「ということで、今の議案について質問のある人は挙手をお願いします」

 議長が総会を進める。承認に移る前に質問を受け付けるのも、一応の形式だ。もし質問が出た場合は、事前に質問内容に目を通させてもらい、回答を用意する。国会中継なんかを見ると同じことが行われていることがわかる。生徒総会は国会スタイルである。

 前を見ると、体育館はそこそこざわついてはいるものの、挙手してまで質問をしてくる生徒は出てこない様子だった。事前に質問を募ったときも、なにも出てこなかった。隣同士や前後で「えー、どう思う?」「どーしよー」と他人事のように言い合っている声がそこここから聞こえてくるだけで、やはり飛び入りの質問をしてくるような生徒は現れない。

 よし、これでさっさと承認に移れる。なずなは内心で小さくガッツポーズをした。

 どうして楽器を揃えてほしいのかは詳しくは説明しなかったけれど、団長が自分で調べてくれたことは、概ね合っている。木管は慎重に扱わないと本当にヤバい。説得力もあったように思うし、吹奏楽部には特に異論は出ないだろう。

「えー、では、質問が出ないようなので、承認に移ります。応援に吹奏楽を取り入れることに賛成の人は挙手を――」議長が一度ぐるりと生徒を見回し、淡々と言う。

「すいません、ちょっと待ってください」

 しかし、そこでひとりの生徒が声を上げた。ざわめく体育館。全校生徒の視線は、なずなから見て左側、一年生が集まるエリアの後方に向けられる。もちろんなずなも、彼らより早く、立ち上がった一年生を視界に捉えていた。いかにも真面目そうな眼鏡の小柄な男子。見るからに理詰めで論破してきそうな、なんだか面倒くさそうな、そんな男子だった。

「では、前に出てクラスと名前と、質問内容をどうぞ」

「はい」

 議長に言われて、一年生集団の間を縫って彼――仮に論破君と名付けよう――が前に進み出てくる。近づいてきてもやっぱり小柄だ。そして面倒くさそうな感じだ。

 それにしても議長は立派だな。いかにも厄介そうな人なのに淡々としている。なずなは内心でそう感心しながら、論破君が議長からマイクを預かるまでの一部始終を眺めた。でもどうせ、質問に答えるのは団長なんだし。ま、吹奏楽部には、私には、関係ない。

 が。

「一年E組の湯川ゆかわ広樹ひろきです。さっそくですが、吹奏楽部に質問です」

 ――はっ!?

「音が悪くなることはわかりましたが、なぜ楽器を揃える必要まであるんでしょうか? 学校の備品として予備の楽器はそれなりにあると思うんです。仮に吹奏楽応援をすることになったとして、それを使うことは可能なんじゃないですか?」

 ――なんですと⁉

「また、楽器を購入することになった場合、いくらくらいになるんでしょうか? 資料には『楽器一式』とありますが、具体的な金額が知りたいです。回答をお願いします」

 ――うっわー、超面倒くさいんですけど‼

 なんと、論破君の質問は、真っ先に吹奏楽部に向けられてしまった。

 なぜ楽器を揃える必要があるのか、学校の楽器は使えないのか、揃えるならいくらくらいか。なにこの面倒くさい質問。団長の説明で納得してよ。ていうか、やっぱ答えなきゃいけないんだろうか。……いや、いけないんだろうな、名指しで質問されたんだし。

 なずなは内心で思いっきり顔をしかめ、しかし表面にはおくびにも出さず、論破湯川の質問に、うん、うん、と首肯を交えて聞き入っている体を装った。

 でもこれは、面と向かって質問するまでではないが、みんなが気になることだろう。総会資料に目を通した際、初見でまず思うのは、学校の備品は使えないのか、であることは、なずな自身が吹奏楽部員ではなくても、きっと一瞬くらいは頭を掠める疑問である。

 左隣にいる団長をちら見ると、ものすごく申し訳なさそうな顔でこちらを見下ろしていた。心の声が聞こえてくるようだった。ごめん、マジごめん。右隣にいる佐々木からも、厄介だけど頑張って、俺じゃなくてよかった、という同情の声が聞こえてきそうだ。

 仕方なくなずなは総会資料に目を落とした。でもそこにはなにも書かれていない。真っ白だ。だってそうだ、事前に質問が出なかったのだから、なにも考えてこなかった。団長がすべてを取り仕切ってくれると思っていたのだ。万が一質問が出た場合に備えて、こういう質問が出たらこう答えようと回答を用意しておくことは可能だったが、でも吹奏楽部としては、ただ応援団に名前を貸しただけ。わりと本気で楽観視していたのである。

 ああもう、超面倒くさい。人生の平均点が遠のいていくような気がする。

「では吹奏楽部、回答をお願いします」

 またもや議長が淡々と会を進める。気分は国会議長だろうか。さっきは何事にも動じない様に感心したが、その淡々具合が自分に向けられた今は、非常に憎たらしい。

 回答を迫られたので、渋々マイクを取る。マイクを取り上げたときにテーブルに当たったゴツッ、という鈍い音が、一瞬だけ体育館に響いて霧消した。

 仕方ない。平均点の回答を目指すしかないか。

 なずなは白紙の総会資料から目を上げ、論破湯川をじっと見据えてマイクに声を乗せる。

「部長の三―C、西窪なずなです。まず、学校の楽器についてですが、応援団から話をもらって状態を確認した際、サビや破損、一部欠損している楽器が多く見受けられました。実際に吹いたり叩いたりして音を出してもみましたが、やはり良くありません。吹奏楽部には経験者が多く集まってきます。その人たちは自分の楽器で演奏します。初心者やパーカス担当は学校にある楽器を使ってはいますが、先のとおり、予備はない状態です。部員みんなで相談した結果、外用の楽器を揃えてもらえるなら、という条件が出ました。仮に楽器一式を揃えることになった場合の金額については、すみませんが、こちらもまだ把握できていない状態です。ですので、おおよその金額は検討しなければなんとも言えません」

 さあ、これでどうだ論破湯川。言い終えたなずなは、妙な達成感に包まれながら口元からマイクを離す。迫真の、とまではいかなかったかもしれないが、けっこう理にかなった回答だったのではないだろうか。自分でも、とっさに考えた回答としては、平均点どころか満点をつけたいくらいの気分である。しかも相手は一年生だ。質問内容を一蹴するような隙のない回答に、さすがの論破湯川も自分が入学したての一年生だという空気を読んで、最高学年の三年生にこれ以上ネチネチと因縁じみた質問を重ねてくることはないだろう。

「わかりました、ありがとうございます」

 よし、勝った。なずなは内心でまたガッツポーズを決める。なんだか、営業マンでもないのに大手の会社から契約を取ったときのような、大仕事を成し遂げた気分だった。

 議長にマイクを返し、すごすごと一年生エリアに戻る論破湯川の後ろ姿が徐々に小さくなっていく。きっとこれでもう質問は出ないだろう。議長も「ほかに質問のある人はいませんか?」と体育館をぐるりと見回すが、誰からも手は上がらない。

 しかし、またもや論破湯川が手を上げた。よく見ているとわかるが、同じクラスなのだろう、彼の前後に座る男子にニヤニヤ顔で脇腹や背中を小突かれて手を上げさせられている。

 どうやら論破湯川は、入学して一ヵ月足らずで〝いじり〟の標的にされているらしい。標的という表現はなかなか暴力的なような気もするが、でも周辺男子とのやり取りが筒抜けで見えてしまったなずなには、それ以外の表し方はすぐには思い浮かばなかった。

「はい、では湯川君。前にどうぞ」

 さすがの議長も同情的だった。しかし、先ほどのなずなと同じく、それをおくびにも出さない徹底した議長ぶりは、やはり感心せざるを得ない。

「何度もすみません。あの、団長さんと野球部部長さんにそれぞれ質問なんですが――」

 論破湯川のほうも及び腰である。なずなは純粋に彼に同情した。悪ノリでキツめにいじられる、そういう男子は中学のときもクラスに必ずひとりはいた。北高に入ってからは、そういえば見たことはないが、もしかしたら、なずなが知らないだけかもしれない。まして一年生は、ついこの間まで中学生だったのだ。高校デビューとはよく言う。しかし、湯川も彼らも、中学のときの雰囲気をそのまま高校に持ち越していても、なんら不思議はない。

 おそらく湯川が彼らから吹き込まれたのだろう質問は、このようなものだった。


《野球部は、応援に吹奏楽を取り入れることを本当に真剣に考えたのか》

《応援団は、伝統のバンカラ応援を変えてまで吹奏楽を取り入れることに本当に意味があると思っているのか。また、どのような応援のしかたをするつもりなのか》


 意地の悪い質問だと思った。だんだん胸糞が悪くなってくる。だって完全に遊んでいる。揚げ足を取ろうとしている。しかし湯川に非はない。それは明らかだ。

 一部始終を目撃していたであろう団長も佐々木も、しどろもどろになりながらも、湯川にではなく、湯川を指さして囁き合い笑い合っている男子に向けてそれぞれ回答を述べていった。吹奏楽部への質問も、おそらく彼らによって吹き込まれたものだろう。

 論破君なんて勝手に命名してごめん。なずなは、よく見ると今にも泣き出しそうな真っ赤な顔で唇を引き結び、じっと回答に耳を傾けている湯川に心の底から謝った。

 回答を聞き終えた湯川が「わかりました、ありがとうございました」と礼をして再び一年生エリアに戻ると、それ以降はさすがにもう質問は出なかった。すぐに承認を求める拍手が問われ、応援団、吹奏楽部、野球部から連名で出されたこの議案は、拍手多数で一応の可決の運びとなる。

 しかし団長、佐々木、そしてなずなも、どうにも煮え切らない思いを抱え込まされることとなった。生徒会の面々も、おそらくはそうだろう。

 北高生としての品位、品格、代々受け継がれてきたそれらのものが、この数分間でバカにされたような、そんな気がしてならない。

 湯川は大丈夫だろうか。これからもカースト上位の彼らに悪ノリでキツめにいじられる日々を送るのだろうか。できれば知らずにいたかったもの、見たくはなかったものが現実の光景として目の前で展開される様は、止めようがなかっただけに、なずなの頭の中に何度も何度もリフレインされる。

「承認ありがとうございました」と礼をして控えの席に戻るなずなの胸中は、いくら周りから現実的だ、老成していると言われ、自分でもそれを逆手さかてに取って人生の平均点を狙っていようが、さすがに穏やかではなかった。それはおそらく、団長も佐々木も。

 そうして、すっきりしないまま前期生徒総会は全プログラムを終えた。

 なずなの胸に残ったのは、議案が承認されたことではなく、湯川を矢面にしてこちらをバカにする、あの名も知らない一年生男子の意地悪いニヤニヤした顔だった。

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