天候の外にお湯を取りに行くギンギツネも大変だな。
「紅茶楽しみだね、ノリアキ」
「ああ、まあ、そうだね」
「…………」
予想していたことだけど、イヅナの表情は芳しくない。
「ギンギツネ頑張ってたみたいだから、きっとおいしいよ!」
「あ、あはは……」
その後もキタキツネはギンギツネの努力や図書館での感想を交えて紅茶の魅力を話し続けるのだけど、明らかにいつもよりも声が大きい。
まるで、イヅナにわざと聞かせているような声量だ。
「そう……? 私は紅茶なんてもうウンザリ」
耐えかねたイヅナがぼそりとつぶやいた。
キタキツネと違い聞かせる意図は無かったはずだが、キタキツネの大きな耳はその呟きを聞き逃さなかった。
「そっか、残念……どうして?」
「え、き、キタキツネ……!?」
ドンッ! とテーブルを叩く強い音が響いた。
「だ、誰のせいだと……」
「落ち着いてイヅナ、大丈夫、今度のは大丈夫だから……ね? キタキツネも、シーッ!」
イヅナに声を掛けながら優しく頭を撫で、それを十数秒続けたところで段々落ち着きを取り戻してきた。
「ごめん、ノリくん……」
「うぅ………」
一応危機は脱したが、空気はどんよりと重く変わっていた。
早くギンギツネが戻ってこないものかと、吹雪を見ながら思い始めたその時、ようやくギンギツネは姿を見せた。
「ごめんなさい、思ったより時間が掛かっちゃって……」
「いや、無事でよかったよ」
「ありがとう、すぐに持ってくるから待ってて?」
服に着いた雪を払いながらギンギツネは台所に消えた。
間もなくして、お盆に四つカップを乗せて戻ってきた。
「さ、今日は一段と寒いからこれでも飲んであったまりましょ」
「いただきます」
吹雪やその他諸々で冷え切った体に、温かい紅茶は本当によく沁みた。
心の氷がゆっくりと解けていくような気分だ。
相も変わらず、イヅナはそれに手を付けていないけど、あの出来事を思い出せば、やはり仕方ないと言うしかないのかもしれない。
紅茶を半分ほど飲んだ頃、キタキツネに袖を引っ張られた。
「ノリアキ、ボクの鞄ってどこだっけ?」
「え、確か……台所にあったよ、取りに行く?」
「ん……一緒に行きたい」
「あ、イヅナは……待ってて?」
「……うん」
キタキツネに押される形で台所へと入った僕は、真っ先に鞄のあった部屋の隅へと向かった。
しかし、そこに鞄は置かれていなかった。つい数十分前まで置かれていたはずなのに。
「あれ、どうして……んんっ!?」
振り返ろうとした途端、何か布のようなもので口元を覆われた。
振りほどこうとしても体に力が入らない。
動きが遅くなった頭を何とか回転させて、研究所にあった液体の眠り薬、あれを嗅がせられたという結論になんとか達した。
すると、キタキツネが鞄を開けさせなかったのは――
「ねえキタキツネ、本当にこれでいいの?」
意識を失い倒れたノリアキを見て、ギンギツネがそう言った。
「大丈夫だよ、それより、イヅナちゃんはギンギツネにお願いしたよね?」
「……ええ、そうだったわね」
複雑な顔をしながらも、ギンギツネはボクを手伝ってくれる。
ギンギツネが、台所からイヅナちゃんのいるテーブルに戻った。
イヅナちゃんのカップは、少しだけ飲まれているみたい。
「ギンちゃん、何も入ってなくても飲みにくいな」
やっぱりそうだよね、イヅナちゃんのだけ、隠し味が入れてあるから。
そしてそこに、ギンギツネが白い粉末の入った瓶を差し出す。
「だったら砂糖を入れてみたらどうかしら、甘くなれば飲みやすくなるはずよ」
「……おお、名案だね」
イヅナちゃんは感心しながら、ティースプーンで一杯、もう一杯と眠り薬入りの砂糖を紅茶に混ぜ合わせていく。
……もっと、もっとだよ、もう二度と、起きられなくなるくらい入れるの。
あ、ずっと見ててもダメだった。
眠っているうちにノリアキを縛っておかないと。
動けなくしなきゃいけないけど、縛りすぎてもよくない。
とりあえず後ろ手に縛って、一応足も縛り付けておいたよ。
「えへへ……!」
作業を終わらせて、もう一度イヅナちゃんの様子を見た。
ちょうど、眠り薬入りの紅茶を口にするところだった。
ちゃんと砂糖も混ぜているから、味は甘いはず。
だってイヅナちゃんが紅茶を一気に飲んでいるもの、甘いに決まってる。
「ふぅ……砂糖を入れると飲みやすいね」
「え、ええ……そうね」
薬は、すぐに効いてきた。
イヅナちゃんの頭が、ユラユラと揺れ始めて、やがて体全体を大きく揺らした。
手の力が抜けてティーカップを落とし、カップが割れる音と共に紅茶が床に広がった。
そのままイヅナちゃんも椅子から転げ落ち、スヤスヤと寝息を立て始めた。
……作戦は、成功。
「えへへ、やったねギンギツネ」
ボクは眠ったイヅナちゃんの体を抱えた。
「キタキツネ、一体イヅナちゃんをどうするつもり?」
「えへへ、秘密」
ボクは吹雪の激しい外に出た。
中からギンギツネの呼ぶ声が聞こえるけど、例えギンギツネでも、ボクの邪魔はさせないよ。
強い風と共に雪が吹き付ける今日は、本当に絶好の日和だね。
「素敵だね、イヅナちゃん、キミとは、ここでお別れだよ」
さよなら、イヅナちゃん。
――吹雪と共に、おやすみなさい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます