第三章 キュベレ山の戦い 6

「良かろう、パック・オルタナ。私の目的はこの場でお前を始末することだ。小僧に手は出さぬと約束しよう」

 マントの男はジョージに一瞥をくれたように思えた。思えた、なのは、相変わらずのフードで顔が見えずはっきりしないからだ。

「その代わり全力で来い。全力の貴様を――」

 マントの男は右腕を真横に伸ばした。

「――倒す」

 放たれたのは漆黒の魔導砲だった。ややあって、はるか彼方で真っ黒のキノコ雲が上がり、さらに遅れて凄まじい轟音が鼓膜を打ち鳴らした。


―天地を従えし皇帝の神槍―


 キノコ雲が上がると同時にパックの口から紡がれたのは呪文だった。

 マントの男の魔導砲は対魔法結界の破壊を目的としたものだったのだ。「私は逃げも隠れもしない、お前にも呪文の行使を認める。だから全力で来い」というマントの男の意志を、パックは真っ向から受け止めていた。ジョージはまばたきするのも忘れて見守る。


―生死を定めし帝王の大剣―


 マントの男も呪文で応じた。

 呪文詠唱というのは隙だらけなので、相手が悠長に唱えている間に叩くことは有効な手段である。実際、呪文がろくすっぽ使えないジョージならそうする。

 しかし二人はそんな無粋な真似はしなかった。相対しながら、ただひたすらに自己の魔力を高めていく。


―罪ありし者に虚空の断罪を、死すべき者に永遠の安息を―

―生ありし者に復讐の憎悪を、消えゆく者に介錯の慈悲を―


 荒れ狂う嵐のような二つの魔法力に圧倒される。パックの左手は電荷が網のようにほとばしっていて、猛烈な電光に直視できない。一方、マントの男からは凄まじい熱波が押し寄せていた。


―大気を分かち、命を散らせ―

―苦痛を満たし、闇夜を燃やせ―


 呪文詠唱の完了は全くの同時だった。


雷の槍インペトゥス・フルミーニス

悪霊の焔インケンディウム・オブスクーリー


 パックが放った二股の雷槍を、豪火の大蛇が喰らいつくように迎え撃つ。凄まじい白光が目を射た。

 ジョージは稲妻と炎が織りなす爆風に吹き飛ばされ、二十メートルの地割れの谷を横切り、さらに三十メートルほど滑ったところでようやく止まった。この間、ジョージが全神経を集中していたのは、とにかく不知火を手から離さないことだった。絶対に剣は手放さない。白烏の森での無様な真似はもうたくさんだ。オレはパック流の剣士で、不知火はその証なんだ。

 引き裂けた空間を元に戻すために暴風が怒り狂っていた。二つの最高位呪文の衝突による衝撃で周囲に吹き飛ばされた大気が、今度は怒涛の勢いで押し寄せてきたのである。

 岩やら木々やらが躍る大嵐の中、二人は超然と対峙していた。

 爆散した電荷が再びパックの左手に集まり、槍を形成する。破邪剣との二刀流だ。

 同じく爆散した炎はマントの男にまとわりつくように収束し、再び大蛇となって鎌首をもたげていた。

不死鳥の舞フェニキス・アラス・インケンデンス

 大蛇の背から、煌めく炎を巻き上げながら一対の翼が現れた。

 虹色に輝く豊かな翼。

 炎の大蛇は長い尾羽をなびかせる炎の飛禽へと姿を変え、鋭い爪を備えた足がマントの男の肩を離れた。飛翔する炎の不死鳥は、まるで真昼のように森を照らす。

 不死鳥が翼を薙ぐ。放たれた幾千もの不死鳥の羽根が、炎の弾幕となってパックに襲い掛かった。

 パックはマントの男に背を向けるほどに体を捻り、右腕を体に巻きつけた。白い光が剣を螺旋状に包む。

 体を開くと同時に破邪剣を一文字に薙いだ。白い光が竜巻のようにパックの周りを旋回する。一振りで周囲三六〇度を無限に切り刻むパック流奥義「散花旋舞」は、飛び道具に対する斬撃の防御壁にもなる。業火の弾幕は、散花旋舞に巻き込まれて次々と消滅していった。

千雷槍雨キーリアデス・ケラウノース

 パックが掲げた槍から天に向かって光の柱が立ち上がった。

 次の瞬間、いつしか空を覆っていた厚い黒雲から、幾千もの稲妻が地表に降り注ぐ。雷の槍が広域殲滅呪文と化した姿である。

 尻餅をついたまま戦いを見守っていたジョージは、毎度おなじみ、猫のように襟首をつかまれ、気づいた時には再び楓の背に乗っていた。楓は戦いの余波をうまく逃れながら、戦場から付かず離れず走る。

 ジョージの前にはパックが跨っていた。

「先生!?」

 ジョージは唖然として振り返った。背後では依然戦いが続いている。じゃあここにいる先生は!?

「うろたえるな、馬鹿。時間がない」

 よく見ると、眼前のパックは輪郭がかげろうのようにぼやけ、少し透き通って見える。

「実はあんま得意じゃねぇんだ、魔法囮」

 あっ。合点がいった。魔法力で形成した囮、すなわちパックの分身体というわけだ。

「まずはこれ」

と、手渡されたのは二通の封筒だった。一通は表に何も書かれていない。もう一通は、

『じょーじへ』

と、汚い字で書き殴られていた。

「そっちはお前用。後で読め」

 直感が騒いだ。

 何だ、後で読めって。マントの男を倒してから直接言えばいいだろ。倒してさっさと村に帰るんだろ? こちとらキユリの見送りだってしないといけないんだ。

「もう一通はカール王へ。村長からだ。俺の代わりにお前が届けろ」

 だから、自分で届ければいいじゃないか。頼まれたのは先生だろ、何でオレが――。

 パックの分身体が揺らいだ。四肢の末端からゆっくりと消えていく。まるで砂の塊がサラサラと崩れていくように。ジョージは自分の顔が引きつるのを感じた。

「くそ、マジで時間がねぇな。楓、頼む」

 楓は後ろ足で立ち上がると体を反転させ、戦いの真っただ中へと駆けていく。

 戦場となったキュベレ山南側の山腰は、もはや原型を留めていなかった。真っ黒に焼けただれた地表を、無数の雷の槍が穿っている。楓はぐつぐつと赤く煮えたぎる地面を避け、雷の槍の合間を縫うように走った。

 その先で煌めいていたのは二振りの剣であった。

 一合。大地がめくりあがって尾根の向こうに消えた。

 もう一合。黒雲が割れた。

 マントの男の背から腹にかけて、槍が二本刺し貫いていた。一方で、パックの左腕は真っ黒に煤けてだらりと垂れ下がっている。

 先生! と呼ぶ前に、パックがジョージに気づく。

 パックを呼ぶはずだった声は悲鳴に変わった。パックがほんの一瞬ジョージに意識を向けた隙をマントの男は見逃さなかったのだ。

 パックの左胸をマントの男の剣が貫く。

 倒れたパックは剣で地面に縫い付けられた。

 マントの男は自身の腹から槍を引き抜き、握りしめた。バシンという乾いた音とともに雷の槍は弾け消えた。

 馬から飛び降りて加勢しようとするジョージを、すでに肘から先が消えてしまったパックの分身体が制する。

 何で! オレだって戦える! 蹂躙されるのをただ見てろっていうのか!

 あんたがくれたこの不知火は! 何のためだ!

 戦う力をくれたんじゃないのか!

「これは俺の戦いだ。お前は手を出すな!」

 再度ジョージの動きを封じる言葉は、分身からではなかった。地面に倒れ伏すパック本人の口から発せられたものだ。悔しくてもどかしくて噛みしめた下唇からは血の味がした。

 パックは胸を貫く剣を引き抜いた。刃をつかんだ指が朱色に染まる。

 跳ね起きてマントの男に躍りかかる。マントの男は怯んだようにのけぞった。組みついたパックは、フードをがむしゃらに引きちぎった。

 あいつが。あの顔が!

 決して露になることのなかったそれは、青白い顔だった。傷も汚れもなく、殊更に作り物みたいだった。綺麗でハンサム。男が見とれてしまうほどだ。歳はパックと同じくらいだろうか。血の気のない顔からは、とても生気が感じられなかった。

 その時だった。地鳴りのようにパックが声を張り上げた。


「逃げろ!!」


 再び反転して疾走した楓。ジョージは慣性で頭が揺さぶられた。プレーリーが誇る至高の馬がやみくもに山を駆け降りていく。

「戻れ!」

 ジョージは怒り狂って真っ赤なたてがみをつかんだ。つかんでしまってから、ぎょっとして我に返った。前に座る分身体の腹部を、自身の腕が素通りしていたからだ。

「あの男の顔、忘れるなよ」

 今や分身体はほとんど霞のようだった。

「ここから先がお前の戦いだ」

 とりあえずお遣いからだな、と大笑いするパック。

 イヤ、笑えねぇ。

 オレは馬鹿だった。先生がいれば万事うまくいくと思っていた。村にもすぐ帰れて、いつもの生活が送れると思っていた。朝起きて、学校行って、剣の修行して……。

 オレは昨日何を味わった。キユリを殺されかけた。屈辱が散々身に染みた。力の差を痛感した。そのくせに、一晩経ったオレは何だ。先生がいる。すぐに片付く。村に帰れる――。心の余裕? ふざけるな。村を出て、パックの威を借りて半ばピクニック気分だった自分にひたすら腹が立った。

「お前はできる。頼んだぞ」

 単刀直入な激励を遺し、分身体は光の粒子となって消えた。

 ささくれたジョージには、その単刀直入さが沁みた。

 欲を言えば――。

 分身ではなく、パック本人の口から聞きたかった。


 気づけば楓は、グランドウッドを抜けていた。

 空にはまるで宝石箱をひっくり返したような満天の星空が広がっていた。

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