~アレクディース・恋愛本編ルート編・第六章~

第41話 不穏なる者達の嘲笑・変化

「お~い、アヴェル~。まだ起きないのか~?」


 ユキ達が天上にて十二の災厄を回収する、少し前の事……。

 独自に作り上げられた異空間の中、彼らの楽園はひっそりと、だが、常に美しくそこに在った。

 アヴェルオード神が自身の後継として生み出した息子、アヴェルの力によって。

 彼に拾われた、イリューヴェルの皇子とよく似た容姿を持つ青年が、真っ暗なアヴェルの部屋へと足を踏み入れる。

 獅貴族の国、ゼクレシアウォードで一度捕まってしまった彼らの神様は、それ以降……、ずっと眠ったままだ。そんな事態に追い込む程のダメージを受けたわけではない、と、思うのだが……。

 とにかく、青年と、マリディヴィアンナの心は焦りと不安を感じたままだ。

 だが、ようやく時が来たようだ。数時間前にはなかった変化が、今、青年の瞳に映っている。


「これはまた……、ようやく成長期か?」


 禍々しい黒銀の光と、アヴェル自身が抱く青銀の光。

 円を描きながらがグルグルと回転している謎の紋様に絡みつく、二種類の光。

 その中心で、膝を抱えて静かに俯いているアヴェルが、ちらりと青年に目をやった。


「おはよう……。マリディヴィアンナは? どうしてる?」


「う~ん、お前が寝てる間に、ちょぉ~っと、なぁ……」


「ん?」


「お前に時々会いに来てた女がいたろう? アイツと一緒に三人でウォルヴァンシアに飛んだんだが……。俺がちょっと野暮用済ませてる間に、……勝手に突撃して、ボロボロに惨敗してた。すまん」


「器は? 壊れなかった?」


 両手をパンっと叩き合わせて謝った青年に、アヴェルが眉を顰めて問うた。

 彼に話した野暮用。その後にマリディヴィアンナ達の様子を見に行ってみれば、どうにか戦闘の場から逃げ出し、全身酷い有様で涙を伝わせていた彼女と合流する事が出来た。

 余計な事はするなと散々注意をしておいたというのに、どうやら……、同行していたあの女がマリディヴィアンナを唆し、手を出してはならない相手に勝負を仕掛けてしまったようだ。

 青年も、野暮用を済ませている最中に感じ取った、あの強大な力……。

 今までに出会った誰よりも上の、生きた心地さえ奪われるような感覚。

 こうも感じた。その力に、存在に、支配される事が当然だと思えるような、一種の恍惚感。

 見てみたかった。だが、そんな余裕はなく……。

 

「器が壊れかかってるが、まだ大丈夫そうだ。後で修復してやってくれ」


「うん……。あと、……ヴァルドナーツは、回収されちゃったんだよ、ね」


「あぁ」


 ヴァルドナーツ……。長い時を、共に過ごした仲間。

 愛した女に対する執着と憎悪を糧に機会を待っていた男。

 あの男の願いは、正直、口にしたくはない非道の限りを尽くして、その身を引き裂き、魂を奪い去る事だった。そして、アヴェルの力でお互いの魂を融合し、永遠に縛り続ける。

 悪趣味な願いだと思わないでもないが、狂った者の思考に常識性を求める方がどうかしているのだろう。青年自身も、同じようなものだ……。

 北の大国、イリューヴェル。彼(か)の国を治める皇帝の血筋を絶やす事。

 それが、青年の望み。自分から愛するもの全てを奪った男の血筋に、報復する為……。

 あまりに昔の事で、いっそ忘れてしまいたいとさえ思う事もある。

 だが、出来ない……。遥か昔に味わった屈辱を、今でも鮮明に思い出せるあの瞬間を、彼は忘れる事が出来ず、凝り固まったおぞましい怨念が消えてくれないのだから。

 手のひらをきつく握り締めた青年を見つめながら、アヴェルが周囲の光を消し去る。

 トン……、と、素足で降りた床の上で、彼は生まれたままの姿に衣という壁を作った。

 

「すぐ、マリディヴィアンナの所に行く。外で何か……、美味しい物でも買ってきてくれる?」


「ん、了解。お前もあんまり無理すんなよ」


「大丈夫。母様達を解き放つまで、僕は捕まらない……。絶対に」


「……解き放った後の事も考えとけ。その母親に、子供らしくめいいっぱい甘えるっていう、幸せな瞬間をな」


 青年が部屋を出る際に顔だけを振り向かせ片目を瞑って提案すると、アヴェルがきょとんと可愛らしく間の抜けた顔をするのが見えた。

 突然成長したアヴェルの身体。大人の青年となった今の彼は、やっぱり中身はお子様のままのようだ。『悪しき存在(モノ)』として封じられた神々……。

 共に封じられている、アヴェルの母親。寝言でたまに聞く事のあった存在だ。

 同胞と母親を救い出す為に動いているアヴェルには、目的を達成した後に幸せを手にしてほしいと願っているが……、今やっている事で手一杯、なのだろう。

 その先の幸福を、アヴェルはまだ描けずにいる。自分よりも何倍も年上の存在であっても、その心は幼く、頼りない。

 

「……考えとくよ」


「そうしてくれ。じゃあな」


「うん、行ってらっしゃい」


 軽く手を振って部屋を出た青年は、微笑ましさを含んだ息を吐き、廊下の先へと歩みだす。

 長く一緒にいたからか、子供達の服や食の好みもバッチリと把握済みだ。


「ヴァルドナーツがいれば、……ははっ、そういえば、アイツが料理する時は、何でかフリフリエプロンだったなぁ。皆でアイツが作った料理や菓子を囲んで……」


 恨みとか、復讐とか、そんな事全部忘れて……、楽しい、と、そう思えていた温かな時間。

 マリディヴィアンナを唆し、ウォルヴァンシアの者達に喧嘩を仕掛けたあの女の死に関しては、何とも思わない。いや、怒りめいた感情を覚えるが……。

ヴァルドナーツを失った事実は……、物足りない、と、そう感じているような気もする。

 

「あ、これから料理は俺の当番になるのか? う~ん、……料理か、得意じゃないんだがなぁ」


 そうだ。苦手な事をやるくらいなら、機会を窺ってヴァルドナーツの魂を奪還するというのはどうだろうか? 向こうだって、その時を待っているはずだ。

 作り物の太陽が窓を通して廊下へと降り注がせる光を見つめながら、青年は微かに笑う。

 ヴァルドナーツの魂がユキという少女の許に在るのはわかっているが、手を出すにはかなりのリスクが伴う。なにせ、相手は神だ。こちらは、アヴェル一人。

 向こうは、一人や二人の話じゃない。それに、マリディヴィアンナが目にし、自分も肌で感じた恐ろしい力の持ち主。そんな相手にどんな手を使おうと、労力の無駄というものだ。

 たとえ、助け出したいと心底望んでいても……。


「暫くは、潜っとくのが安全策だろうなぁ……」


 動く予定ではあるものの、出来るだけ、そう、極力避けた方がいい。

 昨夜感じた力の持ち主や、他の神々との接触は……。

 あくまで、欠片の回収を優先させるつもりだが……、仕掛けた『悪戯』はすでに動き始めており、その場に姿を現さない方が得策だと思えた。

 ヴァルドナーツが奪われた今……。たとえ神であろうと、感情に左右されやすいアヴェル、それとマリディヴィアンナが愚かな真似をしないよう見張り、導くのは自分の役目だ。

 目的を達成する、その時まで……。全てを壊す、大願成就の瞬間を迎える為に。

 

「うん、まぁ、それにはまず腹ごしらえが必須だよな。よし、さっさと食料調達に行ってくるか。あぁ、奮発してアイツらの好物大盛りにしてやろう。ふふ、よしよしっ」


 と、青年が下の階に降りようと鼻歌まじりで進んでいたその時。

 

「――っ」


『御苦労様』


 階下から漣のように青年の肌を撫でながら過ぎ去って行った気配……。

 艶やかな女の声が耳元をぞわりと擽り、それは一瞬で消え去った。

 覚えのある気配だ……。アヴェルが扱う黒銀の力。

 それは、アヴェルだけでなく、ディオノアードの鏡……、その欠片にも宿っているものだ。

 何度も肌に、魂に感じ続けてきた気配、匂い、予感……。

 破滅を呼び込む、禁忌の力。本能で悟りながら、しかし、抗う事が出来ない力。


「アヴェル……」


 揺らぐ事のない決意と覚悟だが、……今のは。

 青年は階段を戻りかけ、……僅かに躊躇った後、足を引いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る