まためぐり逢う
黒中光
第1話 見覚えのある女の子
俺は近所にある田んぼのあぜ道を歩いていた、手にはコンビニの袋。中身はポテチとマンガが一冊。特に必要だったわけでもないが、なんとなく買ってきた。
道のわきに雑草が青々と生えている。コンビニまでの近道としてよく通るが、全然変わらない。
このあぜ道を抜けると神社の前を通る。俺は毎回ここを通ると、社のほうを見てしまう癖がある。柱のいたるところに傷があって、屋根が緑の社だ。ここまでの行動は何となくでしていたことだが、こいつには自分でもはっきり分かる理由がある。
俺は昔、一度だけここで神様に会ったことがある。これはたとえ話なんかじゃない。
……こんなことを言うと、頭がおかしいと思われるか、現実のことだと全然信じもせずにただ、面白がられるかのどちらかだろう。その反応、俺はどっちも嫌いだ。俺自身がしてしまうこともあるが、他人から浴びせられると腹立たしいことこの上ない。
だから、俺は今まで誰にも話したことがなかった。そして、今すぐここで語りもしない。
俺は自分の部屋に戻るとポテチを、普段お菓子をためている箱に入れ、マンガを読み始めた。昔集めていた、SFっぽい世界観のレーザー銃を振り回しているマンガだった。久々すぎたせいか、面白いというよりも懐かしさがこみあげていた。幸いなことに登場人物は大半が古参のキャラばかりで俺でも楽しめた。もしかすると、今までこの面子だけでストーリーをもたせていたのかもしれないが。
俺はどうして集めるのをやめたのか。読み終わってふと思った。あの時、俺は小学生の、そう二年生のころだったか。
途端に、ある光景を思い出す。場所はさっきのあぜ道。空は夕暮れ時で、赤とんぼが飛び交っている。沈みゆく太陽に照らされた雲がとてもきれいだった。
俺の前でつと立ち止まった女の子が道端の花を指さす。スッと細い茎についた真っ赤に燃えるような花。
「私、この花が好きなの」
女の子は、そう言った……。
俺は、急に切なくなって枕に顔を押し付ける。正直、ちょっと辛い。でも、この気持ちに誠実でいたくて、俺はそれをただ耐え続けた。
しばらくそうして気持ちが落ち着いた頃、スマホがピロリンと鳴った。確認してみると、画像付きのメッセージだった。友達からで、彼は遊園地に行ったらしい。
ピースサインをした自撮り画像に、待ち時間が長いとこれ見よがしに愚痴る文章がついている。くだらない。どうせヒマなのを嘲笑ってやろうというのだろう。そんなものを見たところでこっちはちっとも嬉しくない。
俺はスマホを放り出してベッドにバサッと体を投げ出した。しかし、腹立たしいことに実際、することがない。
せっかくのゴールデンウィークだというのにだ。結局、変わったことといえば、近所の駅前であったよくわからないバンドの、無駄に熱く空回った演奏を聴いただけだ。その他は、ゲームとSNSでの友達との意味ない会話。それだけで終始した。まあ、ゲームでなかなか手に入らないレアアイテムを手に入れられたのは良かったが。あと、暇に押しつぶされるくらいならと、宿題を早々に片付けたことも。良かったことはこのくらいだ。
ぼけっとしていると、窓から無駄に晴れあがった空が見えた。なんとといえば良いのか。雲の少ない鮮やかな青色で、梅雨にも入っていないのに夏、という感じがする。
そう言えば今年はやけに暑い。どのテレビでも同じことばっかり言ってる。嫌な年になりそうだ。もしかしたら、九月には四十度を超すかもしれない。
温暖化とやらのせいだろうが、そいつだってこのままいけば夏バテするだろう。もしも、頑なにヒートアップしたいというなら、日本国民全員にアイスをおごらせるべきだ。そうすりゃ、財布がすっからかんになって、そいつも肝を冷やして逃げていくだろう。
くだらないことを考えていると、春先の睡魔がちょこっと月を間違えながら俺のもとにやってきた。俺は抗議するのも面倒で速やかに従った。
「優太~。さっさとお風呂入っちゃって~!」
俺は母親のこの声に目が覚めた。時刻は午後六時。時計なんか見てないがそのことははっきりと分かる。なんせ、俺の母親は一日を時計もびっくりの正確さで過ごそうとする人だからだ。カントとか言う哲学者は、毎日決まった時間に同じ行動をしていて、近所の人はその散歩を見ただけで今が何時か分かったとか言うが、それと似たようなもんだ。もし、二人が時代を超えて出会ったら、あまりのそっくりさに叫び声をあげて逃げ惑ったことだろう。
俺は馬鹿な考えを、名残惜しげにしている睡魔に土産として持たせるとベッドから起き上がった。
着替えを用意しながら、置きっぱなしだったスマホを確認すると、メッセージが二件来ていた。件名は「宿題見せて」というものだった。もう一つは?という質問は愚問だ。どっちも同じ件名だからだ。イコール、そういうバカばっかりが周りにいるわけだ。まあ、俺も他人のことにたいして言えた義理じゃないが。
一番風呂なので、頭を洗っている間に浴槽に水を張る。その様子を見ていたら、急にプールを思い出した。俺は水泳部だから、梅雨明けしたらプール掃除に駆り出される。泳ぐのは好きだが、億劫だ。まだまだ先、と思っても大した慰めにはならない。
あまり湯船にお湯がたまらなかったので待つのも面倒になってシャワーだけで済ませてしまった。
風呂上がりの湯気を体から立ち上らせながら、リビングに向かうともう料理が並んでいた。
「あんた、先に食べといてね」
おふくろは親父が帰ってから一緒に食べる。早いのは俺だけだ。何の意味があるのかと言われれば、何も意味なんかない。ただ、昔水泳教室に行っていたときに俺だけ早めに食べなくちゃいけなくて、その習慣がおふくろの中に残ってしまっただけだ。この人は、刷り込まれた習慣を時計なみに正確にこなす。
俺は味噌汁をよそうと、野球中継からニュースに切り替える。別に対してニュースが好きなわけでもないが、野球を見る気になれなかっただけだ。
ニュースの映像には、若くてかわいい系の女子アナが映っている。百貨店にある物産展で新作アイスクリームを食べている。別段、ものすごくこの女子アナが好きでもないが、かわいい女の人が映っていたらぼんやり見てしまう。中学二年の男子は大体そんなもんだろう。男性なら共感したり、自分が中学生だった時を思い出して頷いてもらえると思う。女性なら、そんなものかと思って流してほしい。
そのコーナーの後は、お天気だった。明日は雨らしい。普段なら、あんまり喜ばしくもないが、気温がぐんと下がるらしいので、さっきまで暑さに嫌気がさし始めていた俺には朗報だ。
サバの塩焼きを半分ほど食べたころ、また別の企画に変わった。今度は、ある町の地元住民の生活を取材するというものだ。正直、そんなありきたりなものをいちいち電波に乗せて報道して何が楽しいのかと思うが、チャンネルを変えるのも面倒だったのでそのままにしておいた。
「さて、本日は――市にやってまいりました」
元気のいい中年アナウンサーが声を張り上げる。俺は、茶碗の残り少ないご飯を取ろうとしていた手を動かしながら顔を上げた。
このアナウンサーが来ていたのは、俺の今住んでいる町だった。映っているのは俺がよく見る駅。いったいいつ取材なんかあったのか。全然知らなかった。
俺は千枚漬けをぱりぱり食べながら流れる映像を見ていた。ついさっき、興味はないといったが、自分の住んでいるところがテレビに出ればやっぱり見てしまうものだ。
レポーターが道行く人に話を聞いている。女子高生二人には「どこに行くのか」とナンパまがいの質問をし、店の表を掃除している人には「何を扱っているのか」とぶしつけに尋ねる。質問のたびにやたら背景が飛んでいるので、たぶん車で移動しながらちょっと降りて取材、また車に乗って取材を繰り返したんだろう。地元民だから分かるが、随分と手を抜いたことだ。
レポーターは駅から東側に進んでいるらしかった。俺の住んでいる側とは逆だ。
ちょっと席をたって、味噌汁をお代わりしてから戻ってくると、映像がすでに夜中になっていた。
一瞬何事かと思ったが、子供祭りに来ていたらしい。子供祭りというのは、地元であるこどもの日のためのお祭りだ。お菓子がもらえたり、ちょっとした屋台なんかが出るので、俺も昔二、三度行った記憶がある。
カレンダーを見てみると、昨日のことだ。ゴールデンウィーク中にいちいち何の祝日だったかなんか気にしてなかったし、この祭りも今では子供だましにしか思えないから、あったことすら忘れていた。
カメラが珍しいのだろう、子供がわらわら集まってきて、いかにも調子のよさそうな男子が満面の笑みでピースサインしている。
レポーターはヨーヨー釣りに挑戦しているが、一個目を取ろうとしてあっさり失敗した。たぶん、締めの絵作りだったのだろう。大きな声で中年男が手を振る。
「以上、平田でした~!」
ついてきていた子供もつられたのか、サクラみたいにタイミングよく手を振る。
その光景に俺はショックを受けた。一瞬力が抜けた手からお椀が滑り落ち、味噌汁がテーブルにこぼれる。
やってしまった。一瞬そちらに視線をやってしまったのが悔やまれる。テレビに向き直った時には、局でさっきの女子アナが「楽しそうですね~、懐かしくて」とかいう当たり障りのないコメントを発しているところだった。
味噌汁をティッシュでふき取ってから、俺は目をつむってさっきの光景を思い返す。よっぽど衝撃だったのだろう。自分でも驚くほど鮮明に思い出せる。
テレビの端っこに映っていた女の子。あの、ツヤツヤのロングヘアーに、小さな耳。そして、クリッとした目に、笑顔の似合う大きめの口とそこからこぼれる真っ白い歯。
間違いない。あれは、戸田あかねだ。俺と幼馴染だった女の子。
そして、六年前に亡くなった女の子。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます