第2話、ビートル・マシン。

「──喜びたまえ、ハリスン君。大発見だ!」

 僕の上司であるスター教授は、ケンブリッジ大学史学部の時空間研究室に飛び込んでくるやいなや、開口一番そう言った。


「……大発見て。またしょうもないことではないでしょうね?」

「とんでもない。まさに世紀の大発見さ。実は何とタイムトラベルや異世界転移や未来予測やサイキックバトル等の、いわゆるSF小説的イベントは、すべて量子的存在だったのだよ!」

「はあ?」

「例えば未来というものは実際に『現在』となって観測されない限りは無限の可能性として存在しているが、これをSF小説的にタイムトラベル等によって無理やり可能性を収束させて観測したところで、けして唯一の存在になることはなく、多世界解釈そのままに他の可能性としての未来も同時に存在し続けるという、まさしく量子そのものの性質を体現しているのであり、よって同じく量子の性質を有する量子コンピュータであれば仮想現実化等により、我々に未来を疑似的に観測させることも十分に可能となるのだ!」

「へ? 何で量子コンピュータによる仮想現実化が、本物の未来の観測になるのです?」

「いいかね、そもそも量子自体が無限の可能性として存在しているんだ。つまりそれはそれぞれの量子が存在している世界が、同時に無限に存在することをも意味しているのだ。『無限』ということは『すべて』ということでもあり、まさしく俗に言う並行世界はもとより時代の異なる並行世界とも言える過去や未来の世界すらも含め、まさにありとあらゆる世界が含有されるのであり、当然そこには『本物の未来』も存在していて、言わば可能性としては仮想現実化されたすべての未来が、等しく本物になり得るわけなのだよ」

「……いや。むしろ量子論的に言えば、あくまでもそれは、可能性としてのでしかないわけでしょう?」

「それは従来の『SF小説的タイムマシン』を使った場合も同じではないか。例えば君が未来にタイムトラベルして無事現代に戻ってきたとしよう。その結果君が未来で得た知識や技術によって歴史は数十年から数百年のスパンで本来あるべき姿から改変されていき、その結果未来そのものが、以前とはまったく違った姿となってしまうわけなのだよ。つまりタイムマシンを使おうが量子コンピュータを使おうが、現在において観測される可能性としての未来には、本質的に差異はないのさ」

「──‼」

「さあさあ。わかったら早速昨日完成したばかりの、仮想現実シミュレート装置に入りたまえ。これが栄えある初実験だが、うまく行けば本物の未来に行けるかも知れないぞ?」

 教授が自慢げに指し示した研究室の壁際には、巨大な試作量子コンピュータと接続された、コールドスリープでもできそうなカプセル型のベッドが鎮座していた。

「……いったいいつの間に、こんなものを。いや、それよりも。本物の未来に行けるかも知れないって、どういうことなんです?」

「量子やそれが内在する世界はあくまでも可能性としての存在にすぎないが、それはこの現実世界にも当てはまるのだよ。言わば我々が観測しているからこの世界は本物であり続けられるのであり、何かの拍子にすべての者が別の世界を観測することになればそちらのほうが本物となり得るのさ。つまり仮想現実とはいえ本物となり得る世界をシミュレートすることのできる量子コンピュータによるものなら、君が観測した瞬間にそれが本物の未来の世界になる可能性もあり得るのだよ」

「ええまあ、それはそれですごいことかと思うんですが、本当にそうなった場合、僕は無事にこの時代に戻ってこれるんですか?」

「心配いらないって。一応時代は五年後に設定しておくが、五年もあれば量子コンピュータ自体も今よりは性能も上がっているだろうし、何も案ずることはないさ!」

 そして結局僕は教授に半ば無理やりにカプセルベッドに押し込められる形で、疑似的なタイムトラベルへと旅立ったのである。


            ◇     ◆     ◇


「──という夢を見たのですよ。スター教授」

「……馬鹿馬鹿しい。量子コンピュータによるタイムトラベルだって? そんなことがこの現実世界で実現できるはずはないじゃないか。君もそんな妄想じみたことばかり言っていないで、本分の史学研究に全力を注ぎたまえ。博士論文提出日は目の前なんだぞ?」

 時はの時点からちょうど五年後。上司であるスター教授の言う通り、むろん我がケンブリッジ大学史学部においてはタイムトラベルの実験なぞ行われてはおらず、世はまさに『現実世界』そのものであった。


 そう。超常の力を有する量子コンピュータやタイムトラベルなぞ、しょせんSF小説の中だけの話でしかないのだ。


 しかし教授の指導のもと博士論文の作成に取り組みながらも、ふと僕は夢想する。


 あの時量子コンピュータによって仮想現実化された未来が、たまたまSF小説的な現象なぞまったく存在しない、いわゆる『完全なる現実世界』とでも呼び得るものであり、そしてそれを僕が観測したとたん、自分にとっての唯一の本物の世界になってしまったのではないかと。

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