綺麗な字の子。歪んだ字の子。

螺子巻ぐるり

1


 ねぇ、美山さん。……って。

 最初、淀川さんに声を掛けられた時、恥ずかしいですけど、『怖い』と思ってしまったんです。


 だって変じゃないですか。クラスの端っこで大人しく生きてきた私が、いつも友達に囲まれてる淀川さんに話しかけられる理由って、あります?

 無いですよね。

 だから、何か嫌な要件なんじゃないか、って思っちゃったんです。

「あのさ。……ちょっと、頼みたいことがあんだけど」

 けど、なんだか言い難そうに続けた淀川さんの言葉を聞いて、違うのかもしれない、と思いました。

 私から目を逸らして、普段より小さな声で尋ねてくる淀川さんの様子は、私に文句を言いたいとか、何か面倒ごとを押し付けたいとか、そんな雰囲気じゃなかったんですから。

 何ですか、って私は聞きました。出来るだけ、平然とした顔をして。

「今は……ちょっと。放課後は時間ある?」

 言いにくい用事。やっぱり何か面倒ごとなのかな。

 私は胸がざわつく思いでしたが、良いですよ、と答えることにしました。

 だって、放課後に用事なんて何にもないんですから。

 それでですね。私は放課後、図書室に本を返してから、教室に戻りました。

 淀川さんは辺りをきょろきょろしながら待っていて、私が戻ったのを見つけると、一瞬緊張したような面持ちで固まりました。

 変だな、と思いましたよ。挙動不審というか。

 それでやっぱり、また『怖い』って気持ちになりました。

 だって淀川さんは、いつも堂々としてるイメージがありましたから。

 先生に対しても、大きな態度で文句を言ったり。男子にからかわれると、低い声で言い返したり。

 私にはとても出来ないようなことを、色々出来る人だ、と思ってましたから。

「んでね。美山さん。頼みっつーのはさ……」

 何を言われるんだろう。

 クラスでも全然関係ない、友達でも何でもない私に、頼みって?

 口の中が乾く感覚がしました。じっと、淀川さんの目を見ていました。

 すると淀川さんは、とうとう私とは目を合わせず、一言、言いました。


「ラブレター、書いてくんね?」


 ……頭が真っ白になりました。

 ラブレター? 書く? 私が? 誰に? なんで?

 けど言葉が上手く出てこないで、えっと、と私は口ごもってしまいました。

「そりゃ困るよね。いや急にアタシも恥ずかしい事頼んでんなって思うんだけどさ。……ほらあたし、字ぃ汚いからさ?」

 知らないよ、と思いましたが、言えませんでした。

 けどそれで、事情は伝わりました。

 淀川さんは好きな人に手紙を贈りたい。けれど自分の字が汚いから、他の人に代筆してもらいたいと、そういうわけらしいのです。

 でも、どうして私なんでしょう。

「学級日誌。前に美山さんの書いたヤツ見てさ、字ぃきれーだなーって思ってたんだよね」

 だからだ、と淀川さんは答えました。

 ……そうです。自慢じゃありませんけど、私は字が丁寧な方だと、よく言われてきました。

 小さい頃に、母に厳しく教えられたからでしょうか。字はその人間の本質を表すものだから、綺麗に書きなさい、と。

 そこでようやく、私の心から『怖い』という気持ちは無くなりました。

 目の前の淀川さんが、何を考えているかよく分からない他人じゃなくて、もっと近しい隣人のように感じました。

 おかしな話ですね。頼みごとをされたというだけで、私と淀川さんは友達でも何でもないのに。


 そして私は……申し訳ないけど、とその頼みを断りました。


 いくら字が下手だと言っても、好きな人に気持ちを伝えたいというのなら、それは自分の手で書くべきだ……と思ったからです。

 きっとそれは、おかしな感情ではないハズです。だって淀川さんも、それを聞いて「そっかぁ」と頷いてくれたから。

「だったらしゃーないかぁ……」

 肩を落とす淀川さんは、いつもより小さく見えて。

 嫌な話ですが、『勿体無いことをしたな』と感じたのを覚えています。

 一瞬だけでも、私は淀川さんの上に立てたのではないか、って。そのチャンスを逃してしまったのではないか、って。

 でも、代筆ではいけないと思ったのは本当ですから。

 それで、この話は終わるはずでした。淀川さんの頼みは断られて、それから接点の無くなった私たちは、最低限の事務的会話だけを数言交わして、連絡先も知らずに学校を卒業していく。

 ええ、その時はそうなると、思っていたんです。


「じゃあさ、美山さん。あたしに字ぃ教えてくんね?」


 その言葉を、聞くまでは。

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