真相

 武久、起きているか?

 ――少し散歩でもしないか。


 良い月だな。こんな晩には妖魔も現れまい。いや、妖魔でなく、式神であったな。その絵師とやらもこんな月夜には筆を休めるであろう。沙霧の話によれば、狂気こそ宿してはいるが、冷血漢というわけでもないらしい。

 それにしても、まったく目まぐるしい一日であった。お前が沙霧を連れ帰ってきた時は本当に驚いたぞ。それより前に、沙霧と俺が知り合いだったことにお前が驚いただろうがな。


 やはり、前線で戦う気か?

 沙霧は、結は絵師の式神とでも掛け合えると言っていた。お前や道兼は後方で支援に徹すれば良いと。

 式神も扱えぬのであろう? かえって足手まといになりはしないか?

 ――そうか。決意は固いか。恩師の仇、それに、友の父の仇でもあるのだからな。

 わかった。存分に戦え。俺はお前のような息子を持ったことを誇りに思う。

 ――もう一度言うぞ。お前は、俺の誇りだ。


 お前が戦うことは認めるが、よいか、俺も戦う。いや、俺こそが戦わねばならぬのだ。

 俺には陰陽の力はない。だが、この体ごと奴にぶつかり、この命尽きるまで、術を妨害してやる。

 武久。これは本来、お前に言うべき話ではない。だが、共に戦い、恐らく俺は生き長らえないであろう今、お前にはどうしても伝えておきたいのだ。

 ――ああ、最早生き長らえようと思わぬ。奴と刺し違えられれば本望だ。故に、これは遺言でもある。残酷な遺言だがな。どうか、しかと受け止めてくれ。


 そもそも俺が沙霧の話を、つまり、安倍晴明が英雄でなく魔王であることを、どうして信じられたと思う? おかしいだろう。俺はあんなにも晴明様を心酔していたのだからな。実際、秋津という仲間は大層不思議がっていた。


 知っていたのだ、俺は。安倍晴明が卑劣極まりない男であることを。

 妖魔のからくりだの、黄金の塔をめぐる目論見だのは知らぬ。

 だが、奴が、筆舌に尽くし難いほど悪に染まった人間であることは、お前が生まれる前から知っていた。


 武久、お前は俺の息子だ。俺と真砂の子だ。それだけは誰にも否定させない。お前は俺の、自慢の息子だ。

 だが、心して聞いてくれ。

 お前の体に、俺の血は流れていない。


 お前は賢い子だ。もしや、幾度か、考えたことがあったやも知れぬな。

 真砂が声を失ったのは何故か、それに、お前が陰陽の才を持って生まれたのは何故なのか。不思議に思うことはいくつかあったはずだ。


 伊勢にある、真砂の実家へ旅した帰りのことだ。

 山道を歩く途中で、ある老婆に声をかけられた。川原に荷物を落としてしまったが、足が悪くて下りていけない。代わりに取ってきてはくれないか、と。

 俺は真砂と老婆をその場に待たせ、川原へ下りられそうな斜面を捜し、荷物を回収した。そして、戻ってくると……二人の姿はその場にはなかった。

 あの老婆は晴明の式神か、あるいは自身が変化した姿だったのだろう。

 少し離れたところの、藪が、揺れていた。がさがさと。真砂がどんな目に遭っているか、すぐにわかった。

 太刀を抜き放ち、駆け寄った。藪の隙間から、見た。その時には、男は既に身を起こし、衣を纏っていた。

 間に合わなかった。

 が、奴は殺す。殺さねば。そう思う一方で、飛び出そうとする自分を強く引き留める思いがあった。

 真砂はどうなる? この事実を夫に知られたら、果たして生きていけるのか? ただでさえ今、死ぬことを考えているであろうに。

 俺に見られたとなれば、真砂は二度、辱められたも同然。

 何もなかった。俺は何も見なかった。そういうことにするのが、真砂の痛みを一番軽くする方法なのではないか?

 身を引き裂かれるような逡巡の間に、晴明はその場から消えていた。

 俺は、音を立てぬよう気を付けながら、少し離れた場所まで引き返し、真砂が藪の中から出てくるのを待った。


 すまぬ、武久。やはり語るべきではなかったやも知れぬ。だが、最早あとには引けぬ。最後まで聞いてくれ。


 幸か不幸か、真砂は強い女だった。きちんと着衣を整え、戻ってきた。俺は懸命に、細心の注意を払って、何も知らぬ振りをした。何も知らぬ振りを、続けた。それからずっと、今日に至るまで。心を砕いた。

 だが、不幸なことに、俺は弱い男だった。ともすれば怒りが噴き出しそうになる。理不尽にも、真砂を罵ろうとさえしたことも一度ではない。心の中では幾度も罵ってしまった。少しは抵抗したのか。実は悦んでいたのではないか、と。

 やり場のない怒りを、俺は、すり替えた。憎悪を、敬意に。憎き相手を、逆に崇め奉り、怒りを隠した。

 自分自身を騙すには、なかなかどうして、悪くない方法だった。何年か後には、本当の敬意を持っているような錯覚を覚えることさえあった。


 お前に陰陽院に入ることをしきりに勧めたのは、陰陽の才などないことを、はっきりさせたかったからだ。そうなれば、奴の胤ではないかという疑いはほとんど晴れる。ごく稀に例外もあるとは言え、陰陽の才が遺伝で受け継がれることが多いのは事実。

 結果としては、俺の血の方が否定されてしまったわけだがな。


 だが、血など、何だというのだ。

 お前が俺と同じ検非違使になりたいと言ってくれた時も、母の声を取り戻す為に陰陽師を目指すと誓った時も、俺は父親としての喜びに包まれた。

 お前の父親は、この俺ただ一人だ。


 ともあれ、武久よ。俺はやはり、あの男を討たねばならぬ。真砂を傷つけた罪は捨て置けぬ。偽りの日々はもう終わりだ。

 されど、俺が晴明を討たんとするのは、私怨の為であってはならぬ。あくまでも一人の検非違使として、人々を苦しめる魔王を成敗しに行くのだ。

 俺の真意が知れてしまったら、今日までの生活が途端におぞましきものとなり、真砂の傷は深く抉られ、今度こそ自ら命を絶ってしまうやも知れぬ。始めた芝居は最後までやり通さねばならぬのだ。


 成り行きで心を決することとなったが、俺はこの成り行きに感謝している。お前と共に戦うという巡り合わせにもな。

 俺が亡き後は、お前が母上を守れ。晴明を討てば、声が戻ることもあり得よう。そうなれば、真砂は堪え切れず、お前に真実を打ち明けるやも知れぬ。その時は、何も知らなかった風を装いつつ、受け止めてやってくれ。

 ――泣くな、武久。お前は、この都で一番立派な検非違使の息子なのだ。

 俺たちの絆は決して切れぬ。こうして月明かりを背に並んで歩く俺たちは、誰の目にも親子と見えるはず。それだけで、俺は十分に幸せだ。

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