5-64 コノハ博士は敬われたい


 ……ない、ないのです。


「博士、上の本取ってくれない?」

「……なぜ私に?」


 お前はキツネの姿なら飛べるはずなのに、どうして私に行かせるのですか。


「ほら、ノリくんのお願いだよ?」


 だったらお前が取りに行けばいいではありませんか、コカムイの為ならどんなことでもするのでしょう?


「ふふ、博士……一度くらいなら良いのでは?」


 助手、お前だけは私の味方だと、そう信じていたのですが、お前もコカムイの肩を持つのですね……


「…………」ピコピコ


 ……キタキツネ、お前は黙ってゲームですか。

 何も口出しせずただの傍観者でいようとするなんて、随分といいご身分ですね?



「一体、どうしてなのですか……」


 ああ、足りない、全然、全っ然足りないのです!


「……っと、…うのです……」

「博士……?」




「もっと! 私を! 敬うのです!」


 コカムイたちの体がビクッと震えて硬くなりました。

 ようやく私の威厳に気づいた様子で、まったく情けないのです。


 しかし、助手は飄々とした顔で叫ぶ私とコカムイたちをニヤニヤと眺めているのです。

 助手のやつ、前からこういうところがあるのです。

 全く、こういった点については本当にいけ好かないのです……!


「敬えって、どういうことなの?」


「文字通りなのです、イヅナ、お前には私を敬う気持ちがないのです、コカムイも、キタキツネも、そして助手も!」

「……おや、私もですか?」

「そういう所なのですよっ!」


「いいですか、私は博士です、この島の長なのです、偉いのです、敬うのです!」


 そう言って、私はテーブルに置かれたジュースを一杯グビッと飲み干しました。

 やれやれ、いきなり大きな声を出すと喉に良くないですね。



「敬うって言ったって、どうすれば……」


「コカムイ、お前それでもヒトなのですか? それくらい自分で考えるのです……と、言いたいところですが、仕方ありません。私は賢いので、特別に『敬い方』というものをお前たちに教えてやるのです」


「ふふ、やはり私も入っているのですね」

「当然なのです、なにしろお前は博士の助手なのですよ?」


 最も博士の存在を理解し、誰よりも私を敬うべき存在である助手。

 その教育が出来ていなかったこと、それは私の最大の失敗だったのです。


 しかし、それも今日を以て終わり。

 まずはこの四人に私の敬い方を教育し、名実ともに私は『この島の長』になるのです!



 そこで私は、まず初めに四人を横並びに正座させました。

 ……ふふふ、いい眺めなのです。


「では、基本の基本から始めるとするのです」


「そのって言うのはこの正座のこと……?」


「その通り、やはり”腐ってもヒト”、中々の察しの良さなのです」


「ちょっと博士、ノリくんが”腐ってる”って一体どういうつもり?」

「……ノリアキにおかしなこと言わないで」


 私がコカムイを褒めてやると、その両隣にいるキツネ二人から同時に反発が飛んできました。

 やれやれ、この二人には”ことわざ”と言うものの情緒が理解できないのでしょうか。


「それを言うなら”腐っても鯛”だと思うけど……」

「同じようなものです、しかし分からないと言うなら、二人には後で教えてやっても構わないのですよ?」


「嫌味な言い方……」

「……むかつく」


 このキツネ二人は……!

 コカムイもこの反応には苦笑いを隠せていませんね。


「キタキツネがストレートに言う辺り、相当だなぁ……」


 私の教育もこの二人には効果が薄そうなのです、本命を助手とコカムイに絞って、あとの二人はまあ、いるだけで十分ということにしておきましょう。


「……おほん、では、続けるとするのです、助手もしっかり聞くように」


「ええ、博士が満足するまで聞いてあげますよ」


 こ、この……! 助手は私が道楽で教育をするとでも思っているのでしょうか?


 助手に対しては他よりも徹底的にやる必要がありますね、むしろ助手はこれからもずっと私といるのですから、素より必要なことだったのです。



「……まあいいでしょう、続けるのです。お前たちは敬うと言ってもその方法を知らないでしょうから、まずは形から入ることにしますよ」


「正座じゃ不満なの?」


「それはあくまで”基本の基本”、これから”基本”をお前たちに教授してやるのです」


「……そっか」

「で、その基本って何? 早くノリくんと本を読みたいの」


「まあ落ち着くのです、基本ですから実に簡単ですよ、そう、跪くのです」


「……本気?」


 ……少し、風が冷たくなった気がしたのです。

 いえ、風が目に沁みているだけかもしれませんね。



「私はイヤだよ、博士に跪くなんて!」

「……ノリアキ、”ひざまずく”って何?」

「気にしなくていいよ、どうせしないんだから」


「そこ、内容もですが私語は禁止なのです」


 キタキツネが残念そうに目を背けました、まあ自業自得なのです。


 しかしイヅナはむしろ勝ち誇ったような顔でコカムイを一目見て、コカムイもイヅナと一瞬だけ目を合わせ、何かを悟ったような表情になりました。

 こいつら、時々以心伝心ではないかと思うことがあるのですよ。


 イヅナはずっとコカムイを見続けているのにコカムイが一瞬だけしかイヅナを見なかったことには、ほんのちょっとだけ哀愁を誘われましたがね。



「しっかり私の敬い方を学べば、すぐに終わるのです」

「全く、博士は見境がないのですね」


 ふと、助手がそう呟きました。


「助手、それはどういう意味なのですか……?」


「そのままですよ、私やコカムイはともかく、話を聞きそうにないイヅナとキタキツネまで巻き込んでいるところがそう、尊敬に飢えているように見えますね」


 ああ、私は激怒したのです。

 必ず、かの邪知暴虐の助手を正さねばならぬと決意したのです。



「助手……言っていいことと悪いことがあるのです、もう私の袋の……何かが切れたのです」


「キンカン袋じゃなくて堪忍袋、それと切れるのは緒だよ」


「う……うるさいのです、今はそんなことどうでもいいでしょう?」


「博士、言って悪いと言えば、『跪け』もどうかと思いますよ? 敬ってほしいなら、他に方法もあるはずなのです」


「し、しかし一体どうすれば……」


「それについては私たちで考えますよ、博士はどっしりと博士らしく待っていてください」


「……では、そうするのです」


 本当に任せていいのか、そんな気持ちはありました。ですが、それ以上に助手たちがすることが楽しみだったのです。

 ……敬うことを、強制してはいけないのかもしれませんね。





 なんやかんやあって博士の敬い方講座から脱出した我々は、図書館のすぐ近くの森で作戦会議を開始したのです。


「というわけで、何をするか考えましょう」


「本当に考えなきゃダメ?」

「……めんどくさい」


「まあまあ、助手のおかげで正座から抜け出せたんだから、これくらい手伝ってあげようよ」


 流石、コカムイは冷静でしっかり物を考えてくれるのです。

 これは、博士が惚れるのも納得ですね……ふふ、冗談です。


 ……心の中で冗談を言っても、ツッコミ役がいなくて寂しいだけでした。

 この冗談は今度タイミングを見計らって博士に言ってやるとしましょう。

 いえ、いっそのことコカムイに仕掛けるのも悪くないかもしれませんね。


 とびっきりの冗談爆弾なのです、使いどころはよく見極めなくては。


 ああ、また脱線してしまいました、気を取り直して考えましょう。



「そもそも、”敬う”っていう言葉が曖昧だよ、何をすればいいのやら」

「博士のことだし、カレーでいいんじゃないの?」


「そうは言っても、普通に出したのでは文句を言われそうなのです……」


「……」ピコピコ


「ちょっと、キタちゃんも真剣に考えて!」


 ゲームに夢中になりながらもコカムイに擦り寄るのを忘れない辺り、キタキツネも筋金入りですねぇ……


「……サプライズ」


「そういう手もあるね、でも博士からの頼みだからサプライズになるかどうか……」

「博士は意外と単純です、少し工夫すれば簡単に落ちますよ」

「あはは、そうかもしれないけど、言い方が……」


 この反応、悪戯を仕掛ける側としては悪くないのです。

 否定も拒絶もせず、しかしそんなことはあり得ないと確信している。

 そんな相手にこそ、この冗談爆弾は高い効果を発揮するというのが私の持論なのです。



「我々が真剣にやれば博士も文句は言えないですから、とりあえず効果の高そうな料理で攻めることにしましょう」

「まあ、それには賛成だよ」

「だったら、ジャパリカレーまんみたいに、普通じゃない料理にするのはどうかな?」


 ふむ、イヅナの意見もアリなのです。

 問題はその”普通じゃない料理”をなるべく早く考案しなければならないことなのですが……


「何か……アイデア……」


 並大抵の問題ではありませんね、コカムイもこの通り頭を抱えているのです。


「ではこの際、赤いラッキービーストに助言を求めてみてはどうでしょう?」

「赤ボスにか、いいね、赤ボス…………あれ、赤ボスは?」


 コカムイがキョロキョロと辺りを見回すも、赤ボスは見つからない様子です。

 私から見てもいる気配はありませんね。


「ねえノリくん、もしかして、置いてきちゃったんじゃ……」


「これは、そうかもね……待ってて、すぐに連れてくるから」

「分かりました、行ってらっしゃいなのです」

「気を付けてね、ノリアキ」


「あはは、大丈夫、すぐ戻るからさ」


 さて、飛んで行ったコカムイが戻ってくる前に、我々も博士の喜ばせ方を考えねばなりませんね。

 パーティーグッズでも用意して派手にやればコロッといける気もしますが、私には前に甘く考えて痛い目を見た経験もあります、あまり油断するのも考え物ですね。



「では料理は後回しにするとして、雰囲気作りの……」

「――っ!?」


 突如としてイヅナが異様なほどの驚きを見せました、どうかしたのでしょうか?


「イヅナ、どうしたのです?」

「い、いや、何か、嫌な予感と言うか、ううん、私も行ってくる!」


 それだけ叫ぶと、イヅナも飛び上がって図書館の方へと一目散に向かってしまいました。

 訳も分からず取り残された私とキタキツネは顔を見合わせ、ひとまずイヅナを追いかけることにしたのです。



 そして戻った先で見たのは、およそ信じがたい光景でした。


「こ、これは一体……?」


 おびただしい数の大小のセルリアンと、それらを相手取る博士とコカムイ。


 つい先程まではいなかったはずのセルリアンが異常発生しているのです。

 なぜこれ程の量のセルリアンが、なぜイヅナはこれを察知したかのように飛んで行ったのか……

 いいえ、理由を考えるのは後です、今はこいつらを片づけなくては。



「キタキツネ、お前は安全な所へ」

「ううん、ボクも手伝う」

「……なら、くれぐれも気を付けるのですよ、コンティニューはできないのですから」


 目視で判別できる限りでは、およそ五十体の大小のセルリアンの群れ。

 一番大きい個体で大体3m、イヅナやキタキツネの約二倍の高さなのです、もちろんセルリアンは横幅の方も3m程あるのですがね。


「ここは、小さい奴らから倒すのが賢明でしょうか」


 半分以上のセルリアンはよく見る小型の個体なので弱いのですが、数が集まると厄介になります。

 しかし簡単に撃破できることに変わりはなく、こいつらを掃討すれば戦いやすくなることでしょう。


「行けますか、キタキツネ」

「うん、いつでも行ける」


 ……なるほど、最初から野生開放ですか、やる気に満ち溢れているのはいいことです。

 途中でガス欠にならなければ、の話ですがね。まあいいでしょう。


「我々も加勢しましょう、遅れずについてくるのですよ」

「……わかってる」


 およそ5対50の戦い。

 ですが実力の差は歴然で、セルリアンは次々と数を減らしていき、それほどの時を待たず全滅させることができたのです。


 一番多く討伐したのはイヅナでしょうね、空を飛び回って石のある方向から爪や足で強烈な一撃を叩き込み、一番大きいセルリアンさえも砂の城を崩すように倒してしまいました。


 数で比べるのもどうかと思いますが、討伐数で言えば続いて博士、私、キタキツネが横並びで、意外にも一番倒した数が少ないのはコカムイでした。


「いやはや、お前が一番手こずるとは予想外だったのです」

「あはは、そう言われても、僕はキツネの姿になってやっと何とか戦えるような感じだからさ……」


「ま、まあ、コカムイはずっと私を庇いながら動いていましたから、それも関係あるのでしょうね」


 コカムイへのフォローをする博士からは、不思議と先程までの高圧的な雰囲気は消え失せていました。


「あ、博士、さっきの”話”はまだ何をするか決まってないから、もう少しだけ――」


「ああ、それはもういいのです」


「え? もういいって……」


「あの後考え直しました、別に威張らなくても、私らしく構えていればそれで十分だと。それと……さっきは、ごめんなさい、なのです」


「ああ、いいよ、気にしてない」


 いや、まさか博士がこんなことを言い出すなんて……


「は、博士……」

「ふふ、何ですか、助手?」

「もしや、先ほどのセルリアンに何かされたのでは……?」

「……はぇ?」


「博士が、これほど謙虚になるなんて、普通ではないのです、大丈夫ですか博士、熱でもあるのでは――」

「う、うるさい、うるさいのです! 私は至って正常なのですよ! 気が変わりました、助手、お前だけには特別指導が必要なのです!」



 ああ、この感じ……いつもの博士なのです。


 賢く、それでいて自分の気持ちに正直な博士。


 素直で、からかい甲斐のある博士。


 これこそ、私が助手を務める博士に他ならないのです。


「ふふ、楽しみですね」

「その言葉、よく覚えておくのですよ?」


 博士、貴方はなんて愛おしいお方なのでしょう。

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