2章 第16話 ルティアの想い

「ルティアさん──」


 ルトは泣き崩れたルティアへと近寄ると、声をかけ手を伸ばした。


 ルティアが顔を上げる。

 その綺麗な瞳は涙で潤み、頬には大粒の涙が伝っている。


「ルト……さん」


 縋るように声を上げ、ルトが伸ばした手を握ると、ルティアは立ち上がる。

 しかし、やはり悲しみは抑えきることができないようで、まるで幼子のように泣きじゃくり、涙を手で拭っていた。


 そんなルティアの姿を目にし、対面に立つルトはグッと唇を噛み、周囲の同級生は困惑した表情を浮かべていた。


 だがらそれも仕方がないと言えるだろう。


 何故なら、現在のルティアの姿からは、同級生の知る凛とした様相も、ルトの知る天真爛漫な様相すらも見られないのだから。


「ルトさん……私──」


「──ルティアさん、とりあえず場所を変えようか」


 ルティアの言葉を遮り、彼女へと小声で声を掛ける。


 序列戦の対戦相手発表という、生徒にとって特に大事なイベントの後だ。皆、思い思いの感情を抱いている事だろう。

 そんな中で、これ以上周囲を困惑させるのは、あまりよろしくない事だと、ルトは考えたのである。


「はい……」


 ルティアが小さく頷く。


 その返事の後、2人はその場を離れた。


 ◇


「落ち着いたかな?」


「はい。先程はご迷惑をおかけしました」


 言って小さく頭を下げる。

 時折鼻をすするような音は上げるが、どうやら涙は収まったようだ。


 現在、2人はいつもの場所である食堂に居た。

 というのも、やはり普段から慣れ親しんだ場所の方が、心を落ち着け易いのでは無いかと考えたのだ。

 また、昼食の時間が過ぎた今、食堂を利用する生徒が殆ど居ないというのも理由の一つである。


「……大変な事になったね」


「はい……」


 ルトの言葉に、ルティアが弱々しく頷く。


 本当に、大変な事になってしまった。


 可能性を考えていない訳ではなかった。しかし、きっと起きないだろうと、どこか心の中で考えていた。

 が、現実はあまりにも非情で、ルトvsアロンの一戦が、実現してしまった。


 考えていた最悪が実現してしまったのだ。


「ルトさんは……今後どうするつもりですか?」


 と。ルティアが弱々しい声音で問うた。

 対しルトは、真剣な面持ちのままに小さく口を開く。


「序列戦に向けて特訓をする。それだけだよ」


「相手が……アロンさんでも、ですか?」


 何かを窺うような様子をルトへと向ける。


「勿論。相手が誰であろうと関係ない。ただひたすらに特訓をして、勝利を目指す。それだけだよ。……きっとアロンの方もそのつもりであの場を離れたんだろうしね」


 言って、ルトは視線をルティアから外す。


 ここで静寂が訪れた。

 しかし、それも数秒の事。すぐにルティアが声を発する。


「……やはり、ルトさんは凄いですわ」


 言って、どこか自嘲気味に微笑んだ。


「いや、全然凄くなんかないよ、僕は──」


 反論しようとするも、ルティアが遮るように言葉を続ける。


「──いえ、凄いですわ。退学かどうかが決まる対戦な一戦の相手が、同じ境遇の親友で。……そんな状況だと言うのに、ルトさんは、平静でいるではありませんか。……泣きじゃくってしまう私とは違って……」


 言って、再び視界を滲ませる。


 そんな彼女の普段とは違う弱々しい姿に、ルトは小さく目を見開く。

 同時に、彼女が3人の現在の関係性についてとても大切だと感じているという事に、嬉しさを感じた。


 が、それ以上に。先程ルティアの発したとある言葉が、ルトの胸に強く引っかかっていた。


「ルティアさん、一つ誤解してるよ」


 ルティアが顔を上げる。

 ルトは言葉を続けた。


「平静なんかじゃない……」


「──え」


「決して平静なんかじゃないよ。……今はただ、気持ちが溢れないように必死に堪えてるだけさ」


 言って、ルトはグッと口を結ぶ。

 テーブルの下で握られた拳は、力を込めすぎて震えていた。


「も、申し訳ございません。そうとは知らず私──」


「いや、大丈夫」


 一拍開け、ルトは気になっていることを問う。


「それよりも──ルティアさんは、今後どうするの?」


 対戦相手についてはもはやどうしようもない。

 きっと、あの時アロンもそれを理解した上で2人の元を離れたのだろう。


 ならば、ルティアはどうか。

 泣き崩れてしまう程に、当事者であるルトとアロン以上に現状を悲観している彼女が、これから何をしようとするのか。


 ルトは、純粋にそれが気になった。


 そんなルトの発言を受け、ルティアは視線を少し下げた。

 そして、真剣な面持ちのまま頭を悩ませること数秒。顔を上げ、ルトと目を合わせると、


「私は……少し考えてみますわ。私がすべき事は何か。できる事は何かを」


「そっか」


 ルトが小さく頷く。


 こうして、この日は解散となった。


 ◇


 ルトと別れた後、ルティアは尚も優れない表情のまま、帰路に着いた。

 トボトボと歩き、すぐに家へと到着する。


 ──全く、いつ見ても勿体ない程に大きな家である。


 学園や王城等を囲うように展開する、豪勢な家々。俗に貴族街と呼ばれるこの場所に、ルティアの実家ティフィラム家はある。


 確かに、ティフィラム家は大きい。


 しかし、貴族街の中では、ティフィラム家は明らかに小さく、特別簡素であった。

 だが、それでもルティアと、彼女の母の2人だけで住む事を考えると、やはり無駄に大きな家であると言えるのだが。


 ルティアは家のドアを開け、室内へと入った。


「ただいま戻りましたわ」


 そして、小さく帰宅した事を告げる。

 しかし、ルティアの声に返事が返って来ることはなく、ただ虚しく室内に声が響き渡るだけであった。

 仕方がない事だ。母との2人暮らしであり、その母はいつも夜遅くまで働きに出ているのである。


 フーと小さく溜息を吐く。


 その後、ルティアはいつも通り家事を行い、湯浴みをすると、寝衣へと着替え自室へと移動した。


 自室へ着くと、すぐに机へと向かい、講義で出された課題に取り組む。

 膨大な量である為、なるべくスムーズに終わらせていきたいのだが、やはり序列戦の事が頭をよぎり、思うように進まない。


「……私は、どうすれば良いのでしょうか」


 言って、再び溜息をつく。


 ──わかっている。

 最早、ルティアにはどうする事も出来ないのだと。

 数週間後にルトとアロンが争い、必ずどちらかが学園を去らなくてはならないという事を。


 だが、わかっていたからと言って、簡単に受け入れられる訳ではない。


「私は──」


 受け入れられない。受け入れられる訳がない。


 しかし、受け入れるしかない。


 そう思うと、やはり弱い自身の瞳からは再び涙が溢れそうになる。


「私に、出来る事は……」


 今までを、そしてこれからを。

 その全てを考えながら。


 受け入れられない現実に、受け入れるしかない現実に頭を悩ませながら。


 決して答えなど見つからない自問自答の中、ルティアは夜が明けるまで、ただただ自分に出来る事を探し続けた。

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