2章 第21話 ルトvsアロン 後編

「死神……」


 眼下で戦いを繰り広げる2人の少年へと視線を固定したまま、誰かがぽつりと呟く。

 と同時に、その言葉は騒めきの波として観客席全体へと広がっていった。


 そんな喧騒の中で、手を組み祈るようにしながら少年達を見つめる、見目麗しい少女の姿があった。──ルティアである。


「ルトさん……」


 ルティアは、試合開始からずっと、どちらかの勝利を確信する訳でも無く、ただただ2人の戦いを片時も目を離すことなく見つめていた。

 しかし、今この時はその美しい双眸そうぼうを大きく見開いていた。


 が、それも仕方がないと言えるだろう。

 何故ならば、ルトが今まで何かと理由をつけて見せてこなかった死神の姿を、大勢の人が観ているこの場で見せてしまったのだから。


 大鎌だけならば、まだ弁明の余地はあった。

 短剣では勝てないから大鎌にシフトチェンジしただとか、幾らでも誤魔化しようがあった。

 しかし、ローブを纏い、白髪赤眼である現在の姿は、紛れもなく『死神』である。


 おそらく、この場の誰一人としてその事実を疑わず、この日を境に紛れもない真実として周知されていく事だろう。


 そしてそれは同時に、ルトが今後この街で生きていく上で、間違いなく障害が増える事を示していた。


「……貴方はそれだけの価値をこの試合に見出しているのですね」


 ルトの方へと視線を向けながら、ルティアは複雑な表情を浮かべる。


 まといを使えば、死神の纏術師である事が周囲に知られてしまう。

 そうなれば、生活に困難が生じる。周囲から向けられる視線の質が変わってしまう。

 だからこそ、ルトは大鎌だけを使用し、決して霊者を纏いはしないのだと、ルティアはそう確信していた。


 それなのにルトはまといを使用した。


 つまり、今後周囲から向けられるだろう視線や非難以上に、アロンとの一戦で全力を尽くす事を大事に考えてるという訳である。


 それ程強く友人を思い戦うルトの姿に、そしてそれに全力で応じるアロンの姿にルティアは羨ましさと共に、嬉しさを感じていた。

 しかし、やはりどちらかが学園を去ってしまうという変えようのない事実と、勝敗に関係なくルトに降りかかるであろう火の粉を考えると、どうしても手放しに喜ぶ事など不可能であった。


「しかし、この展開を選んだのはルトさんです」


 そう、周囲に死神の力を見られてでも、友との一戦に全力を尽くす事を決めたのは紛れもないルト自身であった。


 ならば、ルティアには口出す事など何もできない。

 できるのは、この試合の結末を見届け、今後も友人として彼らに寄り添って生きていく事だけ。


「……ルトさん、アロンさん」


 ルティアは祈るような体勢のまま、ぽつりと彼らの名を口にする。

 次いでグッと口を結ぶと、結末を見届けようと、瞬きを忘れる程にじっと眼下を見つめるのであった。


 ◇


 さて、まずはアロンの動きを捉えようか。


 先程までとは比べものにならない程の速度でアロンに接近しつつ、ルトは自身の行動をそう決定した。

 そして、変則的な事などなにもせず、ただアロンに接近すると彼の首目掛け死狩を振るう。


 と、ほぼ同時に、アロンは先程よりは多少焦りを含ませながらも、手足から風を発生させると、地へと噴射し、反動を利用してグッと身体を持ち上げた。


 ルトの頭上を飛び越えようという考えだ。


 しかし、ルトはそれを許さない。

 まといの影響で多少は動体視力が強化されたのか、アロンの動きを捉えたルトは、頭上を越えようとするアロンに向け死狩を振り上げる。


 が、そうくることは予想していたか、死狩が自身に接触するよりも先に、アロンは風の噴射を利用し、その場から退避した。


 そしてルトの追撃を警戒しつつも、大きく息を吐くと、


「……あっぶねぇ。流石、纏術だわ。さっきまでとは速さが段違いだ」


「といいながら、それ以上のスピードで僕の攻撃を避けないでくれるかな」


 大きく息を吐いた後、苦笑いを浮かべるアロンに、ルトは半目を作りつつ言葉を返す。

 対しアロンは、グッと姿勢を低くすると、


「そりゃ、速さが俺のアイデンティティだからな。いくら纏術師相手でも負けるつもりはねぇ……よッ!」


 言葉の後にルトへと急接近。


 制御などできないのではないかとそう思わせる程の速度に、ルトは寸刻遅れながらも、死狩を振る。


 このままいけば、死狩の刃とアロンが接触する。しかし、当然そう上手くは行かなかった。


 アロンは死狩が触れる寸前で風を制御し急停止すると、そのまま後方へと跳躍。

 ほぼ同時に、右手に風弾を形作ると、それをルトへと放った。


「…………ッ!」


 展開の速さに驚きつつも、ルトは頭を働かせ、回避よりも死狩を振るった遠心力を利用し、核を切った方が確実だと判断。

 すぐにそれを実行しようとする……が、ここでルトは言い様の無い嫌な予感がした為、咄嗟にその場から飛び退いた。


 そしてニヤリと笑うアロンへと、ルトは視線を向ける。


「……危なかったよ」


 先程放たれた風弾。咄嗟であり、見分けをつける事はできなかったが、アロンの表情から察するにあれは間違いなく核なしであった。


「……くっそー、流石に引っかかんなかったか」


 言って、無邪気さを感じさせる笑みを見せるアロンだが、対するルトは苦笑いを浮かべると、ツーっと額を流れる汗を手の甲で拭った。


「……高速移動に、空中浮遊。それに、核なし。これらを実現するには相当風の制御が正確でないといけないよね」


 アロンが先程ルトを圧倒したカラクリは、何て事ない、ただ風を制御し、こちらの認知以上のスピードで動いていただけ。

 いや、そこに今までルトが想定していなかった空中へと行動範囲を広げ、ルトの視界から外れたというのもあるが、何はともあれアロンはただ高速で移動していただけである。


 しかし、それを実現するのは並大抵の事ではない。


 圧縮した空気を放出する事で高速移動を実現できたとしても、思いのままに動くには当然、針に穴を通すよりも繊細な制御が必要になる。

 しかもそれを戦闘中に行うとなれば、その制御の難度は更に跳ね上がる。


 核なしだってそうだ。後方への退避で風を制御し、そこからほぼノータイムで作成の難しい核なしを生み出し放つ。

 当然、こちらも要求される制御の難度は高い。


 それこそ、少し前のアロンでは出来ないと断定できる程に……。


 そんなルトの驚嘆と焦りの視線を受けながら、アロンは一度頷くと、


「あぁ。だから今まではできなかった。いや、できたにはできたか。ただ、試合で使えるレベルでは無かったのは確かだな」


「短期間で、よくここまで」


「今までのままじゃ、無理だったさ。対戦相手がルト……お前だったから。お前だったから俺は、ぜってー負けたくねーって、そう思って限界を超えた特訓ができたし、何とか試合で使えるレベルまで持ってこれたんだよ」


「…………」


 無言でアロンを見つめるルト。対しアロンはグッと力強く拳を握ると、言葉を続ける。


「だからこそ、ここまで至れたからこそ、俺はお前に勝ちてぇ。退学云々とかは関係なく、一友人として、ライバルとして、お前にッ!」


 言って、人差し指をルトへと向ける。

 そんなアロンに、ルトは、徐々に身体を蝕まれていく感覚を覚えながらも、


「僕も同じ気持ちだよ。今後がどうとか、周囲がどうとか、そんな事はどうでもよくて。……ただアロン……君に負けたくないッ!」


 そうだ。今後がどうとか今はどうでも良い。ただ、アロンに、ライバルに勝つ。それだけで良い。


 ルトはそう考えると、死狩にグッと力を込めた。

 瞬間、死狩を握る手から黒い靄が発生すると、渦を巻きながら死狩を覆っていく。


「…………ッ」


 今までとは違う何かが来る。そう考えたアロンは、ルトをじっと見つめると全身に風を展開。いつでも対応できるようにした。


「……いくよ、アロン」


 言ってルトは、死狩を構えた状態で小さく口角を上げた。

 そして死狩を振るうと同時に、その技の名を叫ぶ。


跳兔ニル・ラビット


 瞬間、死狩を覆っていた黒い靄が、その形を維持したまま一直線にアロンの方へと飛んで行った。


 遠距離!? それに速ぇ!


 ルト初の遠距離攻撃、更には今までとは比べられない程の速度にアロンは目を見開く。

 しかし、彼の表情に驚きはあっても焦りは一切無かった。


 何故ならば──


 けどこのスピードなら、避けられる!


 アロンはそう確信すると、手足に纏う風を上手く操り、瞬時にその場から右方へと退避した。


 一方、攻撃先の居なくなった跳兔は、しかし方向を一切変えることなく、一直線に進み遂には地へと着弾。


 その後は、黒い靄が霧散し、ルトの遠距離攻撃は不発に終わり、アロンに好機が訪れる──と、その場に居る誰もがそう予想した。


 しかし……靄は霧散しない。


「…………!?」


 右方へと跳びながらアロンが違和感を感じ眉を潜める中で、フードの下ニヤリと小さく笑ったルトは、死狩を握る右手をアロンの跳躍方向へと小さく振った。


 瞬間、着弾した黒い靄は、まるでうさぎが飛び跳ねるかの様に、方向を転換すると、アロンの方へと飛んでいった。


「…………ッ!」


 慌ててその場から退避しようとするアロン。しかし、アロンの行動よりも靄の方が速度は上で──黒い靄はアロンへとぶつかり、アロンは身体をくの字に曲げその場から吹き飛んだ。


「…………ガッ」


 吹き飛んだアロンはそのまま一度、二度と地へとぶつかりながら転がる。

 そしてその後、もう一度地へとぶつかった所でやっと攻撃の勢いを抑える事が出来た。


「いってぇ。ははっ、これはやべぇな」


 グッと身体に力を入れ、立ち上がりながら小さく笑うアロン。

 本来なら跳兔の想像以上の威力に、少しは脅威を感じても良い筈だが、アロンにその様子は無い。


 アロンには1つ確信があったのだ。


「……けど、ルトの様子を見るに、そう連発できる訳ではなさそうだな」


 そう。アロンが攻撃を受け吹き飛んでいる際、いつでも追撃するチャンスはあったのだ。しかしそれは無かった。

 加えて、アロンが視線を向ける先で、肩で息をするルトの姿。


 跳兔が気軽に連発できない事の何よりの証拠であった。


 と、そんな確信めいたアロンの視線の先で、肩で息をするルトは、しかし小さく口角を上げると、


「……どうかな」


「強がんなよッ!」


 言葉と同時にアロンは展開していた3つの風弾をルトへと放つ。

 ルトを中心とし、3方向から。勿論全て核なしである。


 しかし、例え方向が違えど、風弾を放つのが同時でない以上、着弾には多少の時間差がある。


 ルトは瞬時にそれを判断すると、風弾の僅かな隙間に身を滑らせながら、一度二度と回避。が、ここで疲労が祟ったか、動きに多少の遅れが出てしまい、三度目の風弾を避ける事は出来なかった。


 風弾がぶつかり、ダメージを受けるルト。と同時に風弾の衝撃でふわりと土煙が舞い、ルトの視界が塞がれる。


 慌て、死狩を振るい、土煙を退かす。


 それにより、ルトの視界が晴れる──が。


 アロンが居ない!?


 目前に、アロンの姿は無かった。


 後方か!?


 慌て、咄嗟に後方へと腰の短剣を振るい……何かが短剣に触れる感触をルトは覚えた。


 それは……明らかに人とは違う感触で──


「残念。この前のお返しだぜ」


 楽しげなアロンの言葉が聞こえた、その数瞬後。

 世界が眩い光に包まれた。


 アスチルーベ商会で購入した、閃光弾である。


 流石に想定外であり、もろに光を浴びてしまったルト。

 強力な光により一時的に視力が失われる中、腹部に感じる衝撃。


 アロンによる風弾である。


 未だ光が収まっていないだろう事を考えると、閃光弾を置いた後、ルトの場所を覚えつつ、その場から退避。光から目を守る為に、目を瞑りながら攻撃を繰り出したのだろう。


 ならばおそらく次は──


 光が収まった後、追撃を与える為に接近してくる!


 腹部の痛みに眉を潜めつつ、アロンの次の行動をそう予想するルト。


 ならば、ここは一か八かで──


 そしてその対策として、ルトは左手に面を作り出し、それを装着した。

 装着の間、姿を消す事が可能な、幽世かくりよのめんである。


 一方アロンは、ルトに風弾が着弾した事から、ルトに閃光弾が効いてる事を確認すると、更なる追撃を与える為、光が収まりつつある中で、ルトへと接近した。


 そしてルトの姿が未だそこにある事を視認し、追撃を与えようとした……その瞬間、ルトの姿がぼやけると同時にその場から消えた。


「…………ッな!?」


 想定外の現象に、驚愕と共に一瞬動きを止めてしまうアロン。

 それが失敗であった。


 ルトはその隙にアロンの後方へと移動。そして幽世かくりよのめんを外すのとほぼ同時に、アロンの首目掛け死狩を振るう。


 突然後方に現れた何かにアロンは気づき、振り向きつつその場から退避しようとする。

 が、しかしすんでのところで間に合わず首を刃が掠めた。


「…………ッ」


 チクリとした痛みに目を歪めつつ、アロンはその場から退避した。

 ルトの姿を目に収めながら、首元に手をやるアロン。


 首元にやったその手を目前に持ってくると、その手は血で赤く染まっていた。


 中々の出血であった。それこそ、何もせずとも後数分もしない内に外から敗北を告げられてしまう程に。


 アロンはその事を認識すると、一瞬うつむき目を瞑った。

 そして目を開くと、再びルトの姿を目に入れつつ、小さく口を開いた。


「くそっ、こりゃ時間の問題だな。……けど、ルト。それはお前もか」


 そう言うアロンの視線の先で、ルトは死狩を杖のようにして立っていた。

 誰がどう見ても限界である。


 アロンの言葉を受け、ルトは揺れる視界の中で、しかし必死にアロンの姿を目に収めると、


「うん、そうだね。はははっ。凄いな、纏術を使っても互角なのか……」


 小さく笑い、侵食というある意味では代償を払いながら纏術を使用し、しかしそれでも圧倒出来ないアロンの強さに、そして短期間でここまで上り詰めたアロンの勝利に対する執念にルトは心から感服した。


 同時にルトは実感する。アロンの言う通り、最早自身が限界に近いという事を。

 そしてそれを表すように、じわりじわりと黒い痣が身体に広がり、遂には首元にまで現れた。


 ……と。


「っ!? ルト……お前……」


 ここで、アロンは気づいた。いや、気づいてしまった。

 ルトの首元に、不気味な黒い痣が浮かんでいる事に。

 先程までは無かった痣。間違いなく、良いものではないだろう。

 いや、それ以上に──


「お前、まさか……」


 アロンは何故今までルトが頑なに纏術を使わなかったのか、ルトが今まで隠してきた真実を、何となく察すると、目を見開きながら、ルトを見つめる。


 対しルトは、


「ルティアさんには……内緒だよ」


「……っくそ。わかったよ」


 本当は教えるべきかもしれない。しかし、隠しているのには間違いなく理由がある筈だ。

 ならば、本人の口から伝えるまでは、余計な口出しをすべきではないのだろう。


 そう考えたアロンは、小さく頭をかきむしった後、せめてもと口を開く。


「……その代わり……もう試合を終わらせようぜ。どうせ互いに時間の問題なんだ。なら、どうせなら最後は全力の一撃で……」


「うん。その方が良さそうだね」


 言って2人は互いに最後の力を振り絞り、力を溜めていく。


「思えば出会ってからもう1ヶ月か」


「もうと言うべきか、まだと言うべきか。とちらにせよ、こんなに時間の経過が早く感じたのは初めてだよ」


 ほの暗い日々を送っていたルトが出会った2人の光。彼らとの日々は、ルトの人生の中でも間違いなく上位に位置する程に充実していた。

 それは、アロンも同じようで──


「俺もだよ。そんだけ、充実した楽しい日々だったってことだな」


「うん」


 力が溜まっていく。アロンは手のひらの風弾に、ルトは死狩の刃が纏う靄に。


 そして無言のまま何秒が過ぎたか、ふとアロンが口を開く。


「そろそろか」

「うん」


 荒れ狂う力の中、アロンの言葉にルトは小さく頷く。

 そして──


「楽しかったぜ、ルト」

「楽しかったよ、アロン」


 互いに笑みを浮かべならそう声に出し、


「「ありがとう」」


 感謝の言葉が重なると同時に、力強く地を蹴った。


「「ハァァァァァァァッ!!!!」」


 声を張り上げ、遂に2つの力が衝突する。

 瞬間、周囲に吹き荒れる暴風と巻き上がる土煙。


 一体どのくらいの時間が経過したか。


 遂に力が収まり、風が収まり、それにより土煙が地へと落ちていく。


 少しずつ、少しずつ視界が晴れる中、そこには──死狩を振り切った状態で立つルトと、力を使い果たしたのだろう地へと倒れ伏すアロンの姿があった。


 この瞬間──序列戦1年の部第247戦の勝者が確定し、場内にアナウンスが流れる。


 そのアナウンスとほぼ同時に、ルトの纏(まとい)は強制的に解除され、ルトは崩れ落ちるように前方へと倒れた。


 ──こうしてルトとアロンの試合は、ルトの辛勝という結果に終わった。


 しかし倒れ伏す2人の表情は、辛く苦しい戦いをしていたとは思えない程に、晴れ晴れとしたものであった。

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