連携
夕刻、都の南東、東寺の崩れかけた土壁の隙間から、書状を取り出す者があった。沙霧である。差出人は右大臣頼忠、配達人は検非違使武弘。
あの晩、木彫りの鬼を倒した後、黙って去ることはできなかった。一郎に問い詰められ、結局、あの場にいた全員に、沙霧の計画を話した。
結果的には、そのおかげで味方が増えた。一郎は「水臭ぇじゃねぇか」と怒鳴り、猪鹿の婆は黙って抱き締めてくれた。後に、二郎や他の者たちも、晴明を討つ戦いに加わると約束してくれた。武弘を通じて、右大臣とも繋がりができた。
それにしても、眼前で陰陽術を用い、命を救ったとは言え、あの頑固そうな武弘という男が素直に話を信じたのは、意外なことであった。横にいた秋津という男も、武弘が話を受け入れたことについては、意外そうな顔をしていた。安倍晴明が都を守る英雄ではなく、都を食い物にする魔王だなどとは、俄かには信じ難い話のはず。以前から何か疑う材料を持っていたのだろうか?
ともあれ、今は書状の内容である。そこには、安倍晴明の恐るべき計画と、まだ見ぬ同志、蘆屋道満の死について記されていた。
道満と言えば陰陽院の講師を務め、その実力は晴明に次ぐと言われていた陰陽師である。その男が、晴明が塔に入っている間、頼忠と会った直後に、死んだ。これをどう解釈するか?
恐らく、道満と頼忠の会話は何者かに聞かれていた。そして、殺された。下手人は、晴明の息のかかった陰陽師、あるいは晴明自身――分身の術を使えば塔に入ったと見せかけることはできる。
惜しい人物を亡くした。陰陽院においても、いずれ共に戦う仲間として子供らを育てていたはず。そう考えれば、未来の戦力ごと失われたことになる。道満に代わる人物はいるのだろうか?
嘆かわしいことだが……嘆いていても始まらない。
沙霧は紙を取り出して、頼忠宛に、当分は御所を離れないようにと書き、壁の隙間に差し込んだ。御所ならば少なくとも、妖魔の仕業と見せかけて殺されることはないはず。
それから、沙霧は道満の住まいへ向かって――義賊として要人の住まいは全て頭に叩き込んである――歩き出した。既に処分されてしまった可能性もあるが、晴明を討つ手がかりが何か残されているかも知れない。
庭先で、二人の子供が柔術の稽古をしていた。兄弟か――いや、尋常でない気迫でぶつかっていくのが恐らく道満の息子で、受け止めているのはその友であろう。
沙霧は腰に差した二振りの短刀、
少年たちの頭上を飛び越え、屋敷に入る。中は静まり返っていた。まるで建物それ自体が喪に服しているかのように。
しばらくの後、道満の部屋と思われる場所で、日記を発見した。人の姿に戻り、そっと開く。人柄を忍ばせる整った字である。
そこには、子供たちの成長に対する喜びや、父親としての反省と共に、晴明を討つ方法を思案したことが書かれていた。
あるところで、沙霧の紙を繰る手が止まった。「
結、とは? 沙霧の知っている言葉ではない。別の日の記述に、「道兼と武久が結に達した。まだ式神も呼べぬのに、大した子供たちだ」とあった。だが、これではどんなものかはわからない。
それに、円がどんな術かも不明である。ここに書かれているのは発動条件のみであった。だが、道満が晴明を討つ方法の一つとして真剣に考えたなら、調べる価値はある。
ある日の記述にはこうあった。
「道兼が水、武久が木、そして私が土。あとは火と金の術者を見つければ、一応、円は使える。だが、五人全員が相当の実力者でなければ、折角の円も、晴明を圧倒できるほどのものにはなるまい。
現役の陰陽師たちは誰も結を知らぬ上、目を見張る程の使い手もいない。道兼と武久以外の生徒は、皆真面目な少年たちだが、二人よりは数段劣ると言わざるを得ない。それにあの二人も、結を知ったとは言え、まだ青い。実戦の経験もないのだ。
何年かの後、折よく円の条件が整うことがあるかも知れない。それまでは忘れよう。今は絵空事だ。今できることは、陰陽院に通う生徒たちを正しく導くことのみ」
沙霧は日記を開いたまま、考えた。火行は絵師の良秀、金行は私がいる。これで五人は揃う――いや、駄目だ。子供ら二人は未熟だというし、何より、最も強い呪力を持っていたであろう道満が既にこの世にない。
その時、背後から声がした。少年の声。
「動くな!」
しまった。義賊ともあろう者が、日記に夢中になり、警戒を怠った。
「妙な気は起こすな。こちらは既に弓を引き絞っている」
先ほど庭で見かけた、道満の息子だろう。傍らにもう一人の少年の気配もある。
「父の部屋に何の用だ。父を殺したのは貴様か?」
「違う。私は……道満様のご遺志を継がんとする者」
「ならば何故、堂々と正面から来ない」
「敵が待ち伏せをしている可能性があった」
「敵とは?」
「道満様を殺した下手人、あるいはその仲間」
この子らは晴明の正体を知っているのか? 恐らくは知るまい。力が十分でないうちに、深刻な事実だけ背負わされても無意味だ。
「貴様がその下手人でないという証拠は何もない。忍び込み、日記を手にしたのだ。怪しむのは当然」
賢い子だ。流石は蘆屋道満の息子。ここは、切り抜けるしかない。
多襄丸に手を伸ばす。
「動くなと言っている!」
大丈夫。この距離なら、射られても防げる。
多襄丸を抜きつつ、振り返る。少年が矢を放つ。木製の、ごく普通の矢だ。
打ち落とそうと構えた瞬間、もう一人の少年が呪力を放ったのを感じた。と、同時に、矢は三つに分裂し、それぞれが別々の弧を描いて、沙霧の頭上と左右で一瞬停止したかと思うと、一斉に襲いかかってきた。沙霧は間一髪、前方に転がって避けた。
驚いた。息が合っている。子供とて侮れない。
道満の息子がこちらに人差し指を向けると、その先端に水の球が現れた。水行か。もう一人の少年はどうやら木行。では、彼らが日記にあった道兼と武久か?
水の球が沙霧めがけて飛んできた。踏み込んで一閃、多襄丸で切り裂く。球は弾け、沙霧の足元で水たまりとなった。
「今だ、武久!」
道満の息子が叫ぶやいなや、水たまりから木の根が生じ、沙霧の足に絡みついた。その速さも、力強さも、子供の術とはとても思えない。
さては、これが、結か! 他人の術を依代として利用する技術。
水は木を育む。多襄丸が水を発するのと同じ、相生の法則の一つではあるが、ただの水たまりを使ったのでは、これほどの速度、威力にはなるまい。道満の息子の呪力が、もう一人の少年の呪力にそっくり上乗せされているのだ。ずっと一人で――陰陽師としては――戦ってきた沙霧には、思いもよらぬ戦法であった。
「大したもんだね、あんたたち」
沙霧は心から言った。
希望を感じ始めていた。この結と、一党の者たちの協力があれば、円――恐らくは五人掛かりでの結――には至らずとも、晴明を倒し得る。
「戯言に付き合う気はない。言え、女。何故我が父を殺した」
「違うんだよ。私は本当に下手人じゃない」
「ならば何故刃向った」
「疑われても仕方ない、逃げるしかないと思ったからね。けど、思い出したよ。証人がいる」
「証人だと?」
「私が道満様の味方だったことは、右大臣、藤原頼忠様が証明してくれる」
「出まかせを言うな。何故お前がそんな方と……」
沙霧は多襄丸を二振りとも床に捨てた。
「抵抗はしない。信じちゃくれないかい?」
「貴様を御所へ連れて行けば頼忠様が会ってくださるというのか?」
「いや、正面から行っても相手にされないよ。武弘って検非違使を通じて連絡を取らないとね」
その時、もう一人の少年が目を見開いて言った。
「……父を知っているのか?」
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