日付のない断片

「知らない街」で迷うことがある。「知らない街」は現実と夢との狭間にあって、その間を連続的に浮遊し続けている。連続的に、というのは、その「知らない街」の中心は、間違いなく現実のどこかの土地と対応していたはずでありつつも、しかしその街は、生きているかのごとく、経験や知識の更新とともに、すなわち、理知の拡大に合わせて夢のなかで次々と変貌してゆき、新しくさまざまな名前を受け取り、新しい道を増やし、建物を潰したり建てたりすることで成長し、自由に戯れ、自己増殖してゆくからである。そこは、訪れたことがあり、名前を知っているあらゆる土地であり、しかしまたそうした土地のいずれでもない。知っていたはずの街の中心は忘れられてしまっている。目覚めているうちにこの街を現実のどこかに探そうとしても無駄である。街に継ぎ接ぎされた数えきれない非本来的な概念が街そのものをすっかり覆い隠してしまっており、その本来の姿を見分けることは決してできないからである。夢はそのようにして、記憶を素材にしてまったく新しい土地を、現実とはまったく別の生命を作り上げてしまう記号操作する機械である。このような、夢によって産出された幾多ものキマイラが夢に迷い込むものを惹きつけて止まないのは、それがそのものにとって知っているものであると同時に知らないものでもあるからである。現実と夢との狭間にあって、砂漠におけるオアシスの陽炎のようなこの幻影は、その都度つねに、理知にとって心地よい形態をとり、夢の中を漂う旅人を、夢の長い時間をかけて、幻惑し続けるのである。

 砕いたサファイアは空気によく馴染み、そこへと溶け出してゆく。この高貴な青い宝石を溶かし込んだ空気は夜の前の地面から湧き出してくる暗闇を生み出す。そんな夜の色をした空気が川面を滑っていた。その上をゆっくりと歩いている。走っても脚は縺れるし、飛んでもすぐに落ちる。川面は砂金を散りばめたように、きんに光るいくつもの星を映している。そのどれもが祝祭的な眩しさで光を放ち、あらゆるものを祝福するようにして色彩に満ちていた。


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私はある日みた夢の一部を思い出した。その記憶はこのようであった。


私がいたそこは永久に星空が眺められる地だという。散乱する月光の白銀色の中で清められた人が教えてくれた。その人の透き通るような肌は月と同じような青白さで、柔らかく風に靡く長い髪は夜のような青黒さをしていた。潤む丸い瞳がときどきぶどう酒のような褐色の光を放ちながら、媚びるような猫のようにまっすぐ私のほうを向いている。美しい人であった。なるほど、確かに彼女の言うとおり、ここからはこの世で最も高い山をはるか高みから見下ろすことができ、地平線が丸い線を引いているのまで容易に見て取れた。次々と星が、火の金色を尾のように伸ばしながら降っていた。あらゆるものがそれぞれ自らの色を帯びていた。そこで私の見たどれもが、現実世界の中では稀にしか見られない美しさを有していた。


靄のように広がる月の光のもとで、私はその人と手を取り合っていくつかのことばを交わしあった。月に触れることができれば、きっと彼女の手のように冷たく、すべらかなことだろう。ことばを交わしたとは思うのだけれど、彼女が発したことばはどれも知らない言語のようにも聞こえた。それでも楽しかった。何を言っていたかはもう何も覚えていない。そもそもことばを欠いた単なる音だったのかもしれない。それは知らない言語ではなく、忘れてしまった言語であったのかもしれない。


一緒に話したその人は私のお姉ちゃんだったのかも、と、朝の遅くに目が覚めてから思った。私が思い描くその人に、夢の女性はよく似ていたような気がしたからだった。

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 しかしそこでは色とものとが分離しており、ものに色がついているのではなく、むしろその逆で、色が先にあって、あとからそこにものの形や匂い、味などなどが附帯していくらしく、そういうわけで、そこでは砕いたサファイアが空気に馴染んでいたのではなく、ある色があって、それが空気に馴染み溶け込んでいた、きらきらと砕けたサファイアであり、夜だったのだ。ちかちかと光る色がたまたま砂金であり、川面に映る星だったのだ。何よりも色が先にあるということを、すっかりと忘れてしまっていたのだった。それゆえそこにはまだ何にもなっていない色が漂流している。あれは星のきんでも、木の緑でも、太陽の赤でも夜の青でもない。いつかみた花の桃色でも枯葉の黄色でも海の紺色でも雨の灰色でも菓子の白色でも蒸留酒の琥珀色でもぶどう酒の褐色でもない。どんな個別的な記憶からも遊離した色であり、いかなる特殊性の条件も備えておらず、まだ名前さえも与えられていない色さえある。どんな形からも自由にゆらめく色があるということを、すっかりと忘れてしまっていたのだった。だから何か色を視たとき、カーテンを透かして降りてくる月光だと言ったり、渋そうな未熟な果実だと、萎れた花弁だと言ったりする。視られていたのは、単なる透明な銀色であり、単なる瑞々しい緑色であり、単なる憂鬱な薄墨色でしかないにも関わらず。そうした色そのものは、理知の教え定めるあらゆるものの忘却の果にようやく思い出されるものでしかない。

 目覚めているものは誰もがみなその忘却を忘却してしまっている。だから理知は、夜の色が砕いたサファイアの溶け込んだ色だと教えるし、川面の流れに抗する星の光の反映が水に浮かぶ砂金の粒であると語り続けるのであった。夢は理知よりも遥かに物知りであるのだ。理知によるそうした世界把握はまずもって忘れることを忘れていることであり、その上に新たに立てられた虚構の大聖堂なのであった。その大聖堂では、私は存在するものである、というあの聖句が日夜止むことなく信仰箇条として唱えられ続けていた。そこには灰色の静寂のみが広がるばかりで、外はステンドグラスを通してしか見ることができなかった。自由にゆらめく色など、そこからは決して見えないのであった。記憶に留まることなく忘れ去られてゆく夢の中においてのみ、「そもそも何であったか」to ti en einai という過去に関わる時称で語られる問いの眼差しが向けられる先である夢の永遠の現在においてのみ、大聖堂から開放されて自由に色と戯れることが可能になるのだし、変転し続け、同じ色のままであり続けていたことのないあの色とも懐かしげに挨拶を交わすことができるのである。

 常に逃れゆく都市である夢は、事後的に、形のないものに形を与えるようにしてしか語ることはできない。逃れゆく都市は、夢の中でも、大聖堂の支配下にしか存在していない。夢に形を与え、名前をつけようとするその瞬間に、夢はすでに霧散して逃れさってしまっており、わずかにその手に掴まれたように思われた夢の残滓はすでに死に絶えていたのである。

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