義賊

 何度もあくびを噛み殺し、しきりに手の甲をつねっている秋津の肩を、武弘が叩いた。

「替わろう」

「いや、まだ大丈夫だ」

「そうは見えぬ。舟を漕いでいたではないか」

「だが、武弘は先ほど休んだばかりであろう」

「この計略を言い出したのは俺だ。俺が一番働かねばならぬ」

 そう言って武弘は秋津を押しのけた。羅生門の全貌が見渡せる廃屋である。

 秋津はすぐ、壁にもたれて眠り始めた。武弘はまるで眠気を感じなかった。

 必ずや賊を捕らえ、晴明様のお役に立つのだ。妖魔の他は俺が打ち払う。偉大なる陰陽師、安倍晴明様の戦いを、俺は陰で支えるのだ。

 月が雲に隠れ、周囲が闇に染まった。その時、人影が素早く羅生門に近づき、梯子に足をかけるのを、武弘は見逃さなかった。

「来たぞ、秋津。起きろ」

 やはり、来た。強欲な盗賊のことだ。監視があるとわかっていても、きっと金品を回収しに現れる。そう考えていた。そして、その通りの結果となった。

「何だ? 何が来た?」

 秋津が眠たげに目を擦りながら言う。

「盗賊に決まっているだろう」

「盗賊――何人だ?」

「見た限り、一人だ。闇に乗じれば忍び込めると踏んだのだろう」

「妙ではないか? 一人で運び出せる程度の金品しかないということか?」

 確かに、そう考えれば少し違和感がある。だが――

「とにかく、行くぞ。問答をしている暇はない」

 駆け出した。秋津も後からついてくる。

 廃屋を飛び出す。軒先に無造作に置かれた死体を危うく蹴りそうになり、飛び越える。ここにも随分死体が多い。昼間に見た時には乞食もいたが、夜になると死体か乞食か判別がつかない。

 門の付近から、足音を忍ばせる。そして、秋津にかがり火を持たせ、弓に矢を番えると、武弘は楼閣の入り口に向かって叫んだ。

「今、楼閣へ上がった者! 武器を捨て、大人しく出てこい! こちらは既に弓で狙いをつけている!」

 返答はない。

「時を稼いでも無駄だ! さっさと降りてこい!」

「武弘!」

 秋津が叫んだ。何事かと、秋津の視線の先を見れば、襤褸ぼろを纏った男が刀を振りかざし、猛然と突進してきている。

 盗賊の仲間。さては乞食に変装して、様子を窺っていたのか。ない知恵を絞ったようだが、敵は一人。どうとでもなる。

 男の眉間に狙いをつけ、矢を放つ。男は走りながら身を屈めて矢をかわした。手練。面白い。

「秋津、楼閣から目を離すな」

 言いながら、武弘は太刀を抜いた。男はもう間合いまで迫ってきている。

 正面から打ち込んできた刀を、下から弾き上げる。刹那、腕に痺れが走る。雑だが、重い。いかにもならず者の剣だ。

 見ると、男は片目が醜く潰れていた。かつて痘瘡を患ったのだろう。だが、憐れむ理由にはならない。盗賊は盗賊。

 再度、男が打ち込んでくる。振りが大きい。先を取れる。男の喉元を狙い、切っ先を繰り出す。

 と、男の口から、何かが飛び出した。含み針。目に当たる寸前、辛うじてかわした。耳たぶを鋭いものが掠める。

 針はかわしたが、体勢を崩された。慌てて太刀を振り上げる。次の瞬間、腹に衝撃を受けた。男の蹴りを食ったのだ。

 不覚。妖魔ならともなく、盗賊風情に後れを取るとは。

「武弘!」

 秋津がかがり火を捨て、太刀を抜き、遮二無二男へ斬りかかっていく。が、軽く弾き飛ばされ、尻餅をついた。その一瞬の間に武弘は体勢を立て直し、大きく息を吐く。

 もう油断はしない。全力で討ち取る。

 雲が晴れて月が現れ、男の隻眼がぎらりと光った。――来る。

 その時、楼上から女の声が響いた。

「よすんだ、一郎!」

 声の主は、梯子を使わず、物が落ちるよりは遅い速度で降下し、地面に降り立った。何だ、今の動きは?

「沙霧、何故止める! こいつらはお前を殺そうとしてたんだぞ!」

 と、男が喚いた。さぎりと呼ばれた女は、落ち着いた声で言った。

「わかってるよ。けど、私は逃げおおせればそれでいい」

「馬鹿言うんじゃねぇ!」

「それより一郎、あんたどうしてここに?」

「決まってんだろ。お前を守りに来たんだ。猪鹿の婆一人に任せておけるわけねぇだろうが」

「そうかい、ありがとうね。でも、もう私は平気だ。刀を納めな」

「まだそこに検非違使がいるじゃねぇか」

 女は男を手で制しながら、武弘に向かって言った。

「お侍さん、私が羅生門から持ち出したかった宝はあの婆さん一人だ。見逃してくれないかい?」

 女が目で促した先には、言葉通り、老婆が立っていた。先日、楼閣で会った老婆だ。

 それにしても、今の間に梯子を下り切ったとは思えない。女と同じように、薄布が舞うかの如く飛び降りたのだろう。あんな老婆が、一体どうやって?

「あそこに隠してあったものはみんなあんたらにくれてやるよ。何も持ち出しちゃいない。何なら体を調べても構わないよ」

「ふざけんな、沙霧! 検非違使相手に、何をへつらうことがある! とっとと殺しちまえばいいんだ!」

 激昂する男をなだめるように、女は優しい声で言った。

「一郎、私らは義賊だ。あんたのおかげで義賊になれたんだよ。忘れたのかい?」

 義賊――頼忠様の言っていた、民を救わんとする盗賊。こいつらが?

「義賊だったら何だ! お前を殺そうとした野郎を見逃す理由にはならねぇ!」

 男の殺気に対して身構える武弘に、秋津が言った。

「武弘、ここは退こう」

「何故だ、秋津。奴らは盗賊なのだぞ」

「義賊だ。この女は危険を承知で仲間を救いに来たのだ。信じるに値する」

「だが……」

 盗賊は、盗賊。俺は晴明様のお役に立たねば――

 武弘が逡巡した一瞬の間に、老婆の腕が秋津に向かって伸び、その袖の下から黒い縄のようなものが飛び出した。

 即座に、思い出した。死体の髪。あれを撚り合わせたものだろう。鬘を作っていたのではなかったのだ。先刻、楼上から飛び降りた時も、あの縄を使ったに相違ない。

 と、見抜いたところで、手遅れだった。縄は素早く秋津の首に巻きつき、その体を引き倒した。

「おのれ!」

 武弘が叫んだ瞬間、秋津の体があった空間を、何かが風を起こしながら通り過ぎ、続いて、轟音が鳴り響いた。

 木彫りの、鬼。背丈は大人二人分ほどもある。その手に握られた巨大な棍棒が、秋津を狙って振り下ろされたのだ。

 老婆は、秋津を助けた?

 いや、ともかく、こんな時に妖魔とは。

 一の笛を吹く。独特の高音が響き渡る。あとは陰陽師が駆けつけてくれれば――

「逃げろ、武弘!」

 秋津に言われるまでもなく飛び退くが、巨体に似合わず、鬼の動きは速い。

 横殴りに、棍棒。防がねば。駄目だ、間に合わない!

 思わず目を閉じた。衝撃が、来ない。何だ?

 目を開くと、鬼の棍棒は根元から失われていた。驚異的な切れ味の刃物で断たれたらしく、真っ平らな断面が見える。

「下がってて」

 そう言って、女が武弘の前に立ち塞がった。

 女の体の周りを羽虫のように高速で飛び回るものがある。それが瞬時、動きを止めた。二振りの、短刀。

 短刀は、鬼に向かって矢の如く飛んだかと思うと、舞いのような動きでその体をなます切りにし始めた。鬼は短刀を捕らえようとするが、その指が、そして手首が切り落とされる。

 鬼がばらばらの木屑と化していくのを、武弘も、秋津も、そして男と老婆も、ただ茫然と眺めていた。

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