補習

ギア

補習

 今日は土曜日なので授業はなく、各教室は閑散としている。

 グラウンドからは運動部の生徒たちの声が力強く聞こえるが、校内は静まり返っていた。文化系の部活動は一般の教室から多少離れた特別教室にいるのだろう。

 こんな日に教室へ向かうのは、先日の期末試験があまりにも悪すぎたために補習を受ける羽目に陥った、一部の生徒たちだけだ。

 4人はまさにそのために学校に訪れていた。


 その中の1人が、頭1つ半は高い隣の男子を見上げるように話し掛けた。

「お前、なんで補習受けに来てんだよ。全国模試12位だったんだろが」

「そんなこと期末試験の結果には何ら影響を与えませんからね。僕は確かに20点以下しか取れなかった。よって補習を受けなくてはいけないのは明白なはずです」

 喧嘩腰に投げつけた言葉を頭上からさらりと切り返され、結局それ以上問い詰めることもできず、ふんっと鼻を鳴らす最初の生徒。そんな2人をぼんやりと見つめていた3人目は、4人目にして一行の中でただ1人の女子に目を移した。

「俺さ、お前らよりこいつが来てることの方が不思議なんだけど」

 どこか眠たげなその口調に、4人目は相手に聞こえないように呟いた。

「こいつ……そう呼び、私を自分より下位に置くことによって束の間の優越感を得る。人間はどこまでも互いに傷つけあう」

「何か言ったか?」

 3人目が怪訝な顔で聞くも答える様子はない。別にいいか、とまたぼんやり歩き出すその彼に声がかかった。

「不思議とか言ってるお前自体、何で来てんだよ」

「ほら授業いつも寝てるから聞いてなくてさー」

「君、寝てても平均点は切らないじゃないですか。なんでこの授業だけ?」

 頭上からどこか楽しげにそう問いただす2人目の生徒に、とぼけた笑みを返す。

「どうせみんな同じなんだろ?」

「いや、だからこの女がいる理由がよく分からないんだって」

「この女……そう呼び、私を貶めることによって自らを他人より特別な存在と勘違いする。人間とはなんとあさましくも悲しい生き物」

 1人目の投げかけた疑問に4人目はまたも皆に聞こえないように呟いた。

 そのとき2人目が上から他の3人を見渡し、驚きの声を発した。

「ちょっと待ってください。そういえば、なんであの人がいないんですか?」

「げ。本当だ、あの女がいねぇじゃん。どうしたんだ、風邪か?」

「有り得ない。愛しの先生に会えるチャンスを風邪くらいで逃すわけがないって」

 口々に叫びだす3人。女子だけは慌てる他を冷然と見つめている。

「下駄箱に靴ありましたっけ? まさか平均点越えたとか……」

「だから有り得ないってば。他の教科はそうだろうけどー」

「すでに下駄は入れられなくなって久しいのに下駄箱なんだよな。でも黒板も緑色か。名前だけは変わらないのに、素材やらなんやらは変わってっちまう、うーむ。面白い」

 話し合う3人だったが、目的の教室に辿り着いたため、議論を打ち切る。もっとも明らかに1人だけ話が脱線していたが、他の面子はそれを気にする様子もなかった。

 4人目はそんな3人を軽蔑したようなまなざしで眺めていた。

 そして3人もそのことに気づいていたが、いつものことだったので特に気にはしなかった。いつ、誰を見るときも彼女は基本的にそうだった。

「まあ……別にいっか。早く教室入ろうぜ。先生を待たせたら悪い」

「悪いと思うならそもそも……、まあ、お互い様ですね」

 4人は教室に入った。


 私は補習のために集まった面子を見渡した。

 くそ、見事に予想通りかつ私が最も望まなかった顔ぶれだ。しかしここでため息をついてしゃがみこむわけにもいかない。何せこれから彼らに英語を教えるのは自分なのだから。

 鐘が鳴った。

 予定していた5人より1人少ないが、まあ、あいつは居ない方が楽だし……いやいや、私も一応は教師なのだし、そんなこと言ってはいけない。

 とはいえ待つわけにもいかなかったので始めることにする。

「よっしゃ、始めるぞ。どうせ教科書持ってきてないだろうから、配るんで後ろに回してくれ……っていうか、そんな後ろにいないで最前列に来い、お前ら」

 この言葉に最後尾の加賀間が口を開いた。

「すいません、目が良いんで後ろでもいいですか?」

 細い体からひょいと手が上がる。さすが身長190cm以上あるだけあって、上げた手の高さもそうとうなものだ。

 こいつの名前は加賀間かがま弘樹ひろき。こいつがどんな男か知るためには、その髪の毛の話は外せないところだ。

 奴の天然パーマの髪の毛は茶色く長い。本人の主張によるとそれは地毛によるもので決して染めたりはしていない、ということだったが数学の園部先生は残念ながらその言葉を信じなかった。

 その次の日から加賀間は1週間学校を休んだ。

 再び学校に来たとき、奴は自腹で行ったらしいDNA鑑定の結果を持ってきた。さすがにこれには園部先生も何も言えなかったらしい。その瞬間を見たかったのは私だけではないだろう。あの人はもう少し礼節を知るべきだ。

 まあとにかく、そんな生徒だ。

 要するに相手をやり込めるためには手段も目的をも選ばない。

「意味がよく分からん。それ以前にそのでかい眼鏡を外してからものを言え」

「これ伊達眼鏡なんですよ」

 そう言いつつ奴はクイッと眼鏡の位置を直した。

 つまり少なくとも今日に関しては本当にそうなのだろう。

「分かった。じゃあ目が良くても前に座れ。これでいいな?」

 私の力技に、横暴だな、と眉をひそめつつもちゃんと前に来た。ここに来ている奴らの共通点として、とことんまで抵抗してこないということが挙げられる。そのせいで逆に問題として上に提起しづらく非常に困る。正直、いっそ暴力沙汰にでもなったほうがいくらか楽な気がして来た。

 帰ろうかな。

 ほんの一瞬とはいえ本気で思ってしまった自分が情けない。そのとき、目の前の机からぼそりと呟きがもれる。

「帰ってもいいのに」

「亜矢里、最前列に座ってくれるのは嬉しいんだができれば机の上の物は片付けてくれるかな。あと人の心を読むのはやめてくれと何度も言っているはずだが」

 机の片隅に小さな金属製の浅い皿が置かれ、中心に盛られた繊維状の何かからうっすらと煙が立ち昇っており、机の他の部分は隙間無く何かのカードで埋まっている。まあグリーティングカードでないことだけは確かだ。

 亜矢里あやさと亜里沙ありさ。一瞬混乱するその名前もさることながら、本人も十分に混乱に値する。

「この学校は宗教上の自由も認めてくれない……」

「それは呪術じゃないか?」

「呪術は宗教です。科学では辿り着けない世界の真実の一端に近づく方法」

 小馬鹿にしたように言い放つ亜矢里の目は一見やる気なさげだが、その実、今日集まった面子の中ではトップクラスの頑固者だ。その長い黒髪、細く整った顔立ちのお嬢様な外見からは想像もできない。

 黙ってればかわいいのに……、という思考を慌ててかき消すも遅かった。

「高田……そういう発言はセクハラです」

 明らかな嫌悪の視線を送ってくる彼女に私は頭を抱えた。名前の呼び捨てはもう慣れた。いや、それはそれで問題だとは分かっているんだが。

「発言してないのに」

「聞こえました」

 考えていることでセクハラかどうか判断するとしたら多分男が女性を見るときの思考なんて大半がセクハラなんじゃないだろうか。大体、私がお前にセクハラしてどうする。

 もっとも、本当に思考を読めているのかどうか未だによく分からない。単に私の目を読んでいるだけなんじゃないか、と思うこともある。でも授業中、背中に痛みが走るときは大抵彼女が人形に針を刺しているときなので、まんざら出来なくもないように思う。

 かと言って、彼女を刺激しないためだけに思考を停止するわけにもいかない。

 大体この程度でセクハラと言われてはたまらない。セクハラというのは、こういうことや、こういうことを言うことを指すんだ。分かったか、こら。……というわけで私の最後の手段に、相手は顔を真っ赤にして伏せてしまった。

 なんというか、特定の方向への知識はひどく深く、かつ様々な学問について広く浅い知識ももっている彼女だったが、唯一男女に関する知識だけはまったくなかった。

 もっとも私としてもこの弱点をつくのは非常恥ずかしいので、実行に移すのは本当にどうしようもないときに限っていた。そのおかげか、幸い彼女と私のパワーバランスは上手い具合に釣り合っている。ただ毎回微妙に内容を変えなくては効果が薄いため、ネタを使い切る前に今年度が終わらなければ、天秤は大きく傾くことになるだろう。

 まあ、それはさておき。

 亜矢里はこれで片付いたとして、次は窓際で実に気持ち良く寝息を立てている馬鹿を起こすことにしよう。もっとも直接起こすのは、その隣の男子に頼むことにする。近寄ると殴ってしまいそうだった。

「おい、高橋」

「あいよ」

「返事は『はい』だ」

「はいだ」

「『だ』はいらん」

 この言葉に高橋は、その筋肉質で太い体を震わせると、ガタッと椅子を倒さんばかりの勢いで立ち上がり憤慨した。全身に行き渡る力と緊張から来る内側からの圧迫に、ただでさえはちきれそうな奴の制服がさらに限界へと挑む。

「高田先生! その理論でいくとガンダムは銃夢がんむになってしまいます!」

 私は教卓に突っ伏した。

 とにかく暴れだしたいのを我慢して口から押し出すように命令する。

「分かった。私が悪かった。とにかく、ぶん殴ってでもいいから隣の馬鹿を起こせ」

 そしてこれが失敗の元だった。高橋はぴたりと動きを止めると私を見上げた。

「先生、ぶん殴るの『ぶん』ってなんでしょう?」

「知らん」

「気になりませんか? だって他にも『ぶん』回す、などの使い方があるんですよ?」

「ぶんぶん回すから『ぶん回す』んだろ。どうでもいいから早く起こせって」

「では『ぶん』殴るときは何かを『ぶんぶん殴』っていることですか?」

 高橋二郎が一度この状態に入るとなかなか止めるのは厄介だった。何せ悪気がまったくないのだから。

 見た目、どう見ても体育会系のくせにその思考は科学者のそれだった。いや、正しくはたちの悪い科学者のそれだ。何か疑問を覚えると完全に視界がそれに絞られる。確か以前に奴が授業中に陥った思考の迷宮の入り口は「取っ払う」だった気がする。

面倒くさいので詳しい説明は省く。

 私が、どうやってこいつを拳以外の手段で止めるかを考えていると、意外なところから助け舟が出された。加賀間が立ち上がると、ゆっくりと高橋を見下ろした。

「元々『ぶん』があって、それ自体は凄い勢いで曲線の動きをする様子を指しているんですよ。ここから『ぶん殴る』が生まれる。そしてこれを複数回繰り返す動き、つまりは円運動ですね、そこから『ぶんぶん』が回すことに使われる、ということじゃないでしょうか?」

 最前列に席を移していた加賀間は、クイクイとズレてもいない眼鏡を直しつつ冷静な口調で高橋にそう言い切り、最後にニヤリと笑った。

「いかがかな、高橋くん」

「なるほど……さすがだな、加賀間。俺のライバルなことはある」

 高橋は人差し指と中指を立てると、ピッと相手に向けて敬意を表した。

「これで僕の35勝33敗ですね」

 どこで勝敗が決まったのだろう。

「すぐにひっくり返してやるさ」

 最後に2人が握手するまで待ってから私は手を叩いて皆の注意を引いた。

「はいはい、お前ら、小芝居は終わったかー? 満足したかなー?」

 とにかく疑問を羅列し相手を困惑させる高橋と、あの手この手で相手をやり込めることを生きがいとしている加賀間は、とにかく衝突することが多かった。実のところ本人たち、そしてクラスの大半はそれをひどく楽しんでいるようだったが、授業時間を大幅に食い取られる私にとっては非常に迷惑極まりない催し物だった。

 少なくともそれで宿題が増えたからといって、私を責めるのはお門違いだと思う。

「堪能しました」

 最前列に腰を下ろした高橋が私の皮肉にも気づかず、嬉しそうにそう言った。

しかしその隣の亜矢里は妙に気分が悪そうだった。私が、大丈夫か、と心配そうに聞くと不機嫌な声で、別に、と返してきた。しかしついに耐え切れなくなったかのように立ち上がり隣の高橋に向き直ると、冷たく相手を見下ろした。

「煙たかろうが、重たかろうが、知ったことじゃないわ……ただその馬鹿げた疑問に人を付き合わせることに罪悪を覚えないと、いつか罰が下ることを覚えておきなさい」

 一体全体、高橋の馬鹿は何を考えていたのだろう、と私は首をひねった。

 一方、高橋は心を読まれたことに対する困惑より、己の疑問を共有してもらえないことに驚きを覚えたようだった。ここらへんも高橋が高橋たる所以だった。

「いや、でも気にならないか? なんで『煙い』と『重い』だけに『た』が入る変化が起こりえるんだ? 変化じゃなくて単に独立した単語と見なすにはあまりに似てる気がするんだよ、こいつらは」

 おいおい。本当に何を考えているんだ、この男は。

 高橋のこのセリフに亜矢里が黙った。そしてもちろん私にはそれが危険な兆候であることを理解していたので、フォローを入れようとしたのだが残念ながら間に合わなかった。

 彼女は懐から人の形をした布切れを取り出すと、素早く何かを書き付け、ニヤリと笑うとそれを彼女の机から立ち上る煙の根元に近づけた。煙が遮られたかと思うと、ゆっくりと布が燃え始めた。

その瞬間。

 窓際で寝ていた男子が叫び声をあげ、飛び起きた。必死に背中に手をまわし掻きむしりながら走り回る。しまいには倒れこみ、背中を床にこすりつけるようにじたばたと転げまわった。

「亜矢里……お前、何をしたんだ?」

「知りません。私は高橋の馬鹿に呪いをかけたはずです」

 それはそれで問題なんだが、と思いつつ私は燃え残った布をそっと拾い上げた。そしてそこから読み取れる文字を確認して、ため息をついた。

「亜矢里、お前もう少し字を綺麗に書く練習をしろ……。これじゃ『たかはし』じゃなくて『たかなし』に読めるぞ」

「そんな。だからといって『ちょうゆう』の馬鹿に呪いが飛ぶ理由が分かりません」

 クラスメートの名前も知らないのかこいつは、と頭を抱える私にかわって、ここぞとばかりに加賀間が立ち上がった。再びずれてもいない眼鏡をクイクイと直しながら亜矢里に微笑む。

「亜里沙くん、落ち着いてください。彼の名前は確かに『鳥遊』ですけど、読みは『たかなし』なのですよ。鷹がいない、よって鳥が遊べる。日本語の中でも非常に面白い名前の1つですね」

 面白いのは名前だけじゃないがな、と私は心の中で苦々しく付け加えた。そして地面で痛みにひくついている鳥遊たかなしに近寄ろうとした。しかし勢い良く立ち上がった高橋がいきなり喋りだしたのでそっちに向き直る羽目になった。

「その場合って『鳥』と『遊』にそれぞれ『たか』と『なし』の読みが割り当てられるのか? それとも『香具師』と書いて『やし』と読むように特にどれがどれに対応しているということもなくなってしまうのか?」

「ふむ、それは難しい問題ですね。2文字ごとに意味が分かれているように見えてしまうこと、またちょうど『鳥』に『たか』が来てしまうことであたかもその意味を表しているかのように見えてしまうことから、読みが割り当てられていると考える人が多そうですが、実際は全体に読みがかかっていると考えるべきなのかもしれません」

「しかしその考え方でいくと人によって考え方が変わってしまうことになるな……やはりここは」

 私は例の布をひらひらと亜矢里に示した。

「亜矢里、すまんがこれをあと2人分作ってくれないか? 名前は加賀間と高橋で。そうしたらこの補習を免除してやっても」

 もっとも、残念ながらこの言葉の最中に高橋と加賀間が慌てて席に着いてしまったので、亜矢里は補習を免除してもらえなかった。ちなみに本当に作ってもらったら免除はするつもりだった。嘘ついてもばれるしな。

 さてようやく謎の痛みも治まったらしく鳥遊は、床から立ち上がると辺りを見渡した。そして自分がどこで何をしているのかをようやく思い出してくれたらしい。照れ笑いを私に向けながら窓際の席に戻る。

 荷物を移動するのかと思いきや再び机で寝息を立て始めた。

 私は奴の名の書かれた布を迷わず煙の根元に押し付けた。


「さてこうしてみんなに集まってもらったのは補習のためなんだが、気が付いたらすでに全体の時間の半分を無駄に過ごしてしまった。誰のせいとは言わないが」

 あんたが、お前が、いや僕が、という言い争いが始まったが、それは私が黒板を思い切り爪でひっかくことで収まった。他人の心の叫びまで負ったらしい亜矢里が一番静かになった。

「本来は補習の最初の半分で簡単な復習、後半で追試を受けてもらう予定だったんだが、予定を変更して、これから追試を受けてもらう」

「先生、亜矢里が白目むいてて聞いてないみたいなんですけど、起こしてからもう1回言ったほうがいいんじゃないっすか?」

「先生、鳥遊くんがまた寝ているので起こしていいでしょうか?」

 眼鏡をクイッと直しつつ、そう言うと額に手を当てている私を見て付け加えた。

「あと泣かないでください。涙に特別な力があるのは人類の全体から見てほんの一握りの人たちだけです」

 私はハンカチを取り出すと涙を拭いつつ、余計なお世話だ、と返した。

 そのとき、突然教室の後ろから金属板が床に叩きつけられる音が盛大に響き渡った。驚きに身をすくめ目を閉じていた私たちが、おそるおそる振り返ると部屋の隅に置かれていたロッカーの扉が吹き飛んでいた。

「授業の妨害くらいなら多めに見てあげる! でも高田先生を泣かすなんて許せない!」

 ロッカーの中で仁王立ちしながら艶やかな黒髪をなびかせていたのは補習参加予定者の最後の1人、神宮寺じんぐうじ響子きょうこだった。

「お前……いつからそこにいたんだ?」

「そんなお前だなんて……響子とお呼びください」

 眉を寄せ問いただす私の言葉に、なぜか顔を赤らめる神宮寺。

 呆れたように高橋が呟く。

「全く会話が噛みあってないな。いつものことだけど」

 確かにそうだが、お前に言われたくない。

「響子さん、早く席に着いてください。授業が始められません。先生も困ってますよ」

 確かに困ってるが、お前に言われたくない。

「言われたくない、言われたくない……まるで政府による言論弾圧のように高田は」

「とにかく、みんな席に着け!」

 だらだらと皆、席に着いた。そしてこっちを見上げる。まったく……どういう言い方をすれば言う事を聞いてくれるのやら。

「よし、試験を配るぞ」

 自分を奮い立たせるためにはっきりと声を出し、テスト用紙を持ち上げた。

 しかしこの言葉に奮い立ったのは私だけではなかった。

「そんな、いきなり試験なんですか。予定と違いますよ」

「人は自分と違うものを忌み嫌い排除する。人は2000年たっても変われずにいる」

「なんで私がロッカーに隠れていたか聞いてくれないんですか?」

 私は目を閉じて、5秒数えた。

 それから口を開いた。

「鳥遊は寝てたから知らなかったかもしれないが予定は変更された。亜矢里、何を言っているのかまったく分からん。神宮寺がどうしてロッカーに隠れていたかは聞かずにおいてやる。だから黙って試験を受けろ」

「そんな。私は先生を陰から見守るためにわざわざあんな狭くて暗いロッカーの」

「はい、始めの合図があるまで伏せておくように。始め!」

 相手の言葉を無視して、私は畳み掛けるように試験を開始した。

 その瞬間、いつの間にか寝ていた鳥遊は始めの合図に慌てて目を覚ましたかと思えば椅子から落ち、亜矢里は選択式の問題の解答を私の目には見えない誰かに訊ね始め、高橋は問題文の中の日本語に気になる表現を見つけたらしくぶつぶつと検討を始める。加賀間はさっそく複数の解答が存在し得てしまう問題を発見したらしく得意げに手を上げていた。神宮寺は手は動いてはいるがその眼差しは私に向けられ頬を赤らめている。

かろうじて残っていた10分間の授業時間は瞬く間に過ぎ、鐘が鳴った。

 教卓に次々と答案用紙が置かれ、教室には私だけが残った。


「しかし今日も綺麗だったな、高田先生」

「まったく、補習のために休日来るときの先生は普段とは違う魅力がありますね」

 普段スーツ限定だもんな、あの人、と高橋が加賀間の言葉に賛同する。その横で同じくうんうんとうなづく鳥遊。

「美人がいる部屋でとる睡眠はまた格別だなあ……うん」

「まあなんと言ってもからかいがいがあるというところが魅力なんだが」

「でも泣かせたのはやり過ぎよ、あなたたち。万が一、学校を辞められたりでもしたらどう責任をとるつもり? 私の学校に来ている理由の87%が失われるのよ」

 その会話に憤然と神宮寺が割って入った。

 高橋は呆れたように首を振った。

「お前はもう少し男にも興味を抱くべきだと思うぜ」

「汗臭くて頭まで筋肉の生き物に? 冗談じゃないわ。綺麗で、いい匂いがして、柔らかいものに惹かれる方が人としては正常じゃない」

 この言葉にはさすがに男3人の顔が引きつる。先生とこいつを2人きりにするのだけは絶対に避けなくては、という思いが同時に3人の頭をよぎる。

 加賀間がふと何かを思い出したかのように、その長身のせいでほとんど見下ろすような形で亜矢里を見やった。

「そういえば」

「私がどうして先生の補習を受けるために成績を落としているかどうかはあなたには関係ない。それに本気を出せば補習を受けなくて済むだけの学力があるかどうかなんて、どうして分かるの?」

 質問する前に回答されてしまった加賀間は、それ以上何も言えずに亜矢里の頭上で口をパクパクさせている。

 しかしその会話を聞いていた高橋が親指であご先をさすりながら無言で考え込み始めると、途端に亜矢里の顔が徐々に赤くなり始めた。

「高橋、なぜそれを……!」

「いや、単に推理しただけさ。亜矢里が追い求めているのは知識だろ? お前に今現在、欠けてる知識を得る方法として……」

 亜矢里は黙って高橋の写真の貼られた人形を取り出すとそれをプスプスと針で突き刺し始めた。痛みに跳ね回る高橋、なるほどとにやつく加賀間、話の内容が分からず不機嫌そうに眉を寄せる神宮寺、そして歩きながら寝る鳥遊。


 その頃、人気の無い職員室では、採点した答案用紙を前に頭を抱えている教師がいた。

「だから、なんであいつら、追試では満点とるかな……試験時間10分で」

 高田洋子、25歳。英語教師としての道は果てしなく険しい。

 しかしまさかその障害が自分の容姿にあるとは思いもよらないのであった。

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