あかるいみらい

 眩しい朝日が顔に当たり、私は意識を取り戻す。


「う? こ、ここは……街道沿いか……?」


 呟き、己の身体を見下ろす。……ひどい有様ありさまだった。

 服は泥と汗に塗れ、所々に吐瀉物としゃぶつが付着してる。

 身体は、擦り傷と打撲だらけだ。だが幸いにも、骨折はしていないようで、動きに支障はない……ぶるり、寒さと恐怖に身震いしながら立ち上がり、叫んだ。


「なんてことだ……イーサンは正気ではないっ! 即座に城に戻り、この件を報告しなくては!」


 しかし、これは厄介な事になったぞ……!

 イーサンは、信じられないほど強い男だ。彼が敵に回るなら、討伐隊を組む必要がある。

 はたして、騎士団のメンバーだけで、彼に勝つ事ができるだろうか?

 できれば殺したくないが……生死をかけた戦いになるのは、避けられない。

 私は、イーサン=パーカーを倒すための作戦に、頭を悩ませる。ああ、それにしても……ひどく、喉が渇いた。


 私は導かれるように、テクテクと歩き出した。気づくと、目の前には小川が流れている。

 即座に両手で水を掬い、喉を潤した。

 それから、顔を洗う。何度も、何度も、しつこく洗う。

 冷たい水で汚れを落とし、身体の傷も丁寧に清め、打撲を冷やし、それでようやく、人心地ひとごこちついた。


 次に私は手を伸ばし、小川の傍らに実っている、野苺を摘んだ。

 口にすると甘酸っぱくて、身体の疲労がやわらいだ。

 失った体力が、少しずつ回復していくのがわかる。


 ……遠くの方でガラガラと、馬車の進む音がした。

 私は、即座にそちらへ走った。

 街道に出ると、馬車が近づいてくるのが見えた。

 道の真ん中で両手を振って、呼びかける。


「おーい! すまない、止まってくれないか!? 私は騎士だ、怪しい者ではない!」


 馬車が目の前で、ゆっくり止まる。驚く御者に、私は言った。


「私は、サビーネ! サビーネ=ハスラーと言う者だ! ストリウム王国の、騎士団長である! 諸事情により剣を失い、このような場所に取り残されて困っているのだが……礼をするので、近くの町まで乗せて行ってほしい!」


 私の足は、王都へと向かっていた。



 ……あの日から、私の生活は一変してしまった。

 いや、違うか。

 生活は、『なにひとつ』変わらない。

 私は、いつもと同じように食事をし、騎士団を指揮し、アンジェリカ様と逢瀬を重ねる。

 しかし、それは確かに変わっているのだ。

 それがわかるのは、この『私』しかいない。


 朝起きると、シーツが汗でびしょ濡れになっている。

 窓からは朝日が差し込み、私の顔を眩しく照らす。……私が『自由』を取り戻せるのは、眠りから目覚めて朝日を浴びる、このわずかな間だけ……あとは『あいつ』が、私の体を縛りつけ、平時と変わらぬ生活をさせる。

 あの日、あそこで飲んでしまった、あのリモンチェッロ。

 それが、私を中から縛り付けている。


 きっとこいつは、私の身体の『習慣』を再現してるのだ。

 動き、口調、表情、考え方……だから誰も、この『偽りの私』に気づかない……気づけない。


 だって、誰が気づける!?

 イーサンの尻のホクロの数まで知っていて、あんなに彼を愛していた私でさえ、まったく分からなかったのにっ!

 これは、呪いだ! 恐ろしい呪縛だ!

 体の外ならむしることもできようが、中から縛られては、抗う術はない!

 あの、才気にあふれたイーサンが抗えなかったのに……彼より劣る私に、なにができると言うのだ!?


 呪縛は強烈だ。自ら命を断つ事もできない。

 ただ、なぜか『文章』だけは、呪縛の支配に緩みがある。

 だからせめて、この手記を残したい。

 ベッドの下に隠したノート。直接見ずに、手の感覚を頼りに書き記す……しかし、こんな場所にある手記を、誰が見つけてくれるのか?


 ……今、私には、ひどく恐ろしいイメージがある。

 私はいずれ、あの洞窟に向かうのだ。

 そして彼の……イーサンの息子と結婚する。

 やがて産まれた、愛しいわが子を抱いて、私は微笑む。

 心から、幸せそうに……そして、私は……。


 ……ああっ! アンジェリカ様……っ!

 どうか、お願いです!

 ある日、私がリモンチェッロを献上にあがっても、決して口をつけてくださいますな……!

 もしも、それを飲んでしまったら……貴女様は……この王国は……終わってしまう!

 私は……もう、逃げられません……っ!


 ふと窓の外を眺めると、いつもと変わらぬ王都の町並みが広がっていた。

 そして……私の身体の自由が、少しずつ『あいつ』に塗り潰されていく。

 ……また今日も、始まるのだ。

 檻の窓から眺めるように……なにもできない、いつもと変わらぬ一日が。

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