第四章 潜入ミッション!

たった一人の旅路

 楓は天幕から少し離れた所でしきりに地面を漁っている。

 グランドウッドを抜けた先の緩やかな丘陵地帯。夏にもなれば一面緑の草原なのだろうが、真冬の今、そんな爽やかな光景はお預けである。

 丘を一つ越えればアスマラの町がある。ほのかな街明かりと煙突の煙が、ジョージの設営した天幕からもちらついていた。

 楓は当初アスマラの町に向かおうとした。しかし拒んだのはジョージだ。居心地の良い宿に泊まってぬくぬくとしたベッドで安らぎを得ようなど――とてもそんな気分にはなれなかった。

 ジョージは幕内で寝転がり、「じょーじへ」の手紙をランプの明かりにかざした。もう何度目か知れないくらい読み直している。

 さぞ重要なことが書いてあるのだろうと身構えながら封を切ったのがバカバカしい。もしパックが目の前にいれば襟首を掴み上げていたところだ。中身の便箋は剣の練習メニューでびっしり埋まっているだけだった。嘘だろ、と泡を食って封筒をひっくり返し、振ったりもしてみたが徒労に終わった。苦し紛れに火に近づけてみたりもしたが、炙り文字が浮き出る気配もなかった。

 ガッドがカール王に宛てたという手紙は、万が一にも落とさないように旅荷の奥の方にしまいこんでいる。手紙をカール王に届けることがパックの最後の指示である。

 てか、オレの戦いって言われても――。

 弱音を吐くつもりはない。所詮はただのお遣いかもしれないが、責任を持ってやり遂げる気概もある。しかし、与えられた仕事を終えた先に自分が何をすればいいのか、見通しは全く立っていなかった。マントの男を追いたいが、奴の次の目的地はどこなのか、皆目見当がつかない。

 ジョージは練習メニューの便箋を封筒にしまって枕元に置き、ランプの灯を消した。冬仕様の分厚い寝袋に潜り込む。

 とりあえず、キユリとの約束は守れそうもないな。ジョージは心の中で謝った。お前がグロイスに引っ越すの、しっかり見送ってやるつもりだったのに。

 目を閉じると、今更のように瞼の重みがのしかかってきた。ジョージの意識はあっさりと星空に飲まれていった。


 次の日の早朝。

 楓の足取りは軽やかだった。風になったように丘陵地帯を駆ける。騎手たるジョージは操馬術を持ち合わせておらず、それどころかグロイスへの道すら知らないという体たらくだったので全面的に楓にお任せだった。指示もまさかの口頭である。それでも楓は忠実な足であり続けてくれた。

 アスマラ川は徐々に川幅を広げていった。昼過ぎにはリバーサイドという町に到着した。グロイスとアスマラの中間あたりに位置しており、川の両岸に馬小屋、宿、商店に喫茶店などが立ち並ぶ宿場町として栄えている。

 旅荷の中には多少のお金も入っていたので、目に留まった店でパンを買った。プレーリー村ではふっくらとしたブレッドや固めのバゲットばかりが売られているが、この店では木の実やチーズが練り込まれているパンや三日月型のサクサクしたパンなど、村では見かけたことのない代物がずらりと並んでいた。

 ジョージが買ったのは胡桃パンだ。味の想像がつくからだった。食べ物には冒険しない質である。

「ここからグロイスまではどのくらい?」

とジョージが尋ねると、外面が良さそうに見えた店のおやじは露骨に疑うような表情を向けた。

「お前さん一人かい? 歳は? どこから来たんだね、アスマラか?」

「いや、プレーリー村」

 一度に色々聞かれたが、ご丁寧に全部答えてやる義理もないのでひとまず最後の質問にだけ回答した。おやじはますます怪訝そうに目を眇めた。

「聞かない名前だな」

 なるほど、聞きしに勝るプレーリー村の絶望的知名度である。宿場町の商人ですらこれでは、スガルの山雲亭が宿として日の目を見ることは未来永劫なさそうだ。

「今からだとグロイスに着くまでに日が暮れる。今日はどっか泊って早朝に出立したほうがいい。それにしても、子供一人で旅するような距離じゃないぞ?」

 道中、旅人が野獣や魔物に襲われる例もあるらしい。

「軍も警備を強化してくれているんだが、さすがに目が行き届かんのだろうな」

「腕に覚えはあるんだ。大丈夫」

 ジョージは腰の不知火をちらつかせた。とたんに、おやじの表情が変わった。

「お前さんみたいな少年が傭兵剣士かい? 苦労してるんだな。世知辛い世の中だ」

 この重たい空気は……哀れみだ。何を勘違いしたのか、同情した様子のおやじは「頑張れよ」と言い添えてパンを一つオマケしてくれた。勝手にかわいそうな子ども扱いされたことが癪に障ったが、オマケのパンに免じて許してやった。うちにもお前さんと同じくらいの歳の息子がいてな……、と長くなりそうだったのでお礼を言って早々に立ち去る。

 並みの馬で日が暮れるなら、楓の馬脚ならば夕方までにはグロイスに到着しそうなものだ。ジョージはパンをちぎって楓と分け合い、すぐにリバーサイドを出発した。

 再び川沿いの丘陵地帯を走る。リバーサイド―アスマラ間ののっぱらとは打って変わり、整備された街道が伸びていた。また、時折巡回中の武装兵を見かけるようになった。パン屋のおやじが言っていたカール軍の兵士だろう。

「将来は軍に入るのだ」とクリスティーに啖呵を切ったジョージが、初めて本物の軍人を見た瞬間だった。記念すべき第一印象は「あんまり強くなさそう……」と締まりのないものだった。重装備の鎧をガチャつかせながら歩いているが、かえって動きづらそうだ。一概に鎧の着用を否定するわけではないが、装備の扱いに熟達しているようには見えなった。しかし、いかんいかんと首を振る。金輪際油断はしないと心に誓ったはずだ。見かけで判断するなど言語道断である。

 楓は午前中に体力を温存していたらしく、午後は気合い十分だった。おかげで、夕方どころかまだ日が高いうちに、ジョージの行く手を遮るように東西に延びる影が浮かび上がってきた。

 いざ実物を目の当たりにすると学校の地理の授業が頭に蘇り、ジョージは少し動揺した。勉強なんか役に立たないと思っていたのに。目の前に横たわる石造りの巨大な防壁が何物であるのかわかるのは学校のおかげだ。

 首都グロイスはカール島南端の海に面している。街の南側は海洋が天然の砦となる一方で、無防備な北側を守るために何百年も前に建設されたのがこの防壁である。地図で見ると、防壁はまるでふたのように街にかぶさっている。当時の建築家は建造物のネーミングセンスに欠陥があったらしく、その名もグロイス・ウォールという。そのまんま過ぎてジョージにも覚えやすかった。

 楓は徐々にスピードを落としていった。楓にとってはスキップ程度のものだろうが、それでも通常の馬の全速力よりは速いところが恐ろしい。

 防壁がぐんぐん近付く。きちんと補修されているのだろう、はるか昔に造られたものなのに防壁は立派に役割を担える状態にあった。

 街道はグロイスの正門に繋がっていた。防壁の切れ目に開け放たれた門の両脇には、鎧をまとう守備兵が威風堂々と構えている。手を後ろに組み、腰の短刀以外に武器は装備していない。きっと治安が良い街なのだろうなとジョージは判断した。治安が良ければ平時から過剰な装備をする必要はないからだ。キユリの引っ越し先として適当かどうか下見をしてやろう、という幾分尊大な心持で、ジョージは門をくぐった。

 まっすぐ緩やかな下り道。赤いレンガ造りの建物に挟まれた通りだ。両脇に店がずらりと軒を連ねている。店といっても、石畳の上にシートや箱、台を置いて、商品を並べているだけの露店だ。色とりどりの野菜や果物らしき物、魚など。川魚しか知らないジョージは、おでこにコブがあったり鼻先が鋭く長かったりする魚を物珍しく眺めた。

 店を冷やかしながら通りを下っていく。買い物袋を提げて品定めをするおばさんたちで通りはごった返していた。馬に乗って進むジョージは明らかに異分子で、おばさんたちは邪魔者を見るような表情を向けつつも、しぶしぶ道を開けてくれた。

 噴水のある広場に出た。子どもたちが噴水の周りをクルクルと追いかけっこしている。隅の方には木製の大きな掲示板が設置してあり、いくつもの張り紙がピンで留めてあった。迷子の猫(名前は銀次)を探しているというもの、いらなくなった乳母車を譲るというもの、バグマン将軍が魔物の群れを単騎で退治したという軍の広報、お隣リアシー共和国で開催される武闘大会の宣伝、ヘミン礼拝堂で来週バザーをやるというお知らせ……。

 先ほどまで見通しを妨げていた建物の圧迫感がなくなり、開けた視界の先には……海だ! ホンモノ初めて見た! まだもう少し続く下り道の向こうで、水面みなもがキラキラと輝いている。見渡す限り果てまで広がる光景は壮観で、いつだったかアーレンが見せてくれた写真の中の海とはまるで別物だ。青い空に青い海。筋のように走る雲が美しい。波が岩に当たって弾け、白い飛沫が上がっている。海のずっと向こうに霞んでいるのは島の影か?

 帆船がいくつも停泊しているので、どうやらジョージのいる道は港に繋がっているらしい。

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