03【閑話休題】(母と娘の殺人)

本末転倒


 売らなければならないと思っていた。

 老いた母が大切にしていたかんざし。金の地金で福寿草と南天を模った豪華な品だった。南天の実はザクロ石で、若い頃は人気の遊女であった母には良く似合ったという。とうに死んだ父が、母を身受けする前に贈ったらしい。

 事情はよく分かっていたが、それでも、そのかんざしを売らなければ、私と母は明日にも食い詰めるほど切羽詰まっていた。

「嫌だよ。これを手放すくらいなら飢え死にしたほうがましだ」

「お母さん、私はお母さんに生きていて欲しいから。一時でいいのよ、それを質草にしてやり過ごしたいの。お金が入ったら買い戻すから」

 母は暗く剣呑な眼差しで私を睨んで吐き捨てた。

「嘘だ。金の入るアテなんか無いくせに。これはあたしのだよ。死んでも手放すもんか」

 それは確かに事実かもしれなかったが、私は間違ってはいない。売って、粟粥をすすってでも生き永らえねば……命をかけて守ったところで、死ねば誰かが持っていく、という思考は母には無いようだった。生きていれば取り戻すことも出来るかもしれないのに。

 私は辛抱強く母を説得した。母は子供のように頑是なく泣き、喚いて、しまいには私を殺すとまで言って抵抗した。

 母は、錆の浮いた火掻き棒を持っていた。

「お母さん、いくら大事なかんざしだって、死んだらなんの意味も無いのよ。お父さんだって、お母さんがそんなものに縛られて飢え死にするよりは、売って生き延びてくれた方が良いと思ってるわ。それに……」

 私は説得したのだ。

「どうせそんなかんざし、もう似合いやしないじゃないの」

 その一言が、母の理性を切れさせたのだと思う。

「なんてことを言うんだ」

 ああ、酷い事を言ってしまった。

 母は鬼の形相をしていた。肩に火を当てられたような熱が走り、私は母に殴られたのだと悟った。やめて、と懇願したが、母は振り上げる手を止めなかった。

 焼かれるような痛みは何度も何度も私を襲った。

 だから、私は火掻き棒を掴んで……

 気がついた時、母はかつて美しかった顔を血に染めて横たわっていた。

「お母さん……嘘でしょう……」

 私は、違う。

 こんなつもりじゃなかった。

 ただ、母に明日も飯を食べさせてあげたかっただけなのだ。

 母を死なせたくなかった。

 二人で生き延びたかった。

 それなのに、ただそれだけなのに……

「ああ、手が汚い」


             fin.

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