第32話 ホワイト アウト!…号泣
…濁沢の集落を抜けて、その先の蓬平への入り口まで来ると道は双手に分かれ、まっすぐ行けば蓬平集落を経て竹之高地へ、右に曲がって行けば山古志村の虫亀へ行く登りの坂道である。
地元の人間が通称「え~のき坂」と呼んでいるその坂道は虫亀まであと約4キロ続く。雪が無ければバスが上がるが、今日はもう道なのか田畑なのか藪地なのか分からないほどの積雪で、もはや長靴なんぞ大して意味を成さない状況になってきた。
もちろん他には行き交う人も通る車も無く、白い静寂の中で2人の雪踏む足音だけがグブッ、グブッと響く。
坂道を登るにつれ、さらに積雪の量が加速度的に増えて行く。
王子の手足はすでに冷えきって、さっきからじんじんと痺れるような痛みに襲われていた。
手にはめている毛糸の手袋も履いている長靴の中も濡れてしまって氷のような冷たさである。
…坂道の途中でついに王子は耐えきれず泣き出してしまった。
「もう手も足も痛いよ~!歩くの嫌だよ~!」
実際、今は指先の感覚など麻痺して、ただじくじくといやらしい痛さが王子の身体を責め立てるばかりになっているのである。
「そんなこと言ったって私も荷物を持ってるんだし膝も痛いし、お前をおぶってこの坂道を上がってなんか行かれないんだよ!」
フミは困り果てて言った。
…無情にもそんな2人にまたも空から大粒の雪が降りだし、雪道に佇むフミと王子の頭に肩にみるみるうちに白く積もっていく。
王子の顔色は生気を失い、足は動かない。
フミは思わず王子の前で天を仰いで溜息をついたのであった。…いったいどうしたら良いというのか?
…為すすべも無く雪の中に立ち尽くす母と子に時間だけが静かに過ぎて行く。
もはやこの状況は大ピンチである!
…手足が凍てつき雪の中で歩く気力も無くなった王子は、やがて寒さに頭がぼ~っとしてきたのであった。
…するとその白く霞んだ意識の上空から、微かに声が聞こえてきたのである。
…おうじ… !
天上から王子を呼ぶ声!…いったい誰が!…それとも幻聴なのか?
「王子~っ!」
…はっ !!
声がはっきりと聞こえた時、王子は我に返って顔を上に向けた。
すると雪道の左手の山の上に人影が現れ、そのまま山の雪の斜面を翔ぶような勢いで駆け降りて来たのである。
スライディングしながら雪道の2人の前に降り立ったその人は、昨年末までウチに居たヨシコであった。
「ヨシコ!」
フミが驚きと安堵の入り交じった顔で言った。
「王子、叔母さん!…大丈夫?」
ヨシコは息を切らしながら2人に言った。
「王子はもう身体が冷えきって歩けないって、さっきから泣いているんだよ!」
フミがヨシコに言うと、
「フフッ!多分そんなことだろうと思って迎えに来たよ、王子!」
ヨシコは王子の顔を見て言った。
…結局王子は泣きべそ顔のままヨシコにおんぶされ、3人はまた雪の中を進んだ。
途中ヨシコの先導で、地元の者しか分からない脇道に入り、雪に埋もれながらヨソ者には全く道とも思えない中をズブズブと前進する。
ヨシコの肩に掴まる王子の手は冷たく痺れて感覚を失いかけていた。
「うううううぅぅ…」
声まで震え、もはや泣く元気すら無かった。
…雪坂を登りきり、虫亀のおさわ家にたどり着いたのは、すでに昼下がりも過ぎた頃だった。
「大変だ~!どうしたの?王子!」
ヨシコに背負われ、ぐったり青ざめた顔で到着した王子を見ておさわ家の叔母と叔父は驚いた。
「濁沢から歩いて来たんだって!…だけどえ~のき坂で凍えて動けなくなったと!…」
ヨシコが報告すると、
「そんな下の方からじゃあ子供の足では無理だなぁ」
叔父の富次 (フミの実兄) が言った。
叔母のサクは王子に、
「奥の部屋に炬燵があるから行って潜ったらいいよ!」
と言って部屋の襖戸を開けた。
王子は濡れた手袋と靴下を脱ぎ、促されるまま炬燵の中にすっぽり入って猫のように身体を丸めたのであった。
…冷えきった手足の指先が急に熱されてびりびりと痛かった。
王子は冷たさと熱さのせめぎ合いにしばらくの間耐えながら思ったのである。
「もう2度と冬の新潟になど来るもんかっ! 」
身体が温まり意識がしっかりして来るにつれ、やり場のない怒りと情け無さがこみ上げてくる王子なのであった。
(注※ おさわ家での会話は実際には全て新潟弁で交わされていますが、標準語に変換して表記しています)
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