せいはろ -Say hello to My fate-

てるふぃー

第1話「地震」

何が起きたのかは、まだわかっていない。

ただ、俺には走ることしか出来なかった。

建物は崩れ、木々や信号が倒れ、街は死んでいた。

街だけじゃない。今まで声をかけた人々は、全員が死んでいた。

家族も、親戚も、友人も、みんな死んだ。その事を受け入れきれないまま、俺は今、走っている。

なぜなら、それしか出来ないからだ。



- Say hello to my fate -



――九時間前。

「雄太!起きなさい!」

部屋の外から母親の声がした。それと同時に、俺は窓から射す強い光を浴び、慌ててうつ伏せになった。

枕に顔をうずめながら、携帯を覗き込む。――もう昼間、十二時になるところか。

今日のバイトは午後五時からだから、もう少し時間がある。適当な返事をして、俺は布団に潜りなおした。

「ゆうたー!大事な話があるから、バイト休んでほしいんだけどー!」

うるさい母親だ、フリーターとしてバイト人生を送っている俺に、それほど大事な用事があるわけがない。

ドタドタと部屋に向かって歩いて来る音が聞こえる。きっと母親に違いない。

俺はゆっくりと体を起こした。同時に、部屋のドアがばたんと開く。

母親が、少し血色の悪い顔をして、俺の顔を見下ろしていた。

「なんだよ、バイト休まないといけないくらいの用事って。」

「おじいちゃんが、死んだわ。」

俺は耳を疑った。

「じいちゃんが…なんだって?」

母親は深呼吸をして、もう一度言った。その目に涙を浮かべて。

「おじいちゃんが、死んだって…十八時から通夜よ。来なさい。」

それだけ言うと母親は足早に出て行った。反射的に体を起こして、スウェットをジーンズにはき替えた。

頭が真っ白になる。俺の祖父は、ガンで三ヶ月前から入院していた。――こんなにあっさり、死んでしまうものなのか!?

握っていた拳を、事務机の上へ叩き付けた。ガツンという音と共に、やり場のない悲しみと怒りが、俺を包む。

歯を食いしばってそれに耐えた。俺はもう二十二歳、この涙を呑まなくては。

やるべき事は俺にもあるのだ。携帯を充電器から外して、バイト先のファミレスに電話をかける。

『お電話ありがとうございます、レストラ――ああ、天野、どーした!?』

店長の張りのある声に影響され、俺は少しばかり声を張った。

「あの、祖父が亡くなりまして…今日通夜があるので、バイトを休ませてください。代わりは、探します。」


結局、代わりは店の方で探してくれる事になった。

ひとり時間を持て余した俺は、自分の住むマンションの廊下から、晴れ渡る四月の空を見ていた。

雲の流れが速い。温かい風が、やんちゃに空気を引っ掻き回している。

俺は廊下の手すりに腕を乗せ、顔を埋めた。

「雄太」という名前を付けてくれたのは、俺のじいちゃんだ。

雄々しく太く、現世を生きろ、と言うじいちゃんの願いを、俺は叶えてやれなかった。

大学に三度も落ち両親を呆れさせ、今ではこのバイト生活が五年目に入っている。

正直なところやりたいこともなく、ただ時間を無駄に費やしているだけだった。

死んだってかまわない。そんな事を思っていた矢先の、祖父の死はすごく頭に響いた。

響いたけれど、そんなことで俺の人生は一発逆転はしてくれない。


「どうしたの?」

自分の隣の部屋のドアが開いたことに、俺は気付かなかった。

黒いチュニックを着たサイドテールの女の子が、俺と同じく手すりに腕を乗せ、こちらを覗きこんでいた。

隣人のそいつは二歳年下で、小さい頃からよく俺の遊び場にくっついてきていた妹のようなものだ。

「いや、生きるって何だろうと思って。」

「はいい?」

思いっきり首を傾げられた。テールがばさっと手すりに引っかかる。

「何言っちゃってンの?」

「あぁ、わり。すげえ変な言い方になったけど、みんなちゃんと意識して、希望を持って生きてるのかなぁって。」

「どっちにしろ意味わかんないねー。きっとみんなそんなの意識したことないよ。あたしもそうだし。」

冷静に考えてみれば、そうかもしれない。じーちゃんが死んだことで、すごくナーバスになっていたんだろう。

「確かにその通りだ。ところで、どこかへお出かけ?」

「うん。しゅーかつっすよ、しゅーかつ。」

彼女は美容の専門学校に通う二年生。そろそろ内定がほしい時期だ。

「耳が痛いね。」

「んま、自分と比べんなって!ユータにはユータの、日々ってもんがあるよ。」

彼女は腕を起こして、優しく微笑んだ。じゃねっと言って、手を軽く振る。

俺は一つため息をついて、言った。

「…いってらっしゃい。」

このため息は、自分への呆れか何かだろう。

自分の部屋に戻ろうとした時、俺は何かに気付いて、慌てて振り向いた。

「おい、柚佳!」

廊下の先に彼女の姿はもうない。

「おまえ、私服(それ)で就活に行く気なのか!?」


夕方五時をまわったころ、俺は父親のコンパクトカーに乗り込んだ。

ノート○五年製。この形が一番好きだ。ただ俺は免許を持っていない。

涙の跡で顔を真っ赤にした妹と母親を後ろに乗せ、俺は助手席についた。真面目な顔で聞く。

「親父、事故んなよ。」

親父は目を合わせようとはしなかったが、言った。

「馬鹿言うな。前々から、覚悟はしてたよ。最期にも付き合ってやった。」

ああ、もうさんざ泣いてからだいぶ時間が経ってるのか。

こんなクズみたいな俺でも、自分の親父が死んだら、いの一番に泣くだろう。

「なら、いいけど。」

俺は気まずくなって、窓に顔を向けた。

冬が終わってから、日が落ちるのが随分と遅くなったもんだ。

俺たちの住んでいる田舎―神奈川県伊勢原市には、ドでかい山がある。

その山が夕焼けのせいでくっきり映し出されている。正直、キレイだと思った。

景色を慈しむとか、そんな事がまだ俺に出来たことにもビックリしたけど。

身内が死んだことで、こんな事まで気付けるようになるなんて…!

俺はますます、自分のことが嫌になっていった。



通夜の木魚を聞いている間、予想通り俺はまた泣きそうになった。

妹も母親もぼろ泣きしている中で泣くことは出来なかったが、終始俺の肩はワナワナ震えていただろう。

やっと落ち着きを取り戻したのは、読経が終わって親族同士の乾杯が始まった頃だった。

なつかしい従兄妹たちとの会話を弾ませ、一通りの恥をかいた後、親父が俺たち家族を送るべく、車を出した。

「みんな、立派に成長していくんだな。」

宴の席での会話を、父親はほとんど覚えていた。俺も胸に突き刺さっていたので覚えている。

それもあって、車の中で俺はずっと下を向いたままだった。そのままつぶやく。

「俺はこの五年間、何をしていたんだろう。」

「それに気付けただけでも、親父の死には意味があった。」

俺は顔を上げた。車内は俺と親父の声しかしない。

「じーちゃんの死に…意味が…?」

「そうだな。お前もそろそろ、道の決め時って奴なんじゃないか。」

なんだか、すごい恐怖が体中を駆け巡った。思わず身震いする。

車は信号に引っかかり、停止線をわずかに越えた所で止まった。

「今まで何も持ってこなかったカラッポの俺が、今からどの道に行けるって言うんだよ…。」

俺の声は震えていた。親父もため息をついて、俺の方を向く。

「お前はまだ、二十二歳だ。あと三年はニートでも構わない。だからどんどん外に出て、お前の叶えたい物を探せよ。だから――」

信号が青になった。親父がアクセルを踏む。

「恐れるな。」

そう言った親父の顔が、グラッと揺れた。

「きゃああああ!」

後部座席で母と妹が悲鳴を上げる。車がパンクしたように、左右に揺さぶられ始めた。

「地震だ!」

俺は声を張り上げて、咄嗟にエンジンキーを回した。


どれくらい揺られたのかもう覚えていない。

一時間ぐらいに感じたし、でもこれは実際は一分ぐらいだったりするわけで。

そう、とにかく、地震は収まった。

窓の外では地響きや物が倒れる音がたくさん聞こえたし、衝撃もたくさん感じた。

体のあちこちが痛むが、それは自分が「生きている」何よりの証拠だったし、

自分が無事ということは、家族も助かったという確信があった。


それなのに――


俺は車内を見回した。

背もたれが馬鹿になってしまっている。運転席も助手席もだ。

まず運転席に倒れこむ親父に声を掛けようと思った…が、やめた。

こういう時まず確かめるは、妹、そして母親だろう。

妹は後部座席に、母親と折り重なるようにして倒れていた。

「だいじょうぶか?」

俺は母親と妹の体を軽く叩いてみた。反応は無い。

すごく怖いことを疑ってしまった。妹の手を取って、脈を見る。見つからない。

母親の手も取ってみたが、脈が見つからなかった。

「こんな…」

俺は呟いてしまっていた。運転席に倒れる親父の手を取った。

「こんなことって…」

夢だったらいいのに。だが、この体の痛みは本物だった。

「うわああああああ!!」

窓もドアも閉まった車内から、俺はどこかへ叫んでいた。

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