ケンブリッジ大学史学部シリーズ

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第1話、くだんの方舟。

「──ハリスン君。もしも『完璧なる未来予測』を実現しようと思ったら、君はタイムマシンと量子コンピュータのどちらを使うかい?」

 毎度お馴染みのケンブリッジ大学史学部の時空間研究室にて、僕の上司のスター教授はいつものごとく電波なことを言い出した。


「……ええと。そりゃあ未来の出来事を知りたいと思ったら、タイムマシンで直接未来を見にいったほうが確実なんじゃないですか?」

「おや、そうかね。だったらその際に自分が一週間後外出中に事故に遭うと知った場合、君はいったいどうするつもりかな?」

「また縁起でもない例え話を持ち出してからに。もちろんその時はできるだけ事故に遭わないように気をつけるし、最悪一日中外出しないで家の中にいますよ」

「そうしたら、未来予測が外れてしまうではないのか? そんなんじゃとても『完璧なる未来予測』とは言えないだろう」

「へ? あ、いや。未来予測のお陰で難を免れるのなら、別に構わないのでは?」

「そりゃ君は構わないだろうが、タイムマシンのほうは面目丸つぶれじゃないか。言わばインチキの未来を見せたことになるんだし」

「……そ、それは、確かにそうでしょうが」


「だからね、そもそも『たった一つの未来』を予測しようだなんて、いわゆる決定論的な考え方自体が間違いなんだよ。何せ未来とは量子みたいなものなのだからね。むしろ量子論でこそ考察していくべきなのだ」


「未来が、量子みたいなものですってえ⁉」

「そうとも。言わば未来というものは実際に『現在』として我々に観測されるまでは無限の可能性として存在しているのであり、先ほどの例のようにタイムマシン等によって無理やり可能性を収束させて観測したところで、それはあくまでも無限の可能性としての未来の一つでしかなく、まさしく他の未来候補も依然多世界解釈そのままに存在し続けているのであり、実際に現在になって万人に観測されて初めて唯一の現実世界として確定されるのだからな。まさに量子そのものではないか」

 ──‼

「つまり量子の性質を有する未来を完璧に予測するには実現し得るすべての可能性をシミュレートしなければならないのであり、それができるのは同じく量子の性質を有する量子コンピュータだけということなのさ。──てなわけで、早速御覧いただこうではないか! 私が心血注いでついに完成させた、生体型量子コンピュータ、『KUDANクダン』の雄姿を!」

「なっ⁉」

 その時研究室の奥の倉庫の入り口から現れたのは、どんな未来でも見通すという伝説上の生物であるはずの、大きな牛の身体に人の顔を有する『くだん』の姿であった。

 呆気にとられて立ちつくす僕に向かってもごもごと語りかけたその言葉は、確かに人語を形成していた。


『──さあ。もうすぐアメリカが新型爆弾を投下します。私の背中にお乗りになって安全な並行世界へと逃れましょう』


「「はあ?」」

 な、何で2060年のイギリスに、アメリカが爆弾なんかを落とすと言うのだ?

「──おおっ。いかん、忘れていた!」

「な、何ですか、教授。突然大声を出して」

「すべての未来を見通せる自律型量子コンピュータであるKUDANは、過去や未来であろうと並行世界であろうと自由自在に観測することで、その瞬間それらのあくまでも可能性にすぎなかった世界を唯一本物の現実世界にできるわけで、つまりいつでもどこでも瞬間的にタイムトラベルでも異世界転移でも為し得るのであり、今回は実験的に起動と同時に第二次大戦末期のヒロシマに、この研究室ごと時間跳躍タイムリープするようにセットしていたんだっけ」

「何でそんなことを⁉ それもよりによって終戦間際のヒロシマなんて。つまりその新型爆弾って、原子爆弾のことではないですか!」

「いやね、オックスフォードの史学部が大戦中のロンドンに学生を派遣したと聞いて、対抗心を燃やしてね。大丈夫、そんなに心配することないさ。何せ我々はタイムトラベラーなんだから、別に危険なんてないよ」

「阿呆かー! どこかの時代遅れの三流SF小説でもあるまいし、たとえタイムトラベラーだろうが、何ら特別な存在じゃないんだよ! 過去に赴けばその瞬間から、あくまでもその世界の極普通の『現代人』でしかなくなるんだから! そもそもオックスフォードの学生たちも、戦時下のロンドンに行けとか言われたらまず『ふざけるな!』と怒鳴り返して、そのイカレ教授を袋叩きにでもしやがれってんだ。──今のこの僕のようにな!」

「痛い痛い! やめてくれ、ハリスン君! まずは落ち着きたまえ!」

 まさにその時教授の言葉に応ずるように、やけに落ち着き払った畜生の声が聞こえてきた。


『──新型爆弾投下、5秒前。4、3、2、1』


「「え?」」


『0!』


 そしてすべてはオールクリアし、僕らの意識は永遠にブラックアウトしたのであった。

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