邪な正体
ウソ、もう? よりによって堂々巡りがドッグファイト真っ盛りな時に順番が回ってきてしまった。
この時ジョージが考えていたのは、風晶石が見咎められた時にどう事故を装って検査センサーを破壊するかという堂々巡りの極致であった。わざとこけて折る、虫を追い払う振りをしてパンチする、急に居合斬りの練習をしてみたくなったことにする、などなどすっかり袋小路に嵌っていた。
「パーキンソンさん、失礼しますよ」
検査センサーがずいっと迫る。落ち着け落ち着け。ジョージは深呼吸した。まずは平常心だ。普通にしてりゃ絶対大丈夫――。
果たして、ラングウェイの検査は失礼どころの話ではなかった。痣ができるのではないかというくらい激しくつっついてきたのだ。
「痛ぇなコラ!」
平常心になりすぎたジョージはついいつもの感じで反射的に手が出てラングウェイの腕を
「決まりですから」
と、粛々と職務を遂行する。
「大人しくしてろクソガキ」
ベアードの容赦ない鉄拳が脳天に降り注ぐ。「いちいち殴るなッ」とジョージが組み付いたことで突如勃発したひと悶着に、サンダースがこめかみを押さえて嘆息するのが視界の端に映った。
ジョージの心配は杞憂に終わり、ランプは光らなかった。腰に下げた不知火にも反応しなかったし、リュック、すなわち風晶石も検査センサーを潜り抜けたのだ。
だが、問題は次に起きた。
「マスル・ベアード殿? 何やら認められざる物品を隠し持っておられるようで。違反は初ですねぇ」
サンダースはぽっかりと口を開けて、細長い顔がますます長くなっていた。そして検査センサーに引っかかった当の本人ベアードは何がなんだか分からないという表情だ。心当たりがまるで無いのだろう。
しかしはっと我に返るや否や、ベアードは歯茎を剥き出しにして野犬のように吠える。
「ふざけんな! 何で俺が!」
ベアードに押し当てられた検査センサーのガラス玉は赤く点滅している。
「壊れてんじゃねーのかポンコツ!」
検査センサーをひったくると、皮手袋でもつけているかのような大きな手のひらでバシバシとしばく。
「おら、もっかいやってみろ!」
再検査。赤点滅。心なしかさっきよりも強く光っているような気もする。
「あーもう乱暴にするから。余計にへそを曲げてしまったようですな」
ラングウェイは困ったように頭を掻いた。
「はぁ!? へそ曲げたいのはこっちだわ!」
と、もはや何を言っているのかよく分からない。
「何か怪しい物を持ってませんかね?」
「持ってるように見えるかよ」
ランニングシャツに短パン姿の男ベアードは腰に両の握りこぶしを当てる。説得力がありすぎてジョージは吹き出しそうになった。ラングウェイも「なるほど……」と仏頂面で相槌を打つ。
ルールですので、で押し切られたベアードは渋々短パンのポケットの中身をひっくり返した。何か隠せそうなところというとポケットくらいしかない。これで何も出なかったらベアードを裸に引ん剥くしかなくなるが、ベアードの全裸など拝みたくないのはこの場にいる全員の無言の総意である。
「む」
目を見張ったのはラングウェイである。「やった!」と嬉々としてガッツポーズしたのはサンダースだ。毛むくじゃら船長のストリップショーを回避できる希望が見えて歓声をあげたのだ。すかさずベアードの拳骨が降り注ぐ。
「これは何ですかね」
ラングウェイは床に落ちた何かを拾い上げると、顎を撫でながら「ほほう」とちょっと面白そうに唸った。
「よろしくない。実によろしくない」
それは写真だった。しかし、ただの写真ではない。
「げ」
ベアード本人はポケットに入れていたのをすっかり忘れていた様子だ。
「そんなもんまで引っかかるのかよ……」
ジョージは人間がここまで青ざめるのを見たことがない。ましてやさっきまで湯気が出るほど怒り狂っていた人間がだ。
ラングウェイは写真に検査センサーを近づける。赤ランプが点滅した。
「確定ですな」
写真に写っているのは、どこかで見覚えのある女性だった。ただし、美しい白肌どころか形の良い乳房までもが露に――、
「子供にはまだ早いですよ」
と、サンダースが素早くジョージと写真の間に割って入った。――あんたが見たいだけでは?
「もういいだろう。返せ!」
ベアードは、ラングウェイが凝視している写真をひったくって再びポケットに押し込んだ。
「ただの写真だ! 問題あるか、あぁっ!?」
破れかぶれの虚勢である。
「個人的にはただの写真ということで処理したいところですがね、」
ラングウェイは怖気づく様子もなく、苦笑混じりである。
「検査センサーが反応したということは、問題があるということになります。猥褻物……とか?」
「馬鹿言え、これのどこが猥褻なんだ! その棒っきれの不調だ!」
青ざめていた顔が再び赤くなってきた。
「いや裸ですし。一応没収させてくださいよ」
「ファンなんだ! シェーミ・ノエルの!! これは芸術だ! 何が悪い!?」
怒号が響いた。そして沈黙――。
目を血走らせ、鼻をふくらませて大きく呼吸している。その場にいる全員が、一歩二歩と後ずさりした。冬の潮風は冷たい。
結局ラングウェイが圧倒された形となり、ベアード曰く「入国審査は滞りなく終了」した。
ジョージがどこかで見たと思った写真の女性は、ハンクにべたべたしていた劇団スペリアンス所属の女優シェーミ・ノエルだった。かろうじて薄手のシースルードレスを纏っているものの、ほとんどヌードみたいなものだった。劇団スペリアンスの人気演目「冬の日の現実」でシェーミの際どいシーンがあると知ったベアードが、高倍率のチケットを運よく入手できた友人に頼んで盗撮してもらった写真らしい。芸術のワンシーンを収めた写真には違いないが、やっていることは物凄く不純である。
ハンクさんには黙っておこう。ベアードが緘口令を敷くまでもなく、サンダースは船長の名誉のために船員たちと示し合わせていた。
ハンクはカフェ「渡り鳥の館」でハーブティーとパンケーキに舌鼓を打っていた。ナノリ島を訪れた時には必ず足を運ぶなじみの店である。
夏ならテラス席で海風に吹かれながらカップをすするのも乙なものだが、こう寒いと室内一択だ。窓際暖炉近くの特等席にて、ハンクは外を眺めながらゆったりと時間を過ごしていた。
劇団スペリアンスはナノリやコーラリでも出張公演を行っているものの、リアシーでのハンクの知名度は高くない。おかげでハンクは人目を気にせずくつろぐことができる。グロイスだったらすぐに人に囲まれてしまって、優雅なティータイムどころではなくなる。
劇団は今頃どうなってるかな。船旅が楽しくて忘れていたが、陸に上がると久しぶりにスペリアンスのことが思い出された。
ハンクは誰にも言わずに海に出た。シェーミ・ノエルはもちろん、団長であり父でもあるヨー・テイラーにもだ。無責任だったかもな、と後ろめたい気持ちはないと言えば嘘になる。しかし後悔は皆無だった。
そのわずかばかりの後ろめたさも、ふわふわのパンケーキを頬張った瞬間にどうでもよくなった。
僕がいなくても何とかなる。
組織というものは誰かが抜けた穴を誰かが埋めるようにできているのだ。むしろ穴を埋められない組織こそ駄目な組織で、ハンクはそこまで父を見くびってはいない。父ヨー・テイラー率いる劇団スペリアンスはハンク一人抜けるだけで崩れるような脆い組織ではない。
ハンクの演じていた役は他の俳優によって演じられるだけのことだ。スペリアンスには実力のある俳優が揃っている。
興行面の売れ行きだって、ハンクと双璧の人気女優シェーミが下支えするはずだ。プライベートではシェーミの積極性に辟易しているところだが、女優としての彼女は高く評価している。
窓から外を眺めていると見知った顔が二つ、通りを歩いていた。一つはくせ毛の少年、もう一つは商品の積まれた運搬台車を押すビクトリー号の船員である。
くせ毛の少年はあっちをちょろちょろこっちをちょろちょろ。通りに並ぶ店に鼻先突っ込んでいる。試食して回って楽しんでいる様子だ。船員サンダースは保護者というか、もはや犬の散歩をしている飼い主状態である。
第一印象「あんまピンと来ねぇな」とか吹いていたくせにしっかり楽しんでんじゃん。一安心したハンクは目を細めて座席にもたれかかった。
ジョージが下船しているということは、入国審査が終わったということだ。リュックを背負ったままなところを見ると、彼が後生大事にしているリュックの中身も検査を潜り抜けたらしい。
ジョージのリアシー行きが突然決まったことと、リュックの中身には関係があるに違いにないとハンクは確信していた。初めて会った時、そしてカール城で再び会った時も、ジョージは旅荷を楓の鞍に結わえていて本人は剣以外手ぶらであった。それが今はリュックを肌身離さずだ。
何か大事な物でも運んでいるのか。だとしたらどこに。誰に。
リアシーのどこかの街かな。ハンクが行ったことのある街はコーラリまでだ。ナノリ、コーラリ以外の街はハンクにとっても未知の世界である。
あるいは――。ジョージは妙にモリアーティーの話題に執着していた。本当にモリアーティーに行くつもりなのか。
ハンクは海の向こうのカール王国第三王女に思いを馳せる。君に話すネタが増えそうだよ。増えすぎて覚えきれないかも。日記につけておこうかな。
僕が世界を見る目になる。君の代わりに。どんな街にどんな人がいて、どのように暮らしているのか。どういう日々を送っているのか。そして僕が何を感じたか。僕が世界を君の部屋に持ち帰るまで、どうか待っていて欲しい。
願わくば、いつか君が自分の目で足で、世界の中を歩めますように。
ハンクに気づいたジョージが、渡り鳥の館の窓際に駆け寄ってきた。両手に串を持っていて、後ろでサンダースが財布をしまっているのが見える。傘と軸の境目に立派なたてがみを持つシシキノコの串焼きである。カールでは見かけないキノコだ。
ハーブティーやパンケーキは大変上品で美味だった。だが、友人との大味な食べ歩きもそそられる。ハンクは会計を済ませると、ドアベルをからんと鳴らした。
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