テオドールとタイナ 二人組のスパイ
ル・カレー3b
第1話 3月24日事件
3月24日は僕達ドイツ人にとって特別な日だ。
10年以上前の6月末にオーストリアの皇太子がサラエボでテロリストに暗殺された事件は当時の世界に衝撃を与えた。しかしその後に起こった世界大戦は先の暗殺事件そのものよりも人類の記憶に深く残るだろうと断言する。
当時10歳にも満たずフェルディナント公の事をこの事件で初めて知った僕はもちろんとしても、皇帝陛下ですら短期間で終わるだろうと演説なされた位なので将軍や政治家もたった1ケ月後には4年も続く世界大戦が勃発するとは誰も思わなかっただろう。戦争の初期から導入された機関銃や飛行機の様な新兵器とそれに適応した塹壕戦は長期化と泥沼化を招き多くの将兵の死を招いた。
戦争の4年目にあたる1918年の3月21日に行われたドイツ軍の大攻勢は大きな博打だった。勢いを失えば反撃も受け最悪ドイツは敗戦の危機に陥ったかもしれない・・・。しかしこの4日間、全ての運がドイツに味方した。英仏軍の戦線を一瞬にして崩壊させ3月24には皇帝陛下の予言なされた通りパリを45年ぶりに陥落させヨーテボリでの講和条約にこぎつけたのだ!
無論この戦争で誰も傷つかずに勝利した者はいなかった。戦後すぐに行われた調査では敵味方を合算すると7百万以上という天文学的な数の戦死者が確認された様である。英仏の熾烈な攻撃で肉体どころか心すら破壊された兵士達はドイツだけでも数千どころか数万は超すと言われている。だが決して無駄な犠牲では無かったと僕は信じたい。
3月24日は僕らドイツ人にとって多くの犠牲を経て得た勝利を祝うと同時に死んでいった兵士達への弔いも兼ねた国民的な行事なのだ。この行事は例え大臣でも無視などできない。
そして勝利から10年目にあたる3月24日の今日はいつも通りの行事とパレードに締めくくりとしての将軍もしくは大臣の戦没者への追悼演説で終わる筈だった。そう予想して父のルドルフ・ルツ、母のマリア・ルツに次兄のカール・ルツと僕ことテオドール・ルツはプロイセンの片田舎にある小さな屋敷のリビングでラジオのニュースの続報を待っていた。フランスとの国境に近いエルザス・ロートリンゲン地域の首都シュトラウスブルクで毎年行われる行事は例年通りならいつも朝9時に興奮したレポーターの声がラジオから聞こえてくる筈なのだ。まだかまだかと首を長くしながら待っていたが30分も大幅に予定が遅れても戦勝祝賀の行事に関するニュースはまだ聞けない。待っている間にふとある考えが浮かんでそれを両親に打ち明けてみた。父からは「縁起でも無い事を言うんじゃない」と軽く注意されたが様子を見ると父も僕と同じ考えを思い浮かんでいた様だった。
するとまるで答え合わせかの様に直後にラジオから声が流れて来た。
「皆様、祝賀行事をお待ちの所申し訳ありませんが臨時ニュースが入りました。戦勝を祝うシュトラウスブルクの会場で爆発が起きて30人に上る死傷者が確認された模様です。繰り返します・・・」
愕然としている家族の中でただ一人ため息をついていた僕に暇など与えないかの様にすぐさまリビングの片隅に置いてあった電話が鳴る。母が取ろうと立ち上がるのをすぐに僕が制止した。
「ボクが電話にでる。」
代わりに電話を取った方が良いと思ったのは他の家族に変な詮索はされたくないからだった。僕の職業はそれだけ特殊な物なのだと今は言っておこう。
「ルツ、仕事だ。すぐに
電話越しに聞こえた聞き覚えのある冷たい声は戦争に参加できなかった僕への戦後の招集命令だった。
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