ちなみに景吾は、個人戦でも団体戦でも強いらしい。柔道はオリンピックの中継で見るくらいなのでほとんど馴染みがなく、詳しいことはよくわからないが、団体戦での体重無差別総当たり戦で重量級の選手からあっという間に一本を取ったという話は、耳に新しい。

 それに引き換え、高総体でのひらりは、一〇〇メートルと二〇〇メートル、それと四×一〇〇メートルリレーに出場したが、どれもパッとしない結果に終わり、悔しい思いをすることになった。時間のない中で自分なりにベストを尽くしたつもりだったのだが、景吾を見ていれば、練習不足なんて言い訳にもならないのは明らかだった。

 元からのスペックの違いなのか、ひらりの預かり知らないところで努力を積み重ねてきたからなのか。おそらく後者なのだろうけれど、それをおくびにも出さないどころか、先回りして事を運ぶ景吾には、助かると同時に、やはり末恐ろしさを感じるひらりだ。

「じゃあ、リストも選曲もひとまず、ひと段落だな。あとは、学校のみんなにどう働きかけるかだけど、これなら俺にいい考えがある。……聞きたい?」

 景吾の行く末に驚愕していると、議長の瀬川大助がニヤリと口角を持ち上げた。

 不敵なその笑みに、大助以外の全員が一抹の不安の中に好奇心をそそられたような顔をする。もったいぶるということは、けっこう奇抜なアイディアなのだろうか。

 そう思ったひらりの勘は的中し、

「――昼休みの放送、ジャックしない?」

 大助のその突飛な提案に、生徒会室がにわかにざわついた。

「え、だって、ビラ配りと署名活動を盛り上げないといけないだろ? 生徒会、応援団、吹部に野球部ばっかり頑張ったって、肝心の生徒を動かせないことには今までどおり教頭に一蹴されるのは目に見えてる。俺、放送部にツテがあるんだよ。大胆なことでもしないと、必死こいて頑張ってる間にタイムリミットだ。それだけは、どうしても避けないと」

 なんでみんな、ちょっと引いてんの……? という顔で大助が言う。不敵な笑みはすっかり影を潜め、言いながら、大助の顔には不安の色が濃くなっていく。

 でも、放送ジャックだなんて、あまりに強攻策なのではないだろうかと全員が尻込みしてしまうのも無理はないことのように思える。もしそうできたなら、確かに格好いい。生徒の気持ちをガラリと変えることも可能かもしれない。けれど、放送部にツテがあるのはさて置いて、じゃあこの中の誰がジャックするというのだろうか。

 それに、自分たちだけが責任を問われるならまだしも、放送部にまで火の粉が降りかかったら大変なことになる。

 大胆なことでもしないと大多数の生徒を動かすのは難しいと考える大助の気持ちには、ひらりもおおいに同感できた。なにか手を打たなければタイムリミットになってしまうことも頭ではわかっている。――が、難色を示すほかのメンバーの顔色が示すとおり、これはあまりに危険な賭けだと言わざるを得ないのではないだろうか。

 それぞれに立場も抱えているものもあるのである。それを思うと、会長としてどうみんなを守ったらいいか、ひらりにはすぐには答えが出せなかった。

「思うんだけど」

 するとそこで、佑次が口を開いた。

「大胆なことをするなら、それこそ応援団の出番でしょ」

「どういうこと?」

 怪訝な顔でひらりが尋ねると、佑次はおもむろにマスクを下げ、枯れた声で言う。

「全校生徒にはまだ、俺たちがどこまで本気かっていうのを公にしてない。それで瀬川は放送ジャックしようって言ってくれたと思うんだけど、だからこそ、応援団の〝声〟で全校生徒に訴えるんだよ。校庭のど真ん中で。応援団全員で。ホームルーム開始ギリギリの時間を狙って。俺たちがどれだけ本気なのかを、一発で学校中に公表するんだ」

 それなら放送部には迷惑がかからないし、ジャックするっていう瀬川の提案も達成できるだろ。そう言って佑次は大助にニッと笑い、改めてひらりたちの顔を見回す。

「応援団のことは心配しなくていい。俺が声をかけたら、みんな喜んで集まってくれる。ひっきりなしだったんだよ、俺らにもビラ配り手伝わせてくれっていう連絡が。しばらくお預け状態だったから、きっとすっげー大声が出ると思う。大声こそ応援団の十八番おはこだろ。放送をジャックしなくたって、拡声器を使わなくたって、俺らなら生の声で届けられる」

 そう力説する佑次に、ひらりのみならず、佑次以外の全員が目をしばたたいた。

春先に『今年のモノじゃなかったら、いつのモノになんの?』とか『俺なんかより生徒会がうまく立ち回ってくれたら問題はないわけだし』なんて、まるで当事者らしからぬことを平然と言っていた人物と同じとは思えない力強い発言に、すぐには声が出てこないのだ。

 この二ヵ月足らずで急激に成長した佑次には目を瞠るものがある。

 ひらりや景吾の心を動かし、あわやこれまでかと思われた吹部の内部崩壊による辞退の申し出もいつの間にか収めていた。応援される側の野球部も、とうとう本気にさせた。自分だって吹奏楽応援のほうにばかり、かかりっきりになっていられるわけでもなかっただろうに、そんな中でも、振り返ってみれば佑次が一番、方々に走り回ってひとつずつ丁寧に問題を掬い上げて解決に運んでいたのだ。あの頃の頼りなさはすっかりなくなり、今はただただ、浅石佑次という男のことが、ひらりには頼もしく見えて仕方がない。

 「……わかった。じゃあ、私もやる」

 ここになずながいれば惚れ直しただろうな、と少しだけ悔しく思いながら、ひらりは、ひと回りもふた回りも成長した佑次をすっと見据える。応援団がやるなら、生徒会も――私もやろう。その考えに至るのは至極当然のように思えたし、それ以外にないように思う。

「……うぇっ⁉ い、いいの?」

「え、私も混ざっちゃいけないの?」

 問いに問いで返すと、丸くなっていた佑次の目がさらに丸くなった。驚いているというよりは半信半疑な部分が多いように見える。きっと、会長自ら目立つような真似をして大丈夫かと心配しているのだろう。佑次の二つの目には戸惑いの色がありありと見て取れる。

 けれどひらりには、そんなのは取るに足らないことだった。

「私がやりたいから、やるんだけど。会長だって、たまにはバカになりたいよ」

 そう言って、ふっと微苦笑すると口角を持ち上げる。

 その言葉の示すとおりだ。問題をひとつずつ揉み消していくのではなく、先手を打って回避していくわけでもなく、バカみたいに真正面からぶつかっていくことのほうが何倍も楽しいんだと、この二ヵ月間、目の前の佑次に教えられっぱなしだったのだ。

 そんなの、ちょっと悔しいじゃないか。正真正銘の正攻法ほどスカッとするものはないのだから、それに乗らないでどうするというのだろう。これは、楽しんだ者勝ちだ。

 ぐっと押し黙ってしまった佑次を試すように見る。

 ややして、諦めたように息をついた佑次は、

「バカって……。いや、箱石がそこまで言うなら、大歓迎だ」

「じゃあ、なにも問題ないね。私も瀬川の案に乗りたかったの。ちょっと形は変わっちゃうけど、全校生徒の耳をジャックする意味では同じだし、肉声ってなんかいいよね」

 笑って頷いたひらりを見て、ようやく丸い目を三日月形に緩めた。

 これは酔狂な大博打おおばくちなのだ。謝るだけでは済まないだろうことも、会長の自分が生徒の模範に反することをすると、ほかの生徒会メンバーの品位や、ひいては〝生徒会〟そのものの在り方を問われることになるだろうことも、しっかりと胸に刻んでいる。それでも〝見たいから〟と言う佑次に力を貸してやりたい気持ちは変わらないのだから仕方がない。

 確かに伝統の部分を置き去りにしている感は否めない。でももう、この熱は。吹奏楽応援の実現に向けて日々奔走する佑次に触発されていつの間にか生まれてしまった情熱は、自分の力ではどうにもできないのである。

 要はひらりも見てみたいのだ、アルプススタンドに広がる壮観な光景を。吹奏楽の演奏に合わせて肩を抱き合い体を揺らすみんなの姿を。弾ける汗や笑顔を、ギラギラした真夏の太陽の下で見てみたいのだ。

「箱石がやりたいって言うなら、俺も付き合うしかないべ」

 そう言ったのは景吾だった。

「佐々木や吹部にも声かけてさ。有志を募ったほうが迫力出るだろ」

 いつものように指の腹で眼鏡を押し上げると、涼しい顔でひらりや佑次を流し見る。

「待ってよ、これは私がやりたいからするだけで、八重樫やみんなは別に……」

「そうだぞ。有志まで集めたら、野球部や吹部は最悪、大会に出られなくなるかもしんないし。八重樫だってまだ大会が控えてるだろ? 大胆なことをしようとしてるのに慎重になれって言うのも変な話だけど、勢いだけじゃダメだって」

「バーカ。そんなんで不祥事扱いになるわけないだろ。不祥事っていうのは、飲酒喫煙、部内でのいじめとか、そういうもんじゃん。吹奏楽応援の実現のために部活同志が垣根を越えて結託することのどこが不祥事になるんだ? 浅石が〝見てみたい〟って言った気持ちに同感したやつらはみんな、その時点で一蓮托生なんだ。つーか、俺を仲間外れにしないでくれよ。俺はずっと、そのつもりでいたんだけど、違った?」

 ひらりと佑次が口を揃える中、しかし景吾は涼しい顔を崩さない。声には一抹の寂しさが含まれているように感じるが、相変わらずポーカーフェイスで感情が読みずらい。

「それは……そうだけど」

「……確かに八重樫の言うことは正論だな」

 そう問われてしまえば、ふたりとも返す言葉もなく気まずい顔で目を見合わせるしかない。感情が読みにくいぶんダイレクトに伝わる景吾の言葉に胸がチリチリと痛む。

 でも、言われてみれば確かに景吾の言うとおりだと思う。一か八かの大博打を打とうとしているけれど、コソコソ隠れているわけではないし、むしろ正々堂々としている。教頭には散々問題視されてきてはいるが、景吾が例に挙げたように、飲酒や喫煙、その他高校生としての在り方を著しく害する問題を起こしているわけでもないのだ。

 自分たちはただ、七月に控えた野球応援を吹奏楽の演奏とともにやりたいだけだ。そのために生徒総会で議題に上げ、承認を得て、紆余曲折ありながらも、どうにか野外用の楽器一式を揃えてもらうための予算を学校側から得ようとしている。ちゃんとステップを踏んでいるのに、それのどこが不祥事に値する行為だというのだろうか?

 再び佑次と目を見合わせたひらりは、引き締まった顔で神妙に頷く彼を見て生徒会室に集まったメンバーをぐるりと見回す。一度目を閉じ、深く息を吸い込むと、

「――よし。じゃあ、有志を募ってみんなでやろう」

 目を開けると同時に、決意を新たにした。

 景吾の言葉は正直、胸の中心にぐっさりと突き刺さった。飄々としているように見えて実は熱い景吾の口から発せられた「一蓮托生」は、その言葉の持つ意味よりも深くひらりの心を揺さぶるものだった。景吾にそうまで言わせてしまった申し訳なさと、そう思ってくれていた嬉しさとが綯い交ぜになって、ひらりの胸はぎゅーっと痛くなる。

 ほかのメンバーからも「やりたい」「やらせてほしい」という声が集まると、ひらりは鼻の奥にツーンとした痛みを覚えた。みんなを守ることばかりを考えていたが、景吾をはじめとした生徒会の面々だって、会長であるひらりを守りたい気持ちは一緒だったのだ。

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