同窓会

 千恵の実家は市街地から少し離れた郊外にある。公務員の父と専業主婦の母、妹という典型的な四人家族だった。父親も既に定年退職して年金暮らしの毎日だ。二人の娘も既に家を出て大きなイベントもこれといってない生活だ。両親の老後の楽しみは何なのだろう。

 千恵がインターホンを鳴らすと、母親は「お帰り」と月並みな言葉で出迎えた。娘が帰宅したことに何の感慨もわかない様子だった。

 それから千恵をリビングに通してお茶を出した。千恵がそれを飲んでくつろいだ様子を見せると、母親はこう切り出した。

「沙樹ちゃんは今年、受験よね。何という大学を受けるの?」

「さあ、まだ決めてないみたいよ。受験しなくても推薦で決まるかもね」

「あんたみたいに東大に行けたらいいのにね」

「私は東大に行って欲しいなんて思わないけどね」

 そう言って千恵は乾いた表情を浮かべた。千恵の人生もあと四十年くらい残っているけど、両親の関心事は千恵よりも沙樹の将来にあるらしい。千恵はこれからもマンネリな生活を送るのに対して沙樹はまだ将来が定まっていないのだから、それも当然か。

 そんなことを考えていると、インターホンが鳴った。「はい、どなた?」と応対した母親に来客は「綾よ」と告げた。それは千恵の妹だった。

 綾は地元の大学を卒業した後、やはり地元の会社に就職した。結婚はしたが、子供はいない。千恵と違って波乱や起伏 に乏しい人生を送っている。うらやましいわけじゃないけど、こんな人生もいいかもなんて千恵は思った。

 綾は千恵を見ると真っ先に尋ねた。

「沙樹ちゃんは卒業したらどうするの?」

「まだ何も決まってないわよ」

「そう。でも、未来があっていいね」

 それを聞いて千恵は考え込んだ。二人とも沙樹の進路に関心があるのは偶然だろうか。五十歳近くになると、これから待ち受ける人生の通過儀礼はこれと言ってない。せいぜい定年退職して職業生活の終わりを迎えるくらいだ。それが千恵の場合は、娘がいることで家庭の今後について興味を持ってもらえる。沙樹の存在は家庭を変わっていく存在にしてくれるんだ。ふと、そんなことを実感した。


 翌日、千恵は同窓会に出掛けた。会場はあるホテルのホール。学年の全員が集まって立食パーティーのような形式で行われるらしい。

 家の近くから乗ったバスを降りると、今さら珍しくもない、おなじみの街並みが千恵を出迎えた。初めて東京に行った頃は人の多さに驚いたが、それに慣れてくると返って広島は人がまばらなで活気に乏しいような気がした。

 東京は面積は狭いが、街の規模は大きく多様性に富んでいる。山の手と下町というカテゴリーもあるし、原宿はおしゃれな若者が闊歩する所で、白金台は金持ちが住む所で、お台場は男女のデートスポットで、秋葉原はおたくの聖地だというような相場も決まっている。広島ではとてものことこれほどの多様性は生じないだろう。

 以前「俺ら東京さ行ぐだ」という歌が出回ったことがあるが、東京は若者を惹き付けるには十分だ。もし市長や県知事に会う機会があったら、地方にも魅力のある街を造って欲しいと言いたいところだけど、今さらどうしようもないのだろう。

 そんなことを思いながらバスを降りて少し歩くと、会場に到着した。

 前回とは会場が違う。このホテルはいつオープンしたのだろうか。三十年ほど故郷を離れた千恵には思い出せなかった。

 受付で名前を告げて会費を払おうとすると、さほど親しくしていなかったが、顔に見覚えのある女が幹事を務めていた。千恵が会費を払うと、彼女は

「三島さんもゆっくりしていってね」

 と言って会釈をした。三島さんなんて旧姓で呼ばれるのも久しぶりだ。そう思うとノスタルジックな感慨をほのかに感じた。

 会場に入ってあたりを見渡すと、見覚えのある顔が視界に飛び込んできた。

 あの頃は自分の将来がどうなるのかわからず、暗がりの中を光を求めて歩いていた。それでも明日を信じて懸命にそれぞれの未来へ巣立っていった。そんな季節が終わり、それぞれの人生も一段落した今なら、あの時を懐かしく振り返られる。皆、変わったんだなと懐かしい感慨に浸っていた。

 その中の誰かに話しかけようとすると、誰かが先に話しかけてきた。

「あら~、千恵ちゃん。久しぶり~」

「えっと、橋本真由ちゃんよね」

 顔と名前が一致しているか自信がなかったが、向こうが否定しないということは当たっているのだろう。

「東京のだしが染み込んで都会人っぽくなったわね。私は卒業したら田舎に帰ったから憧れちゃうな~」

「そうかな。東京砂漠で暮らしていると心も乾くような気もするわよ」

「じゃあ、時間があったら後でゆっくり話そうね」

 橋本はそう言うと、別の人にあいさつするために千恵から離れて行った。

 その会話の中でふと気付いた。東京のだしが染み込んで都会人っぽくなるにしても、あるいは東京砂漠で暮らしていると心も乾くにしても、そうだったら人の気品や風格は内側からにじみ出すのではなく、外側から注入されるのだろうか。社会心理学でも大衆は多様な個人の総和ではなく、マスメディアによって規格化された一つの大きな単位だ。橋本の言葉は何かの真理を言い当てたような気がする。

 そう言えば、当時の担任の教師はどうしているだろう。まだ訃報は流れていないけど、元気にしているかな。そんなことを考えながら次は誰と話そうかとあたりを見渡した。

 その時だった。

「千恵か?」

 と一人の男が話しかけてきた。隆だった。

「十二年ぶりね……」

 千恵は懐かしさに声を震わせた。

「今はどうしているの?」

「俺は以前から変わらない暮らしだよ。まだ独身だしね」

「私の娘は今年、大学受験を迎えるのよ。あの頃の私たちみたいにはならないけどね」

「それはよかったな」

 つもる話もあるはずの二人だったが、なぜかそれっきり会話が途切れた。隆を目の前にすると胸の奥から何かがこみ上げてきて言葉にできない。それを抑えようとすると情感に瞳が潤んできた。これではシリアスな話はできない。そう思った千恵はこう誘った。

「ねえ、同窓会が終わったら二人だけで飲みにいかない?」

「ああ、そうしよう」

 と隆は応じた。

 やがて先ほど幹事を務めていた女が開会のあいさつをした。続いて当時の教師が登壇して簡単なスピーチをした。高校生の時は教師の話なんて退屈なだけだったが、一同は目を輝かせて聞き入っていた。こうして同窓会が始まった。

 それから千恵は旧友たちと再会して世間話に花を咲かせたが、うわべでは喜んでいるふりをしても本番前の予行演習をしているような気がして今一つ気分が乗らなかった。

 やがてこの同窓会も幹事が

「それではこれでお開きにします。またの再会を楽しみにしましょう」

 と宣言して終わった。

 ホテルのロビーで待っていると、言った通り隆が現れた。そう言えば、飲みに行こうと言い出したのは千恵の方だったが、高校を卒業してからずっと東京に住んでいるため、広島のおしゃれなバーなんて知らないのだった。そこで冗談めかして言った。

「おしゃれなバーに連れてってよ。私の元彼なんだからね」

「俺の知ってる店がおしゃれなのかわからないけどね」

 隆は顔をほころばせて答えた。

 そう言いながらも二人で夜の街に繰り出していった。そう言えば、千恵は十八歳で上京したから夜の広島の街をあまり歩いたことがない。東京には及ばないけど、広島だって人口百万人の大都市だ。人を惑わせる魅力はある。眠らない街を歩くと洒脱な気分がしてきた。

 やがてどこかのバーに入ると、ちょっとシックな雰囲気がした。中央でピアノの生演奏をしている。客もまばらで、そのせいか落ち着いたたたずまいだ。二人で人生を語らうには似合う場所だった。そう言えば、俊夫と飲みに行った時はこんなムードを感じたことはない。隆は俊夫とは何かが違うのだろうか。

「この店にはよく来るの?」

「プライベートでは飲みに行かないよ。バーに行くのは会社の飲み会の時だけさ」

「じゃあ彼女を連れて来たことはないわけね」

「俺の彼女はお前が最初で最後だよ」

「ふふっ」

 千恵は思わず笑いを漏らしたが、それがおかしかったからか、哀れみの念がこもっていたのかは自分でもわからなかった。

 そんな会話を交わしておどけた気分になりながら、まずウイスキーを一杯飲み干すと、何やら気分が高潮してきた。

「私たちの人生も半分以上終わったわね。周りの人たちの関心事も私のこれからじゃなくて娘の進路になっているわよ」

「そうか。子供がいなかったら自分の将来なんて誰も興味を持たなくなるよな。あとはこれからと変わらない生活が続いて老後を迎えるだけかもね」

「ねえ……。高校の教師をしているといつも思うんだけど、どうして人生が始まったばかりで進路を決めなければならないんだろうね。もっと大人になってから大人の決断ができればいいのにね」

「大人の決断って何だ?」

「あの時、私は東京に行く選択肢を選んだけど、今は後悔しているの。結局、研究者にはなれなかったしね。こんなことになるなら広島に残ればよかったな」

「そうか。東大に行った人でもそう思うのか。俺は人生が二度あれば、もっと勉強して一流大学に入りたいと思うけどね」

「人生が二度あればいのにね」

「夢も恋も人生が一度しかないから燃え上がるんじゃないか。あしたのジョーだって次の人生があるなら燃え尽きなかっただろうしね」

 そんな話をしていると、いつの間にか酔いが回ってきたので「もう出ようか」と言って店を出た。

 それから二人でイルミネーションを見ながら街を歩いた。イルミネーションはどこにでもあるはずだが、千恵にはこれが故郷の情緒を表しているような気がした。別れ際に千恵はこう言った。

「次に会う時は娘の進路も決まっているだろうし、何が私たちの関心事になるんだろうね」

「それが片付いたら初めて自分の人生を見つめ直せるのかもしれないよ」

 そんな言葉を交わして二人はそれぞれの帰途に着いた。

その途中、千恵の心の中で何かがぼんやりとした輪郭を描き始めていた。あの頃は手探りで夢を求めていた。それが過ぎ去った今なら懐かしく回想できる。それを思い出すとわき起こる、ほろ苦いこの感情は何だろう。あの時は感じなかった不思議な感情。これを何と名付ければいいんだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る