地面の下
日也
地面の下
風が吹いた。辺りからは薄桃色のような、白のような色をした花びらが散った。一面が白に染まった。
花びらを振り落としたのは、桜の木だった。両手で抱えられない程に太い幹をした桜の木。それが一本、右手に植わっていた。
木の根元には、青年が座っていた。これと言って特徴の無い男だ。しいて言うなら、体を鍛えているのだろう。服の上からでもわかる程度には、締まった体つきをしていた。
「君は誰だ?」
近づくと、青年がそう声をかけてきた。
「私ですか。私は少し前にここに来たのです。誰かいないものかと、歩き回っていました」
「そうか。……俺は気が付いたらこの桜の根元にいたのだ。どこかへ行こうかとも思ったが、辺り一面真っ白で、ここを離れたら戻って来られないだろうと思って、どこへも行けなかったのだ。君は、ここがどこだかわかるかい?」
「いいえ、残念ながら。……しかし、聞いたことがあります。この辺りには、人を鬼が出ると」
そう言うと、青年の顔つきが変わった。
「そうか! 実は、俺は桜の木の下に出るという鬼を殺すために来たのだ。知っているだろうか。老若男女構わず絞め殺し、頭から食らうと。骨だけが、地面の下に残っているらしい。……安心したまえ。俺が必ず殺して見せよう。君のようなか弱い者を守ることも、俺の仕事だ」
「ありがとう、ございます」
深々と頭を下げた。
「そういえば、私、知っているのです。その人食い鬼が出る場所を。よければ案内しましょうか」
「すまない、お願いしよう」
青年は幹に立てかけていた刀を背負うと立ち上がった。
連れだって真っ白い中を歩き出した。無言に耐えられなかったのか、青年がまた話しかけてきた。
「君は鬼を知っていると言っていたが、どこで知ったんだい?」
「食われた人を見たことがあるのです。あの人は……私と一緒にここに来てしまったのです。いっそのこと、私が食われてしまえばよかった。それから何度か鬼の姿を見たことがあるのですが、そのたびに逃げてしまって……。また、会えるなら、あいつの腹の中に入りたいものです」
青年は、微妙な顔をした。後の道のりは無言だった。
どれほど歩いただろうか。足首がいい加減に痛くなってきたころ、異質なものが目に入ってきた。
それは、薄桃色のような、白のような色をした花びらを散らしていた。両手で抱えきれないほどに太い幹をしていた。
桜の木だった。
「これは……出てきた場所と同じではないか?」
「違います。ほら……あの枝など、違うでしょう。よく見てください」
「む……どこだ」
「きっと、木の後ろに回ればよく見えるでしょう」
青年は幹の裏側に回った。
そこには、鬼が寝ていた。
浅黒い肌をして、手足にははち切れんばかりの筋肉がついている。子供が見れば即座に泣き出してしまうような顔つきをしていた。傍らには金棒。典型的な鬼といった風貌をしていた。
「なっ……! お前……のんきに寝ていられるのも今のうちだぞ!」
青年が刀を抜いた。
「あ、あまり大きな声を出すと」
グオ、と鬼が寝起きの声を上げた。随分と不機嫌そうに見える。
鬼が腕を振った。あまり力は入っていないようだったが、青年は刀を折られ、宙に飛ばされ、地面にたたきつけられた。
鬼がゆっくりと、こちらを向いた。
「あ、ああ。やめてください。私ではありません。私は食料ではありません。あの男を、食べるのならあの男にしてください。やめてください。お願いします……」
鬼はグルグルとうなり声を上げていたが、聞き覚えのある声だと気が付いたのか、吹っ飛ばされた青年のほうへと歩いて行った。
足に力が入らなくなった。膝から崩れ落ちると、心臓が特別速く動いているのが感じられた。
またやってしまった。
鬼に食われて死んでしまいたいというのは嘘偽りのない本音である。これまでに何回もこのようなことを繰り返していた。
鬼退治に来た人は、全員食われてしまった。食わせてしまった。
自分の身の可愛さに、最期の勇気が出ない。
いつしか鬼の食糧係のようなものになってしまった。こんなことも止めたいのに、機会が来るといつも逃げてしまう。
鬼が食事を終えたのか、桜の木のほうへと歩いてきた。
青年が倒れこんでいた場所には、赤い肉片が付いた骨が血だまりに沈んでいた。
血が付くことも構わずに、骨を抱えた。小さなかけらも、服を器のようにして残さず拾った。
木の下に戻ると、鬼がまた寝ていた。気にせず骨を置き、素手で地面を掘る。
ある程度の深さまで掘った。骨を一つ一つ穴に落としていくと、何かが許されたような気持になれた。
向こうでは、埋まった骨が見つかっているらしい。せめてもこの青年の親族が、この骨を丁寧に埋葬してくれることを願うばかりだ。
地面の下 日也 @hinari_s
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