修行

 道兼の態度はあの日以来、再び高慢なものに戻っていた。武久にとってそれは有り難いことであった。善人ぶられても調子が狂う。

「お主の合格は我のおかげぞ。感謝せい」

「お前こそ俺がいなければ不合格だったではないか」

 罵り合いながら、しかし、どこか、通じ合うものを感じてもいた。

「他者との絆こそ、陰陽術の要。諸君らにもいずれその意味がわかるでしょう」

 二人の入学を認めた時、道満はそう言った。


 晴れて陰陽院の生徒となったのは、武久、道兼を含め、十二名であった。入学試験を終えたその日のうちに諸々の説明があり、本物の五星紙を使って各自の特性が調べられた。そして、翌日から本格的な調練が始まった。

 始業は辰の刻。正午まで、延々と「支えの行」を行う。支えの行とは術の持久力が問われる訓練である。まず、講師の道満が各自に合わせた「柱」を術で創造し、配る。木行の武久は今にも枯れそうな一輪の花を、水行の道兼は――父と同じ土行ではなかった――少量の水が入った杯を受け取る。一定の呪力を送り続けなければ、花は枯れ、杯は乾いてしまうのである。

 道満の本行ほんぎょう――生まれ持った特性――は土であるが、長年の研鑽の末、他の四行の術も初歩的なものは習得し、調練用の柱を作り出せるようになったのだが、この蘆屋道満にしてそれがやっとということが、安倍晴明が如何に恐るべき陰陽師かということを物語っている。

 生徒たちは、よう、黙々と呪力を送り続ける。調練初日、ほぼ全員が、受け取ってすぐに柱を倒してしまった。武久も例外ではなかった。入学に先んじて術に目覚めていた武久だが、あくまで使い慣れた木刀を介しての瞬間的なものであり、呪力を長時間放ち続けることはむしろ不得手であった。一方で道兼は、全員の中で最も支えの行を得意とした。

「この支えの行は、持久力のみならず、呪力の総量や質を測るものでもあります。最低でも一刻は柱を維持できなければ、実戦では使い物になりません」

 道満の言葉に、武久は焦りを覚えた。必死で呪力を送るが、花はすぐに萎れてしまう。周りの者は徐々にこつを掴み始め、武久は頻繁に新しい柱を求めることが恥ずかしく、焦りが募った。

 ある日、道兼が小さな声で言った。

「呼吸を整えろ。息を長く吸い、長く吐くのだ」

 言われた通りにしてみると、途端に呪力が安定した。道兼を見ると、横顔で「礼は要らぬ」と言っていた。それから、武久が柱を維持できる時間は段々と伸びていった。

 牛の刻からは体術の訓練である。柔術や剣術、弓術など、あらゆる武芸の基礎を学ぶ。

 呪力だけでは戦えないのだ。命のやりとりであるからには、体力や身のこなしも要求される。

 こちらは武久の得意とするところであり、道兼に助言をすることもしばしばだったが、道兼は常に「礼は言わぬぞ」という顔をしていた。

 未の刻、短時間の午睡――「瞑想をしなくて良いのですか」と尋ねると、道満は笑って「ただの昼寝でいいんですよ」と答えた――の後は、夕餉の支度である。

 入学当初、武久が最も驚いたのがこの調練であった。夕餉の支度で何を学べるのか? だが、すぐに合点がいった。

 土行の者は畑を耕し、木行の者は木の実を取り、水行の者は魚を釣り、火行の者が煮炊きを行う。金行の者は鍬や食器、鍋などの道具を作り、修理する。生活の中でそれぞれの力の在り様を知る調練なのであった。

 そういうわけで、陰陽院では調練を兼ねた自給自足が成り立っており、生徒たちは皆、普段より良いものを口にすることができた。

 疲れ果て、腹いっぱいに食べて家に戻ると、大抵の者はそのまま泥のように眠り込んだ。しかし、武久は支えの行を――道端で花を摘んで帰った――こなしてから床に入った。武芸の上達ぶりから見るに、道兼も家で稽古をしているのだろうと、武久は思っていた。

 そして、ひと月が過ぎた。


 支えの行が一刻に達した者は、個別に術の手ほどきを受け始めている。武久はまだ一刻には達していないが、もう支えの行が苦痛ではなかった。

 夕餉の折、武久は道満に言った。

「先生」

「何でしょう?」

「陰陽術の中には医術のようなものもあると聞いたことがあります」

「ええ、ちょうどあなたにはその資質がありますよ」

 さらりと言われ、武久は仰天した。

「本当ですか?」

「木行の術は植物の生命力に直接働きかけるものです。長じれば、人間の体の中を流れる気の淀みを治したり、自己再生力を高めたりすることができるようになります」

「ならば、普通の医者では直せなかった病も直せるようになるでしょうか?」

「必ずとは言えませんが、可能性はあります。誰か、身近な人がご病気なのですか?」

「はい、母が」

「そうですか。それはお気の毒に。御所では貴族の病の治療に陰陽師が当たることもあるのです。民に開かれた診療所があると良いのですがね」

「いえ、そうまでしていただくわけには参りません。今は妖魔に対して万全の備えを必要としている時です。母の病は、私が治します」

 その時、話を聞いていた道兼が言った。

「先生、木行が医術なら、水行には何があるのですか?」

 対抗意識を露わにしている道兼に、道満は苦笑した。その目は、父として甘やかすまいと気を張っていたらしき当初とは違う、穏やかな目だった。

「以前、晴明様に会ったと言っていましたね」

「はい」

「その時、晴明様はどんなお姿を?」

「そう言えば、はじめ、白い犬の姿でした」

「あの方は四六時中、変化の術を使っていますからね。水行の訓練なのでしょう」

「変化は水行の術だったのですか?」

 と、道兼は目を丸くした。

「生き物の体は半分以上水でできています。自分の体内の水分を操って別の形にするのが変化の術なのです」

「ならば、他人を変化させることもできるということですか?」

 そんなことができて何になると武久は思ったが、道満は真面目に答えた。

「いいところに気付きましたね。しかし、それは絶対にやってはいけないことです」

「何故ですか?」

「例えば、自分の指は当然自分のものですが、他人の指を自分の体の一部と思うことは難しいでしょう。他人の体の水分を無理に操ろうとすると、器官を破壊してしまうことがあるのです」

 座の空気が一気に冷え込んだ。

 道兼は青くなって言った。

「器官を?」

「かつて陰陽師同士の争いが起こった時には、変化の上位術として、わざとこれを使ったそうです。視力を失わせるものは『目潰しの術』、聴力を失わせるものは『音無の術』と呼ばれていました。勿論、今では禁呪とされていますがね。我々の敵は妖魔であって人間ではないのですから」

「では、先生」

 武久は、極力平静さを装って言った。

「声を失わせるものもあるのですか?」

「ええ、『口封じの術』も当時、恐れられた術の一つです」

 その後、道満は別の生徒からの問いに答えていたが、武久は己の動悸に押し潰されそうになっていた。

 母の病は、病でなく、禁呪――? だとしたら普通の医者に治せなかったのも頷ける。

 誰が? 当然、陰陽師だ。それも水行術の達人。少なくとも変化の術を使いこなしているはず。

 何の為に? わからない。だが、ともかく母は何かを知っている――戦慄すべき何かを。

 水行の禁呪は木行の術で治療できるのか? 喉まで出かかった質問を、飲み込んだ。まだそうと決まったわけではない。仲間たちに余計な心配をかけてはいけない。

 そうだ、口封じの術をかけられても、文字を習えば、伝えることはできるはず。そうしなかったのは、やはり術などではないからでは? ――いや、もし、母自身も言いたくないことだったとしたら? あり得るのか、そんなことが?

 道兼の視線を感じる。そうか、あいつはしょっちゅううちの庭先に来ていた。母が声を出せないことも知っているはず。けれど、こちらが何も言わないうちは、あいつも何も言わないだろう。

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