故郷に残したもの


 早朝、三人は馬車に乗り込んだ。

 念のためにフル武装だ。ジョージはいつもの通り不知火と青龍の剣の二本差し。ハンクは普段その辺にほっぽっている槍を手元に携え、呪文が得意なフロルも近接用の補完装武器として短剣を装備している。ただし、

「目的はあくまで偵察だということを忘れるな」

 道中、耳にタコができるくらいフロルが念を押してくる。

「万が一戦闘になった時の第一選択は逃げだ。武器は使わないものと思っておけ。間違っても手綱の切れた犬のように突っ走るなよ」

「あーもー! 分かってるってば! オレそんなに信用ない?」

 隣で首が取れそうなくらい猛烈にハンクが頷いている。脳天にチョップしてやろうとしたが、槍でうまく防がれた。得意満面のハンク。くそぅ、槍の修行なんか付き合ってやんなきゃ良かった!

 ぎゃーぎゃー騒いでいても、馬車はペースを変えずに走り続ける。コーラリからドンティーにかけては、舗装こそされていないものの道が通っていた。しかしその先、ドンティーより西は、車輪が緑の芝生を踏み越えていく状態だ。いかにモリアーティーとの往来がないのかを如実に示している。

 ジョージはハンクと一緒に馬車の屋根に上り、あぐらをかいて辺りを眺めていた。今や二人の定位置である。

 馬車は関所を目指して北西へ進んでいた。もちろん、愚直に表玄関から乗り込むつもりはない。国境線のどこか守りの手薄なところを狙うという方針だ。だが、そのためもまず、最も警備が固いであろう関所の場所と警備状況を把握しようと考えたのだ。

 お目当てのそれは不意に姿を現した。風に波立つ緑の丘の向こうから、人工物の頭が不釣り合いに覗く。

「おい止まれ!」

 ジョージが御者台へ叫ぶのと、馬車がぴたりと停止するのは同時だった。ジョージが知らせるまでもなく、フロルも気付いたのだろう。

「馬車は目立つ。お前たち、降りてこい。歩くぞ」

 三人は身をかがめて丘を登った。ちらりと見える人工物の先端は、とがった形状をしている。塔か? それとも物見台の屋根だろうか。

 途中からはほふく前進で丘を登りきる。眼下に視界が開けた。

 思わずはっと息を呑む。

「すげぇ……」

 何本もの尖塔を抱える白銀の城がそこにあった。城の前には湖が広がっていて、湖面には輝く城が映り込んでいる。石造りの橋が湖の中心を貫き、城へと通じていた。

「関所っていうか、ここまで来るともはや要塞だね」

 城の機能とは本来は要塞である。白銀の城の役割が単に城主の威光を示すことではないとすれば、国境の城砦として築かれたものだろう。ハンクの言う通り、要塞じみた関所を強引に抜けることは難しそうに思える。

「この辺に国境が走ってるんだよね? 警備兵がうろついているようには見えないけど」

 確かに、目を凝らしても辺りに人影は見当たらなかった。関所が異質なほどに仰々しく構えているだけで、周辺はひたすら草原だ。山や川といった自然の境界もないし、塀どころか看板すら立っていないので、どこが国境なのか目視では境目は分からなかった。

「本当にあれが関所か? どっかの大金持ちが道楽で建てた別荘でした、とかだったら笑えねぇぞ」

「地図が正しければ、距離と方角からして関所で間違いない」

 答えたのはフロルだ。「地図が間違っている可能性もあるが」と、注釈を言い添える。彼も若干訝しがっている様子だ。

「まあ良い。位置は把握できた。当初の予定通り、関所から十分距離を取りつつ、越境できる場所を探す」

 こちらから相手が見えるということは、相手からもこちらが見えるということになる。従って、少なくとも関所が見えなくなるまでは離れなければならない。


 一行は丘を降りて馬車に乗ると、南へと進路を向けた。

 ジョージは定位置で手を枕にして寝転がっていた。どれくらいそうしていたか、気付けば太陽が大分高くなっている。そろそろ昼時だ。

 腹が減っては戦ができぬということで、フロルは原っぱにシートを広げ、バスケットを二つ開けた。一つのバスケットにはみっちりとサンドイッチが詰まっている。もう一つには果物だ。

「まるでピクニックだな。気が利くじゃねぇか」

 ジョージはサンドイッチをつまんだ。卵にハム、レタスが溢れんばかりだ。ほどよい陽気、青い空。絶好のピクニック日和である。この辺りには、扇のような開く黄色い花がまるで花畑のように群生していて、文字通りピクニック気分に花を添えてくれた。

「フロル。この花、何て名前か知ってるか?」

 ジョージは黄色い花を顎で指しながら挑発的に言った。年の功か、歴史や骨董品、魔法、ついでにワインなど何かと見識のあるフロルだが、文化人だからこそ野花には疎いのではないか。

 ハンクは、サンドイッチを咥えたまま複雑怪奇な顔をしてフリーズした。

「ジョージみたいな奴が花に興味を……不気味だ」

「やかましい!」

「ハオマハの花だろう。プレーリーだとバザラの月(四月)くらいに咲くが、ここはひと月半ほど早いな」

「花も詳しいのかお前。むかつく」

 ジョージは歯噛みしたが、フロルはわずかに目線を下げた。

「詳しいも何も、ラーラルドの家はハオマハ畑のど真ん中だったじゃないか。私が子供だったころは、パック、ジン、ラーラルドでよく一緒に遊んだものだ。たまにサラやニーニャも加わっていた。サラは特にハオマハの花が好きだった。放っておくと絵具とキャンパスを持ち出して何時間でもハオマハ畑に居座っていたくらいだ。だから、サラと結婚したラーラルドは、新妻と一緒に村中を見て回って、ハオマハが村で一番綺麗な所に居を構えたのだ。私もログハウス建築を手伝ったんだぞ」

 フロルは、両親がいなくなって「ジョージの家」となったログハウスを「ラーラルドの家」と呼んだ。下げた目線が見ているのは、きっと遠いどこかだろう。距離ではなく、過ぎ去った時間という意味で。

 かつて母サラが好きだったハオマハの花は、

「今はキユリのお気に入りだ」

 ジョージは苦笑した。

「春には必ず摘んで帰るし、頼んでねぇのにオレん家勝手に飾りまくるし。窓から外眺めりゃいくらでも見れるのによ」

 プレーリーに春が来るのはもう少し先だ。無理だと分かっていても、春の間に帰れたらいいのにと思わずにはいられなかった。そうしたらグロイスまで花を届けてやれるのに。

 ハンクの興味津々な顔はもう気にならなかった。好きなように勘ぐっとけ。

 北東からのよそ風が花を優しく撫でた。故郷の村を思い出させる花の香り。遠く離れた異国の地にいることを、しばし忘れるほどだった。

 と、針が刺さったような痛みが脳裏に走った。プレーリー……先生……キュベレ山の戦い……。そうだ、オレは――。

「ジョージ? どうしたの? 大丈夫?」

「――オレは、あの時も、ピクニック気分だった。先生がいれば大丈夫だと高を括って村を出たんだ。先生ならすぐにマントの男を倒してくれる、すぐに村に帰れるはずだ、楽勝じゃんって余裕ぶっこいてたんだ」

 律儀に広げられたシートに小綺麗なバスケット、彩りの良いサンドイッチや果物が、急に場違いに思えてきた。今こんなことしてる場合か。

「メシは馬車でも食える。出発しよう。早くモリアーティーに行かねぇと」

 フロルもハンクも色々と察してくれたらしく、慌ただしく片付けを始めたジョージに何も言わず従ってくれた。その気遣いがありがたくも少し申し訳なくなった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る