秋の夜空のセントウル

鶴岡えり

北極星

 春なんて名ばかり、風のなんと冷たいことか

 そういう古い歌があると、何かのテレビ番組で聞いた。

 たしかにそうだ。桜のつぼみも大きくなりはじめている春なのに、耳が切れそうなくらい、部屋に吹き込む風は冷たい。


 もう誰も、お前のことなんて気にかけていない。

 自分よりずっと優秀な同僚たち。周りの人たち。

 いつも肌に感じるとげとげしい視線、気持ち。桜の香りを運んでくれるはずの風まで、僕への優しさを捨ててしまったのか。


 力なく横たわって、意識が薄れていくのに身を任せていると、短い一生の中で聞いた、いろいろな話が頭に浮かんでは消える。

 そういえば、こんな話もあったな。

 広い空の中でひとつだけ、空を巡らずにずっと同じ場所で光る星があって、昔はみんな、その星をたよりに方角を判断していたって。


 その星があるから、海の上にひとりで舟を出していても、迷うことはなかった。

 僕にとっての北極星は、今はもういない一人の人だった。


 意識がいよいよ薄れてくる。

 北極星を見失った僕にはもう、生き方もわからない。

 死んだらあの人に会えるだろうか。


 冷たいすきま風が吹く部屋で、冷たいコンクリートの天井を見上げながらこの世に別れを告げようとしたときに、ふと声が聞こえた。


「お前、本当にそれでいいのか?」


 僕はそれに答えたつもりはなかったけれど、視界が急に明るくなったのは、そのときだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る