強襲

 フィネラスは杖から玉座の肘置きへと持ち替えると、ロトが介助しようとするのを片手を挙げて制しながら、緩慢な動作で再び腰を下ろした。

「カールから風晶石が持ち出されたと報告を受けたのは……、そう、諸君らがリアシーに入国したころだろう。本国では晶石の保護に動き出したが、別件でリアシーに赴いていたマチルダ・アクール軍監にその指示が間に合わなかったのは悔やまれる。アクール軍監は知っておろう?」

 フロルが答えるより先に、ジョージが肯定の意を述べた。リアシー武闘大会の準決勝でジョージと当たった女性だ。

「パーキンソンがカール王より直々に貴国へ風晶石を届けるよう仰せつかりました。貴国と意図を同じにしておきながら、歯車の合わないような形となったこと、痛恨の極みです」

「風晶石を失ったとはいえ、そなたたちは一度は秘宝を保有しておった身。今後、敵からの危害がないとは言い切れぬ。人道的見地に立ち、そなたたちを匿うことにしたのだ。それがそなたたちを我が国に招き入れた理由の一つである」

 理由の一つと来たか。ならばつまり――。

「つまり、大公殿下は情報を欲しておられると、そういう理解でよろしいでしょうか」

「話が早くて助かる。さすがはペールの末裔ぞ」

 黒いマントの男フェリキュール・ブラックと直接相対したのはジョージだけだ。だとすれば、モリアーティーといえどブラックの情報はほとんど掴めていないのではないか。

「私たちは、その情報を提供するために、モリアーティーを目指しておりました」

 ジョージが一瞬怪訝そうな顔をしたが、ハンクがすかさず指先で小突いた。「情報を提供するために」というのはでまかせだ。ブラックを追うその先が、秘宝が一つ雷晶石を保有するモリアーティー公国だったに過ぎないが、ここで言ってやることではない。

「現在までに標的とされた水晶石と風晶石はいずれもカール王国保有ゆえ、我が国が取得できた敵の情報も極めて限定的だ……いや、取り繕うのはよそう。ほとんど何も得られておらぬというのが実情だ。どんなに些細なことでも構わぬ。そなたらの情報は大変貴重なものとなろう。後ほど、ロト卿が詳しく承る」

 指名されたロトが恭しく頭を下げた。

稲交いなつるびの化身二柱を尊ぶ我が国が、雷の秘宝を渡すなどという失態は許されぬ。またそなたらにとっても師のかたき、あるいは友の敵と聞き及ぶ。有事の際は、アクール軍監をも退ける手練れであるそなたらにも協力を要請するやもしれぬが、どうか受け入れて欲しい」

 無論、とフィネラスは続けた。

「不法入国未遂及び国境壁の破壊行為についてはその一切を不問とする。また、天宮の一室をそなたらに貸与する。自由に、とはいかぬかもしれぬが、くつろいでいただきたい」

「寛大な御処置に感謝いたします」

 フロルは片膝をついた。



 その夜、ジョージたちは食事会に招かれた。冒頭、ロトが再びジョージとハンクの耳と唇に触れた。

「せっかくの機会ゆえ神官団を全員参列させたかったのだが、ロト卿を除き出払っておる。どうか御容赦願いたい」

 述べたのはすでに長テーブルの端を陣取っているフィネラスだ。

「あっ」

 ハンクが声を上げた。フィラーが緊張した面持ちで席に座っている。その隣にはドラゴンの頭を象った肩当てが目を引くブロンドの女性。フィラーの緊張をほぐそうとしているのか、フィラーの頬をつねって遊んでいる。フィラーは仏頂面を崩せずにいるので効果はないみたいだ。

「堅苦しい会にはしたくないのでな、そなたたちに関わったことのある者を呼んでおいた。王宮付魔法剣士近衛隊長マチルダ・アクール軍監とその娘フィラー・アクール。魔法囮に転移魔法陣を組み込む高等術式にてそなたたちを国内に招いたのはフィラー・アクールの見事な手腕であった。パーキンソンやテイラーとは歳も近く、友好を深められたことと思う」

「クラウドは?」

 ジョージが言った。

「あいつにも随分世話になったんだけど」

「クラウド・ジョーキンス一尉は次の任務がありますので。申し訳ありません」

 答えたのはロトだ。クラウドのように装甲輸送車、戦車、回転翼機から固定翼機まで何でもこざれの人材は軍でも貴重な存在らしい。

 フィネラスがおもむろに立ち上がった。

「さて、カールの御三方。改めて、遥か遠方よりよくぞいらっしゃった」

 そして、ジョージに手を差し出す。ジョージはどうしたらいいのか分からずフロルをちらりと見た。フロルは顎をしゃくり、唇で「行け」と言っている。ジョージも立ち上がって握手を交わした。

「今宵は美酒美食に酔い、疲れを癒していただきたい」

 フィネラスのスピーチを合図に大扉が開け放たれた。続々と運ばれてくる料理の数々が所狭しとテーブルに並べられていく。大皿がテーブルを埋めたところでフィネラスがワイン入りのグラスを掲げた。

「大公殿下はヴェルト・カバター醸造所のワインに目がないのです。カバター氏はリアシーでも有名なワイン醸造家だったそうですが、ご存知ありませんか?」

とロトが囁いたが、ジョージの知る由もなかった。

「雷皇ユピテルの名の下に」

 フィネラスの合図に、

「霧の番人カロンの名の下に」

と一同が続く。カールの三人はワンテンポ遅れてグラスを上げた。

 こうして始まった宴。しばらくして、ジョージは酒の進んだマチルダにリベンジ戦を挑まれた。つまりどちらがより多くの皿を空っぽにできるかの勝負である。

「ぶるあああああ」

と、マチルダはもはや呂律が崩壊しているが、ロトの最高クラスの通訳呪文が「逃げたら承知しないよ!」と酔っ払いの咆哮すら的確に言語化する。

「ちょっとお母さん!? ここ家じゃないんだから!」

 フィラーがあわてて止めに入るが、絡み上戸は聞く耳を持たない。

「ジョージ、馬鹿な真似は止めなって」

 ハンクも抑えようとしたが、

「やるからには勝つのだ」

と、給仕を集めて追加の大皿を大量に準備させたフィネラスの一言により、大公公認のリベンジマッチ開催が決定した。

「……申し訳ない。アクール軍監には、常々酒は控えめにと忠告しているのですが……」

「お気になさらないでください。応じるパーキンソンもパーキンソンです」

 ロトとフロルが大人のやり取りをしている。

「それより、お話の続きを」

「ええ。現在冥王討伐のため、聖地への侵攻作戦が――」

 何となく聞こえてくる会話を背景音にジョージは猛烈に食べまくり、大皿が目線の高さよりも積み上がった。

 一向にペースが衰えないジョージとマチルダに、天宮お抱えのシェフもヤケクソになったのか、香辛料で真っ赤に染まった鍋を繰り出してきた。汗が滝のように溢れ、舌の感覚もなくなったが、二人揃って撃退する。

 次に襲い掛かってきたのはグツグツと煮え立つスープだった。マチルダは魔法で適温まで冷ました一方で、ジョージは全身全霊でフーフーして酸欠寸前になった。


 積み重なった皿がカタカタと音を立てた。

 次の瞬間、大きく跳ねて雪崩のように崩れ、床で粉砕した。

「大公殿下!」

 大食い対決のために大扉を塞ぐまでに集結していた給仕たちを掻き分け、兵士が一人飛び込んできた。

「何事だ。騒々しい」

「敵襲です! オークが多数!」

 兵士の報告が饗宴きょうえん場に反響する。え、というハンクの無声音すら皆に聞こえるくらい、一瞬にして静まり返った。

「場所は」

 ロトが鋭く質問した。

「ここです!」

「……ここ、だと?」

 フィネラスが目を眇めた。

「天宮です!」

「神官団不在の隙を突かれたか……アクール軍監!」

 返す刀でフィネラスが吼える。マチルダは椅子を吹き飛ばす勢いで立ち上がり、部下の近衛兵を呼びつけると、絡み上戸が嘘のようにきびきびと指示を飛ばし始めた。

「街はどうです」と、再びロト。

「今のところ確認されていません。が、もし市街戦になれば現有戦力では――」

 ロトは懸念を述べる兵士をぴしゃりと締めた。

「手札の中でできることをやるのみです。エソリス治安連隊を総動員して第一種戦闘配置。急ぎなさい」

 は! 兵士は敬礼して踵を返す。が、爆散した大扉に行く手を阻まれた。

 大扉を粉々に打ち砕いて姿を現したのは、五体の戦鬼だった。その後ろにも黒い影がいくつも蠢いている。山鋼とオリハルコンの関係と同じく、オークというのは戦鬼のことだったらしい。

 おっつけ、けたたましい銃声と共に無数の火線が戦鬼に突き刺さる。スクランブル的に出撃した近衛兵の小隊だ。

「大公殿下はこちらへ!」

 ロトが平時とは比較にならない怒号を轟かせる。そうでもしないと弾幕の勢いに掻き消される。ロトはフィネラスを支えながら、戦鬼が現れたものとは反対側の扉へ急ぐ。

「アクール軍監! 状況を把握し次第、私も直ちに向かいます。それまで持たせなさい! カールの皆様とフィラーさんもこちらへ!」

「撃てッ! めくら撃ちで構わん、マトはでかい! 非戦闘員の避難完了まで一歩も中に入れるな!」

 マチルダは小隊を鼓舞しながら、自身もアサルトライフルを連射した。

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