将来におびえる学生たち

 それから三カ月後、村瀬は本郷大学の教壇に立って講義をしていた。朝倉には反対されたようだったが、ゴリ押しして若者の興味を喚起するような講義をしているつもりだった。

 だが、学生たちの表情を見ると、どこか恨めしそうに見える。こちらに視線を向けていても焦点が定まらず呆然としている者。何かに落胆したようにうつむいて前方を見ようとしない者。村瀬の熱意は空回りしているようだった。

 大学の授業はつまらないと相場が決まっている中でこんなにおもしろい講義をしているんだぞという自負があったが、学生たちとは何かが合致しないようだった。その原因は何だろう。それがわからないまま講義は終わった。

 午後は今年度に卒業論文を書く学生と個別に面談して打ち合わせをすることになっていた。卒論はこれまでに書いたことがない分量で、学生を恐れさせるには十分だ。村瀬も学生の頃はこれまでの勉強の集大成をするんだという気概に燃え、恐れを乗り越えた。学生にもこの難関をせいぜい楽しんで乗り越えて欲しいと願った。

 だが、この日それが楽しむとはほど遠いことだと痛感させられることになるとは知るよしもなかった。


 研究室で待っていると、ドアをノックする音がして一人の学生が入室してきた。名前は鹿島美咲という。大学という雑然とした世界にふさわしくない凛とした雰囲気をまとった女という印象だ。

「私は大学院への進学を希望しています。これから末永くよろしくお願いします」

「ああ、よろしくね」

 そう返事をしたが、結婚するみたいな言い方が違和感よりも実情にフィットしたような気がした。日本の大学は徒弟制に喩えられる。学生にとって指導教官は学術的な指導をするだけではなく、一生を左右する存在だ。だから末永いのか。

「私の卒業論文のテーマは後期のベートーヴェンにおける精神性の成熟です。初期のベートーヴェンは古典的な香りを残していますが、難聴が進んだころから作風が変化します。それからは苦悩との戦いです。彼の交響曲九番は全体の流れが苦悩を乗り越え、歓喜へと至るストーリーを形作っていますが、それは彼の人生の縮図ということもできます。晩年に苦悩を克服して奥深い境地に至ったと言われますが、楽曲の持つ構成に着目してベートーヴェンの人生が苦悩から歓喜へと至る道筋を探求しようと思います」

 それを聞いて村瀬は率直に感じたことをアドバイスした。

「ベートーヴェンの生きた時代は激動の時代だったよね。若い頃にはフランス革命が起こり、その後ナポレオンの台頭と失脚を経て、ウィーン体制が成立したんだ。そういった政治的な状況も彼の作風の変化に影響を与えたんじゃないかな。ベートーヴェンはそれまでの音楽と比べると精神性の権化のように言われるけど、違うのは作品の内省的な精神性だけじゃなく、時代背景だったんだ。そういったコンテクストに置き戻してみると、新しい知見が見つかると思うよ」

「今の私はそんな大胆な方法論を持ち込む立場にはありません」

 鹿島はそう即答した。どういうことなんだろうと思っていると、鹿島はこう述べた。

「まだ修行中の学生が始めから音楽史の全貌を解明するような研究をすると、教授たちの反感を買ってしまいます。これから研究者への道を志す身としては、初めは個性の発露を抑えた地味で手堅い論文を書く必要があるんです」

「じゃあ、さっき君が言ったことは本当にやりたいことじゃないのかな?」

「そうです」

「そんなことを言って萎縮するのはつまらないだろ。せっかく論文を書くんだから、やりたいことをやったらどうだ?」

「私がやりたいことと先生たちが私にやらせたいことが一致しないんです」

 その一言はこの業界の実情を言い当てたようだった。村瀬も重々わかるのだが、チャレンジ精神を鼓舞しようとした。

「そうかもしれないけど、まだ若いんだから冒険心を発揮してみないか?」

「冒険は危険を冒すという意味です。今の私にはそんな勇気はありません」

 鹿島の冷めた答えは誰もが漠然と思っていることを言葉に表わしたものだった。

「午前の先生の講義を受講して思ったんですが、そんなエキセントリックな研究は学生のうちはできないんじゃないですか?」

 その通りだ。村瀬も以前は自分の名義では、そんな奇抜なテーマの論文を書かなかったのだ。

「しかし、卒業論文はこの大学の数人の教官しか読まないし、最後の一作じゃないんだから、そこまで失敗を恐れる必要はないだろう」

「人生は立ち上がりで決まります。現代では平均寿命は八十歳を超えますが、それが半分も終わらないうちに学歴と職業が決まり、その後は維持するだけになってしまいます。そして前半で固まったことを後半で変えるのは難しいんです。私はこの時期だからこそ失敗を恐れなければならないんです」

「しかし、学術的に価値が高い論文は失敗にならないと思うよ」

「学術的に価値が高いってどういうことですか?」

「それは正しいことを述べることだよ」

「論文を書く際に正しいことを述べる必要はありません」

 どういうことだろう。瞭然と断定した鹿島に村瀬も当惑した。

「私は以前、進化心理学を研究しているある教授からこんな話を聞いたことがあります。その教授は恋愛や結婚も含めた広義の性の規範に関する意識は男女でどのように異なっているかを研究していますが、するとフェミニストからはアレルギーのような反応が返ってくるそうです。そんな話は聞きたくない、男女の違いは全て後天的に作られたんだと。その教授の説は科学的な観点からは正しいけど、人文系のジェンダー論では男女の違いは全て後天的に作られたことを前提にしているわけです。

 同じことは美学にもあります。美学の古典として名高いカントの『判断力批判』を読むと、理性と悟性の働きや美と崇高の認識について思弁的に語られていますが、私はそれを心理学の理論体系と照合すると、どう位置付けられるんだろうと思いました。そうすると心理学的にそんなことは根拠がない、誤っているという箇所も出て来るはずです。それでも美学の研究者は依然としてありがたがって拝読しているし、美学はそうやるものなんです。既存の学説や方法論から逸脱しないように留意し、その範囲内で理論を成立させればいいんです。それを考えると、論文の中では正しいことを述べる必要はないと思います」

 鹿島の説に村瀬は脳を揺さぶられたかのような衝撃を覚えた。論文は正しいことを述べるために書くんじゃなかったのか。美学でもジェンダー論でも、本人は自分の説が正しいつもりで書いているはずだ。そう思うと、自分の方が教官なのに鹿島に教えを請いたい気になった。

「それでも学問は真理を探究するものなんだ。その点では方法論が隔たっていても、どんな研究も共通しているんじゃないか?」

「学問の目的は真理を解明することにはありません。嘘だと思っても信じたふりをしなければ研究者になれないんです。部外者から見ればくだらないと思えることでも、それで研究室に残れるなら信じたふりをします。真理を解明するのはそれからです」

 嘘だと思っても信じたふりをしなければならないことはある。例えば聖母マリアの処女懐胎は事実のわけがない。そんなこともカトリックの教会の内部で序列を上げるためには信じたふりをしなけばならなかったし、中世なら異を唱えた者は異端と見なされ、処刑された。

 バカの語源も正しいと思ったことを正直に言うことから来ている。始皇帝の死後、政権を握った趙高は宮中に鹿を連れて来て「珍しい馬が手に入りました」と二世皇帝に献上した。皇帝は「これは鹿ではないか」と言ったが、趙高は「これは馬です。君たちはどう思うか?」と黙り込む群臣に訊いた。すると趙高の権勢を恐れる者は馬と言い、屈しない者は鹿と言った。趙高はその場はちょっとした余興ということで納めたが、後日、鹿だと答えた者を軒並み捕らえて処刑した。

 それは現代の大学でも変わらない。正統な教えに逆らう者は研究者として出世できない。一般の社会から見るとくだらないと思えることでも、それを信じれば研究者への道が開けるのだ。

「それで信じるふりをするなら元になる素材はあるのか?」

「ありきたりのことを書きます。論文は結婚式のスピーチのようなものだと思います。みんな同じようなことしか言いません。論文もありきたりのことを言えばいいんじゃないですか。下手に個性的な論文を書こうと思えば裏目に出ます」

 村瀬には鹿島の思惑がよくわかった。創造的なことをする気はなく、体裁だけを整えるつもりだ。どうすれば失敗しないかを最優先している。野球で言えば、ランナーがいる場面でヒットをねらわず、送りバントを正確に決めるわけだ。

「そうか。じゃあ好きなようにやりなさい」

 村瀬もそれ以上アドバイスをしなかった。と言うよりは、しようとも思わなかった。学生の卒業論文は教授の紀要論文より読者が多いし、内容を審査される。だから失敗を恐れるのも無理はないか。

 そう言えば、自分もこれまで古参の教授たちの無理解と戦ってきた。だったら初めから戦いに巻き込まれない方が本人のためになるのかもしれない。鹿島は学生の頃の自分よりこの業界の内情に通じている。鹿島のような人の方が要領よく世間を渡っていけるんだろうな。そう思ってうつむくと、安心とも嘆きともつかない感慨が起こった。


 鹿島が退室すると入れ替わりにもう一人の学生が入って来た。

「初めまして。沖田浩一です」

 その学生はそう名乗った。今度は少なくとも外見は先ほどとは違って特徴がなく、純朴そうな青年という印象だ。だが、沖田は着席するや否や意外な発言をした。

「先生は僕がどんな研究をしても進路を保証してくれますか?」

 唐突に妙なことを言ったが、ある意味では学生らしい発言だった。

「どういうことだ?」

 そう聞き返した村瀬に沖田はこう語った。

「僕は大学院に進んで表象文化論の研究をしたいんです。その動機は朝倉先生の論文を読んだことです。朝倉先生は古典のテクスト研究に限らず、サブカルチャーや社会現象をも射程に入れたアクチュアルな研究を展開しています。それを読んで僕もこの人のもとで学びたいと思うようになったんです。でも、研究室に出入りするようになると、事情は全く違っていました。美学の王道は古典の訓古であり、それを十分に行わないうちから現代の時事的な問題を扱うのは十年早いとか、サブカルチャーのような精神性が欠如したものが美学の研究の対象になるはずがない、なんて言うんです。それは僕が描いていた人物像とは全く別人のようです。そこで村瀬先生なら僕の研究を理解してくれそうだと思ったんですが、どうですか?」

 そう言われて村瀬は答えに窮した。専任講師になればこっちのものだと思っていたが、一人の学生の将来を保証できるほどの力はないのだ。沖田の気持ちを察すれば「任せてくれ」と即答したかったが、北沢に「専任講師になったからといって何でもできると思わないでください」と言われたのを思い出し、こう答えた。

「残念だけど、俺は今年赴任したばかりの新入りだから、まだ君の進路を保証できるほどの権限はないよ」

「専任講師でもだめなんですか……」

 沖田は落胆したような表情を見せた。どうやら沖田はこの業界の仕組みを知らないようだった。そう思って村瀬はこう諭した。

「言論の自由や学問の自由という言葉はあるが、タテマエだ。もし誰かが侵害しようとしても誰も守ってくれないだろう。この大学にもハラスメント相談室はあるが、君が相談したことが知られたら研究室に残れなくなるぞ。警察も事件が起きてから動くが、未然に防ぐことはできない。だから犯罪をなくすことはできない。人権なんて紙の上に書いてあるだけだ」

「そうですか……。やっぱり大学では学問の自由は保証されていないんですかね」

 村瀬がこの世の摂理を語ると、沖田は残念そうに漏らした。

「あまり冒険心を発揮せずに、当たり障りのないテーマで書いた方がいいと思うよ」

 先ほど鹿島に言ったのとは逆のことを言ったが、自分でも矛盾しているとは思わなかった。短い間に考えが変わったからだ。

「そうですか。それでは考え直してみます」

 そう言うと沖田は退室した。

 その直後、村瀬は何とも言えないやるせない気分になった。

 指導する側は客観的にアドバイスできるが、学生はやりたいこととやらない方がいいことのギャップに気付かないものだ。沖田のような学生はこの業界で立ち回れるのだろうか。それでも自分の指導のもとでなら、何とかなるだろうと思った。

 だが、半年後、意外な形で転換点を迎えることになるとは知るよしもなかった。

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