祈り、あるいはいくつかのメモ
「アウグスティヌスによれば、人は認識されていないものものを愛することはできない。ところで人は普遍的なものよりも先立って個別者を愛する。というのも、愛に関して受け取られたものは、普遍的なものとの関わりというよりも、いっそう個別者との関わりであるからである。そのことから、『ヨハネの手紙』第一巻において、「目に見える自らの兄弟を愛さないものは、いかにして目に見えぬ神を愛することができようか」とある。したがって云々」。
「われわれはそれを他のものよりも長く愛し続けるだろう、なぜなら、それを愛するようになるまでには他のものよりも長い時間を費やしたであろうから」。
「一つ一つのものの正しい色彩が音楽の諧調のようにわれわれを感動させ、ばらがばら色であるのを見ただけで、泣きたくなるような気持ちにさそわれる。そのような祝福された朝は、不眠や、旅行の神経動揺や、肉体的陶酔や異例の状況によって、われわれの日々の習慣の固い岩のなかにうがたれるのであって、かきたてられた快い色彩、つまり夢の魅力を奇跡的に保存するのである」。
「まなざしを空の、海の果てしなさに漂わせる大いなる陶酔。孤独、静寂、比べるべくもない純潔なる紺青。水平線に震える小さな帆船、その微小、その孤立は慰めがたい私の実在を模倣している。単調な波のメロディー。これらすべては私を通じて思考する。あるいは私はこれらすべてを通じて思考する(なぜなら広漠な夢の内に、「私」は直ちに消滅してしまうのだから)。詭弁も三段論法も演繹もなく、音楽的なしかたで、絵画的なしかたで思考するのだ」。
「おそらく、ほとんど誰もが、恋愛という現象の純主観的な性質を理解していないのである、また恋愛が創造する付随的な人格を理解していないであろう、その付随的な性格というのは、世間でかねて通用している姓名の本人とはまったくべつの存在であり、しかもその人格の大部分の要素は、われわれ自身のなかから抽出されたものなのである。だから、たいていの人々は、目に見えているその姿とはまったくべつのもう一人の人間が、いつのまにかわれわれのなかに占めている大きな比例というものを自然だと見なすことがほとんどできないのである」。
「あなたはまた森と谷とをかすみのような光で満たす。ついにはわたしの魂までもをすっかり解き放ってくれる。わたしのこころは、あまくにがい思い出の余韻に浸りつつ、よろこびとくるしみとに挟まれてひとりっきりでさまよい歩く。それでもわたしはかつて稀有なものをもっていた。どんなに悩みくるしんでもけっして忘れることのないような」。
「それは茫漠とした形態への、ばら色や青い色調への、観念的な幻影に対する恋であった」。
「そのためなのだ。あなたの全身の裡に、恐るべき神の、運命の定める代母の、月に取り憑かれた者たちみなを害毒する乳母の反映を求め続けるのは」。
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