■5.ほんっとお前って、そういうとこな ◆浅石佑次 1
綿貫先生が倒れたという一報が佑次の耳に入ってから、早くも一週間が過ぎた。
学校は平穏を取り戻しているように見えるが、この一週間、生徒会はメンバーに緊急招集をかけたり、部活前に佑次や佐々木、なずなを呼び出したりと、バタバタしている。
この三人と生徒会が連日集まっているのには、わけがある。綿貫先生が志し半ばで手放すことになってしまった例の問題について、教頭から早急な対応を迫られているからだ。
楽器のリストアップはした、生徒会でも精査した、あとはこれを綿貫先生が再度精査し、上に――目下、教頭の首を縦に振らせるために手を尽くすだけだった。それが宙に浮いた状態となって一週間が過ぎてしまったのだ。今、自分たちにできることは、なんとかして一刻も早く教頭を納得させられるだけの材料を揃えることだけだった。
『もっとちゃんと考えてよ、応援団が言いはじめたことでしょ!』
会長のひらりは、まるでなにかに取り憑かれたように《応援団は、伝統のバンカラ応援を変えてまで吹奏楽を取り入れることに本当に意味があると思っているのか。また、どのような応援のしかたをするつもりなのか》について、ブラッシュアップした意見や、どれだけ本気でやろうとしているのかを厳しく追及してくる場面が多くなった。
野球部や吹奏楽部は、応援される側だったり、条件付きで話に乗った側なので、佑次に接するときほど厳しい口調になったりはしないものの、教頭からなにか言われているのだろう、やはりもう一度見直しを図ってもらわなければならないと彼女は渋面を作る。
こうなったからには生徒会も全面協力するしかないが、できることは自分たちでしてほしい。彼女はそう言って、蒼白にも見える顔で佐々木となずなに頭を下げた。
生徒総会前、全校生徒にかけ合う前から前途多難な予感しかしなかったことが、実際に形となって目の前に立ちはだかってしまった。五月ももう終わりに差しかかっているというのに、ちっとも前に進まない苛立ちが、そこここに一触即発の火種を燻ぶらせている。
……なんでこんなことになっちまったんだろう?
佑次は楽観視していた自分の甘さに、もう何度となく打ちのめされている。
教頭は相変わらずねちっこいし、自分たちの最大の味方である綿貫先生は入院してしまった。総会の場でも意地の悪い質問をされたし、この数週間で、自分の力じゃどうにもならないこと、思いもよらない事態が次から次へと起こりすぎているような気がする。
もし俺がバンカラ応援に吹奏楽を取り入れたいなんて言わなかったら、みんなの大事な部活の時間を取り上げることもなかったんだろうか。そう考えると、申し訳ないやら自分が情けないやらで、頭を掻きむしって叫び出したくなってくる。でも自分が代表なのだから、とうていそんな弱音なんて吐けず、自分の内側に溜め込んでいくしかなかった。
教頭を唸らせられない限り、予算も下りないし吹奏楽応援もできない。でもそのためにはどうしたらいいのか、佑次にはわからない。みんなの様子も日に日にピリピリしたものに変わっていき、正直、生徒会室に呼び出されるたび、糾弾されているような気分だ。
完全に手詰まりで、八方塞がりで、とてもじゃないが、こんな状態で吹奏楽応援なんてできるんだろうかと自信がなくなってきてしまう。たかだか二十人かそこらの人数でさえ、こんなにも心がバラバラなのに。同じ目標に向かっているはずなのに。
綿貫先生の思わぬ入院の影響は、こうしてみれば実に大きかった。
そんな中、またしても佑次の耳に噂が入った。
『生徒会がなにやらモメているらしい』
『生徒総会で一応は可決になったけど、この調子で本当に野球応援ができるのか』
そういった類いの噂話だ。
「昨日、会長とお前が盛大にやり合ったって噂だけど、マジなの? 生徒会室の外までお前らの声が聞こえてきたって話じゃん。なに、会長ってそんなにヒステリックなの?」
実際に佑次に直接、そう尋ねてくるクラスメイトも現れた。
そんなのはまったくの根も葉もない噂だったが、佑次があまりにモタモタしているため、怒られたのは嘘じゃない。その場は無難に「仲良くやってるし、そんなザコの言うことなんて放っておけ」と笑って否定したが、しかしこういう噂は一度でも立ってしまうと、ありもしない背びれ、尾ひれがついてノコノコとひとり歩きしてしまうのが関の山である。
現にあくまで平和的にモメているのは間違っていないし、学校は狭い世界だ。なにかしらみんな、刺激を求めているのだろう。あわよくば、人の不幸は蜜の味、的なものを。
なんでこういう下衆い噂ってすぐに嗅ぎつけられんだろうな……。
佑次の耳に入ったということは、すでに佐々木やなずな、会長や副会長といった生徒会メンバーの耳にも入っているはずだ。教師たちや教頭の耳に入るのも時間の問題――いや、教頭なら自分たちの耳に入る前に目ざとく嗅ぎつけているかもしれない。
当事者でなければ知らん顔もできよう。けれど佑次は、その渦中にいる。しかも困ったことに中心、まさに台風の目である。目の中は穏やかではあると聞く。でもひとたび周りを見回せば、自分のせいでみんなが強風に煽られ成す術なく振り回されている姿が目に入る。
自分こそしっかりしなければいけない。
ようやく自分が巻き起こした事態であることを自覚し、佑次は思いを改めた。けれど、そう思えば思うだけ、どんどん孤独に追い詰められていくような気がしてならなかった。
そんな思いに駆られている間にも、カレンダー上では今週の後半には六月に突入してしまうところまで、五月は消化されていた。衣替え、髪がうねる梅雨、そして野球応援までは、一ヵ月と少し。もう思ったより時間はないのに、悠長に構えている暇なんてないのに、俺は散々みんなをひっかき回してまで、いったいなにがしたいんだろう。
佑次のうねうねの髪は、日を追うごとにしおれていくばかりだった。
*
「はあ、もうっ。教頭ってほんっとムカつく! なんなのあれ、本気で検討してるって顔じゃないじゃん。うちらに散々頭を捻らせておいて、その努力のあとを見ようともしないなんてさあ! だから離婚されたんだよ! 元奥さんの気持ち、今ならすっごくわかる!」
その日、いつものように生徒会と団長、両部長で何度となく知恵を出し合い話し合った要望書を持って教頭のところへ出向いた会長と副会長だったが、さほど待たずして戻ってきたと思ったら、会長が席に腰を下ろすなり盛大に文句を吐き出した。
顔は真っ赤で、目も泣きそうに充血している。今日もまた、どれだけ嫌味をその身に受けてきたのだろうか。佑次はとてもじゃないが居たたまれず、視線を机に落とした。
ごめん。俺のせいでマジごめん……。一八〇センチ超えの背中が否応なしに丸くなる。
「綿貫先生がいないからって、俺らを軽視しすぎなんだよ、あの教頭は。さすがに俺も心中穏やかじゃないね。毎度毎度矢面に立たされる箱石が不憫でならない」
いつもは冷静沈着で、人を食ったようなところがある副会長でさえ、憤りを隠せない様子で要望書を強めに机に叩きつける。今日もとことんやられてきたらしい。ふたりの荒々しいため息が生徒会室に響き、待機していたほかのメンバーを嫌でも萎縮させた。
佑次たち現三年生が入学してきた当時から、教頭は独り身だという噂がまことしやかに囁かれていた。あくまで真相は誰の耳にも預かり知らないところだ。でも実際にコンビニ弁当やカップ麺で昼食を摂っている姿を目撃した生徒多数という状況もあって、生徒の間では高い信憑性を持って受け継がれている噂話のひとつである。
離婚されたというのも、もちろんそのひとつだ。穏やかな話ではないが、教頭のあの性格を考えると、奥さんに三下り半を突きつけられてもなんら不思議はないように思う。
実際は教育にただただ熱い人なのかもしれない。でも、度が過ぎればこうなる。生徒に嫌われ、伴侶には逃げられ……正直、ざまあみろだ。ちょっとだけ気分がいい。
そういうこともあって、どうやら会長は、連日溜まり続けた鬱憤がとうとう爆発の時を迎えてしまったらしい。彼女の様子に思いのほか子供っぽさを感じないでもなかったが、前から思っていたことだったのだろう、だから愛想を尽かされたんだと憤怒している。
「……でも、どうしましょうか。このままだと、六月に入っても埒が明きませんよ。世論って言ったら政治的な感じがしますけど、実際問題、生徒のみんなは、野球応援に消極的になってきてます。このままだと、じゃあやめるべ、ってなるかもしれません」
すっかり机に伏してしまった会長に同情の眼差しを向けつつ、会計の紺野梓がおずおずと口を開く。会長の仕事だと言われればそれまでだが、教頭のところへ出向くたびにやり玉に挙げられるひらりを不憫に思う気持ちが全面に滲み出ているようなその口調は、聞いていて胸に痛い。佑次にとっては糾弾されているのと同じようなものである。
会長をこんなにさせてまでやる価値が本当にあるのか。
無言の問いに、けれど佑次はきちんとした答えが用意できない。
「団長さん。二年がなにを出しゃばったことをと思うと思いますが、今度からは団長が教頭のところに行ってもらうことはできないでしょうか。こんな先輩、見ていられません」
「ごめん、そうする。言い出したのは俺だもん、俺だって見てらんない」
ほっとしたように微笑をこぼした紺野に、佑次も微笑を返す。怖い怖いと思ってばかりいたが、実際の箱石ひらりは、ただの普通の女子だった。傷つきもするし、怒りもする。こんなふうに人前で感情を爆発させることもあれば、今は構わないでくれと自ら心を閉ざしてしまうことだってある。
責任のある立場に就いているけれど、嫌になることだって往々にしてあろう。佑次と関わるようになってから、ひらりはいつも疲れているのだ。代われるところがあるなら代わってやりたかった。限界まで追いつめてしまったが、これからは自分が矢面に立って教頭と戦おう。佑次は紺野からの要求を誠意を持って受けることにした。
「じゃあ、俺は変わらず副会長としてお前に付いていくことにするよ」
仕方ないなと言うように副会長も眉尻を下げる。副会長もキレるくらいだ、今までずっと会長だからというだけで行きたくもない教頭のところに行かなければならなかった彼女のことを、どうにかしてやりたいと思っていたに違いない。
「ああ。言い忘れてたけど、教頭は俺らの気持ちの強さや熱さじゃ、びくともしないラスボスだから。折れたら負けだと思え。本当にやりたかったら、お前だけは絶対に折れるな」
頷き合うと、しかしノンフレームは眼鏡を押し上げなら不吉なことを言う。激励されているように聞こえなくもないが、ただの脅しじゃねえかと佑次は内心、戦々恐々だ。
「お、おう」
半身を引いて引きつった笑顔とともに返事をすると、ノンフレームが薄く笑った。あと出しで教頭の情報を入れてくるとか卑怯だ。でも、自分にはわからないところで会長のことを見てきたのだ、それくらいは目をつぶってやろうと思う。
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