第26話 古き友との衝突

 ※前半は、ヒロイン、幸希の視点。

  後半は、アレクディースの視点で進みます。


 ――Side 幸希


「――なるほど。それは確かに、心配ですね」


 不安に揺れる心を紅茶のほど良い温もりに溶かしながら、私はあの三人に纏わる昔々のお話をセレスフィーナさんとレゼノスおじ様に打ち明けていた。

 神として在った頃、アレクさんとルイヴェルさんに想いを向けられていた事。

 私の優柔不断さが招いた最悪の結果……。偽る事など一切せず、全部。

 目の前のソファーに座っているセレスフィーナさんとレゼノスおじ様は、徐々にその眉を顰め、最後には唸るようにその指先を額に添えていた。


「息子が神であった事実を知った時にも少々驚きましたが、これはまた……、頭の痛い話ですね」


「私もです、お父様……。どの角度から話を見ても、ルイヴェルの軽はずみな行動が大事(おおごと)に繋がったとしか思えません」


「え? い、いえ、あのっ、悪いのは私なんですよ!! ルイヴェルさんが、えっと、神様時代のあの人が怒ってそういう行動に出たのは当然というか」


「「ルイヴェルを甘やかさないでください」」


 ゴゴゴゴゴゴ……!! と、荒ぶる鬼神でも這い出してくるかのような恐ろしい気配を漂わせ始めた二人に大慌てでルイヴェルさんのフォローに入ったけれど、見事に却下されてしまった。

 

「昔からそうだった……。あの馬鹿息子は、周りの者に迷惑ばかりかけて、自分勝手に好き放題」


「あ、あのっ、れ、レゼノスおじ様っ」


「本能に忠実というか、我が弟ながら……、千回死んでもあの性格は治らないわ」


「せ、セレスフィーナさんまでっ、お二人とも落ち着いてくださいっ。ルイヴェルさんは悪くないんですよ!! どこからどう見ても無罪なんです!!」


「「有罪としか思えません」」


 親子同時にテーブルへと拳を打ち付け、お二人はぷるぷると震え出してしまう。

 ブツブツとルイヴェルさんに対する愚痴や怒りの言葉が怨嗟の如く室内の空気を侵食し、怖い事この上ない!! お願いだから鎮まってください!!

 心なしか、今まで明るかったはずの外の光まで陰ってしまい、外からゴロゴロと不吉な音が。


「ユキ姫様、お父様、良いのではないでしょうか? 陛下のお怒りをその身に受けるのであれば、あの子も少しは反省する事でしょうし」


「そうだな……。結果的に死ななければ問題はない」


「大ありだと思います!!」


「「問題ありません」」


 もうっ!! だから違うんですって!!

 どうして皆、諸悪の元凶である私の事を完全にスルーしてしまうのだろうか!!

 あれかな? 私の説明の仕方が悪かったの!? ルイヴェルさんがやっていた猛烈的積極性全開のアピール歴についてはオブラートに包んで当たり障りなく説明したつもりだったのに!!

 ダラダラと冷や汗を流しながら全力でルイヴェルさんのフォローをしていると、――ピカッ!! と、窓の外が一瞬だけ光に包まれた。

 薄暗くなった室内に不気味な静寂が漂い、数秒後にどこか遠くで雷鳴が鳴り響く。

 

「え、えっと、とにかく、ですね……。ルイヴェルさんにも、アレクさんにも、何も罪はないんです。だから、出来ればレイフィード叔父さんには過去の怒りを収めてほしいというか」


「ふぅ……。ユキ姫様のお気持ちはよくわかりますが、それで本当に良いのでしょうか」


「え?」


 肘を着き、両手の甲に顔を乗せたレゼノスおじ様がやれやれと溜息を吐きながら言った。


「たとえどんな事情であろうと、アレクとルイヴェルはレイフィード陛下の御心に耐え難い苦しみの傷をつけたのです。それを無条件に許せ、というのは、あまりにも残酷な願いでしょう」


「でも……」


「あの三人の問題は、その中で片付けるべきです。どんな方法であれ、納得出来るやり方で……。もう一度関係を結び直すには、それしかありません」


「口を出すなと、そういう事ですか? レゼノスおじ様……」


 ルイヴェルさんとよく似た面差しの、その表情には何の迷いもない。

 セレスフィーナさんも同意見なのか、悲しげに瞼を伏せながら頷きを落としている。

 雷鳴の後にポタポタと窓の外を濡らし始めたそれが、徐々にその雨足を強めていく。


「ユキ姫様の御心を考えれば、穏便に事が済むのが一番だとは思います。ですが、それでは陛下の御心はどうなるのでしょうか」


「レイフィード叔父さんの、……お兄様の、心」


「大切な妹を目の前で失ったも同然の目に遭い、陛下はその記憶と感情を覚醒と共に思い出されたのです……。その心の内に渦巻く痛みの辛さを思えば、アレクとルイヴェルを許せというユキ姫様の願いは、あまりに酷なのです」


「……」


 アレクさんとルイヴェルさんを守る事にばかり気が向いていて、目覚めを迎えたレイフィード叔父さんを気遣う想いが欠けている、と、そう言われている気がした。

 わかっているつもりでも、本当はわかっていなかったのだろうか……。

 レイフィード叔父さんに、かつての怒りと憎悪、そして、その時に負った悲しみや苦痛を抑えろと頼むのは、――私の身勝手な願い。


「……黙って、見守る事が、私に出来る唯一の事、なんですね」


「お辛いとは思いますが、今はその方がよろしいかと……。それと、恐らく、陛下には……、あの二人を殺す事は出来ないでしょう」


「でも……、二人への恨みは根深いものです。お兄様は、私の事を何よりも一番に大切にしてくれていた神(ひと)なので、少し困った部分も多いというか」


 私を傷付ける者は地獄の果てまでも追いかけ、必ず恐ろしい報復を! ……と、本気で実行に移すような神(ひと)だったから、どうしても油断は出来ない。

 けれど、レゼノスおじ様はひと口紅茶を味わうと、また静かな吐息をついた。


「ユキ姫様が大切に想う者達を、そして、御自身も情をかけられている相手を、陛下は御自分の手で消し去ったりはいたしません」


 それは予想でも希望でもなく、心からそう信じているからこその確かな音だった。

 地上を叩き付ける激しい雨音と、薄暗くなってしまった世界の翳りと対象的な、レゼノスおじ様の珍しくわかりやすい表情の明るさ。

 レイフィード叔父さんは、絶対にアレクさんとルイヴェルさんを傷付けない。

 それを知っている深緑の双眸に、私は少しの間釘づけとなってしまう。


「もしも、レイフィード陛下が二人を殺す気があれば、我々が生まれる遥かな昔にそれを成した事でしょう……。けれど、それをせず、貴女様の魂を追って眠りに就いたという事は」


 どれだけ殺したい程に憎んでいたとしても、――殺せない相手というものがいる。

 それが、自分にとって大切な者であったり、それに近しい者、一度でも情を分けた者であれば……、心優しいレイフィード叔父さんには、その命を奪う事は出来ない。

 レゼノスおじ様がソファーから立ち上がり、様変わりをしている窓の景色を眺めながら語るのを聞きながら、私もそれに頷いた。

 これもさっきと同じで、わかっていたはずなのに、わかっていなかった事実。

 神としての家族、妹であった私に対するレイフィード叔父さんの情の深さばかりに意識が向いてしまって、表面上の事だけが頭の中にあった。

 本当に考えなくてはならない大事な部分は、その裏側だったのに……。


「すみませんでした。私は……、自分本位の立場でしか、物事を考えていなかったようです」


「いいえ、ユキ姫様。私と娘は、第三者だからこそ、客観的に見る事が出来ているだけです。……ただ」


 ちらりと、レゼノスおじ様の視線が王宮医務室の上に向けられた。

 セレスフィーナさんと一緒に何だろうとその視線を追ってみると、――直後。

 王宮全体を激しく揺さぶるような衝撃が走り、巨大な爆発音のような不穏極まりないそれが響き渡った。


「な、なに!?」


「お父様、これは……!!」


「ただ、……死なない程度、には、あの二人は面倒な目に遭うのではないかと。そう思ったのですが、やはり当たりだったようですね」


 王宮医務室の外からは、豪雨の荒ぶり様にも負けぬ程の悲鳴や慌ただしい物音が聞こえてくる。

 一人だけ冷静そのものなレゼノスおじ様は、やっぱり凄い人だ。

 放っておいても大丈夫でしょうと、そう静かに言って柔らかなソファーの表面に腰を下ろしかけたレゼノスおじ様を、セレスフィーナさんがその腕に縋って外に連れ出そうと動いた。


「ユキ姫様、お父様、陛下のお部屋に急ぎましょう!!」


「問題はない。アレクとルイヴェルは死なない限りはしぶといからな……」


「そんな問題じゃありません!! レゼノスおじ様!! 早く行かないと、二人がっ」


「ご安心を、ユキ姫様。男とは、時に厳しく鞭打ってでも成長させなくてはならない時があるのです。特に、ウチの愚息は千回程死地を彷徨って、ようやく真っ当になるのではないか、と」


 確かに、ルイヴェルさんの困った性格に関しては色々と同意見だけれども!! 

 今はそんな事を言っている場合じゃない!! 下手をしたら、本当にこの王宮が吹っ飛んでしまいかねないのだから!!

 ぐぐっと足を踏ん張って、行く必要はないとねばるレゼノスおじ様を、私とセレスフィーナさんは全力で引き摺りながらレイフィード叔父さんの部屋へと向かうのだった。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――Side アレクディース


「――ぐっ!!」


「アレク、そろそろ抵抗のひとつでもしておいた方がいいぞ。魂は神のそれでも、肉体は狼王族のものだからな」


 無数の氷の矢が降り注ぐかのように、群れた灰色の雲からは絶えず豪雨が肌を打ち付けてくる。

 ウォルヴァンシア王宮の一角にある塔の石壁に背中から激突した俺は、ずるりと地上に向かって落ちかけたが、片腕をルイに助けられた。

 俺とは違い、雨避けの結界を纏っている幼馴染は、放たれてくる攻撃を全て回避に成功している為、無傷の姿だ。

 それは俺にも出来る事ではあるが……、あえて、それをする気にはなれなかった。

 視線の先には、俺と同じように全身を雨風に晒しているレイフィード陛下が宙に佇んでいる。

 ウォルヴァンシアの王としてではなく、――ユキの兄神として。

 愛する女神をこの手で害し、眠りに就かせる原因と作った張本人として、俺にはその敵意を受け流す事など出来ない。


「本当に君達は……、真逆だよね。片方は僕の怒りを正面から受けるだけ。片方は、自分が悪くないとでも言わんばかりに避けまくる……。どちらの反応が正しいのかな?」


 そう冷たく呟いたレイフィード陛下の音は、生憎と吹き荒ぶ風と鋭く地上を打ち付ける雨のせいで、ただの人であれば聞き取れない類の小さな音だった。

陛下が次の攻撃の手を放つ。俺とルイ目がけて、無数の鋭き氷の刃が宙を裂き襲いかかってくる。

 それさえも受け止めようとした俺を、ルイが無言で腕を掴みながら素早く横に飛び退った。


「ルイ……、別に俺の事はいいんだ」


「誰もお前の為とは言っていない」


「……ユキの為、か」


「わかっているのなら、少しは抗え」


 俺とは違い、本当にルイはその考えに迷いがない男だと思う。

 神として出会ったあの日から、ずっと……、密かにその迷いのなさに憧れてもいた存在。

 ルイはいつも、自分に正気な男だった。

 ユキを求める気持ちも、彼女の不安や戸惑いさえも、その存在で抱き締めようとするかのように。

 彼女の傷や不安に必要以上に踏み込めず、遠慮ばかりしていた俺とは違う。

 違い過ぎて……、叶わなくて、悔しくて……、だからこそ。


「次が来るぞ。今度は自分で何とかしろ」


「あぁ……」


 その身を惨めに濡らそうと、視界がどんなに悪かろうと……。

 覚醒を遂げ、神としての記憶と力を取り戻した陛下は、遠い記憶の中に取り残された感情のままに、俺達へと攻撃を仕掛け続けてくる。

 これは、陛下の……、ユキの兄神であり、俺の友であった者の、嘆きだ。

 愛する妹を傷付けられ、眠りにまで追い込んだ俺への罰。

 ルイがユキに触れた事は騒動のきっかけでしかなく、一番悪いのは恋情に狂って我を忘れた俺自身。だから、ルイは巻き添えで陛下の怒りを受けているようなものだ。

 しかし、逃げろと行っても聞いてはくれない。

 レイフィード陛下からの制裁を受ける素振りは微塵もなく、ただ逃げ回りながら俺の助けに入るばかり。

 覚醒したルイと再会した俺がいまだに違和感を引き摺っているのは、そんな行動のせいだ。

 本当なら、――お前を殺そうとした俺を、その身代わりとなって傷を負ったユキの事を思い出したのなら、何故、俺を罰しようとしないのか。

 それは、あの悲劇の夜からずっと、疑問に思い続けてきた事でもある。

 だが今は、それよりも陛下とどう向き合うか、それが問題だ。

 ルイの言う通り、俺が罰を受ける覚悟を決めていても、その果てにユキを悲しませたのでは意味がない。しかし、俺に出来る事など、唯ひとつしかない……。


「陛下、俺は……」


「アレク、いや、アヴェルオード……、僕は今、神としての君と、いや、かつての友であった君と、話をしているんだよ」


「……そうだな。王と騎士としてではなく、かつてのように」


 ――レイシュ・ルーフェ。

 懐かしいその音を口にしたのは、この狼王族の器では初めての事。

 あの悲劇の日から、ユキに対してと同じように友であった神(レイシュ)にも、罪の意識を抱き続けていた。


「俺は、お前から……、大切な妹を奪った。この手で」


「幸せだったんだよ。君達があの子に良からぬ情を抱かなければ……、今だって、平和に天上で暮らせていたのかもしれない。僕の手であの子を、ユキを守って……、ずっと、ずっと」


 父を失い、母を失い、二人きりになった兄妹。

 レイシュとユキの境遇は、天上にあって……、時に敵意を向けられるものでもあった。

 このエリュセードを救った勇ましき戦神(いくさがみ)を父としながら、母親である女神が愛しい夫神を失ってしまった悲しみに耐え切れず、……災厄の女神と変わり果ててしまったが為に。

 残された二人に罪などあるはずもない。それなのに、一部の神々はレイシュとユキを疎み、災いの子だと陰で罵り続けた。

 どんなに、俺達御柱の立場にある者や、良識のある情深い神々がやめるように言い含めても、決して消える事のなかった悪意の声。

 レイシュは必死に妹(ユキ)を守ろうと、その毒を紡ぐ神々から彼女を守り続けてきたのだ。

 それなのに、――俺が、レイシュの大切な宝物を奪った。

 恨まれて当然、憎まれて、当然の過去……。

 今俺の目の前にいるレイフィード陛下、いや、レイシュは、あの瞬間の記憶を全て取り戻したのだ。


「誰かを愛してしまえば、母親のようになってしまうかもしれない……。あの子はね、それをずっと恐れていたんだ。傷付き怯えたその心を、僕がどんな想いで守ってきたか、知っていた君が、最悪の形で裏切った……!!」


 怒りに満ちたレイシュの声音と共に、王宮の至る所に神の力が歪な音を立てながら亀裂を走らせてゆく。それが極限まで抑え込まれている力の余波だと、俺とルイヴェルは気付いている……。

 本当は、この王宮だけでなく、ウォルヴァンシアの王都をも神の力で吹き飛ばしてしまえるその怒りを、レイシュは必死に理性を働かせて暴発しないように抑え込んでいるのだ。

 

「レイシュ……、お前の言う通りだ。俺は、どんなに言葉を尽くしても贖いきれない罪を犯した。だから、どんな罰でも受けるつもりだった」


「だった、って事は……、今は違う、って事かな? ルイヴェルのように、自分は悪くないとでも、そう思う事にし」


「違う!! 俺は、俺は、……お前が望むなら、その怒りも、悲しも、全部受け止める心を消してはいない!! だが、俺がお前の手にかかれば、また、彼女に消えない傷を刻む事になる」


「ふぅん……、神(ひと)の妹を盾にとって、僕に許しを請いたいと?」


 そう受け取られても仕方がない。

 けれど、ルイの言う通り……、俺に何かあれば、ユキが自分自身を許さず傷付く羽目になる。

 それだけは避けなくてはならないのだ。

 互いに濡れ鼠になりながら視線を交わらせる事数秒……。

 レイシュが何かを言おうとした、――その時。


「レイシュお兄様!!」


 降り注ぐ豪雨に抗うかのように響いた、地上からの声。

 俺達の視線はすぐに、悲しそうに顔を歪めている少女の許へと放たれた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る