第18話 王子の匂い

 …あまりにもおぞましい出来事だったので、王子の記憶は一部この後カット割りのフラッシュバック状態として残っている。

 …首までぬかるみにはまって泣き叫ぶ王子。

 …泣き声を聞いて駆けつける奥さんとお母さん。

 …引き上げられる腕。

 …屋敷の中庭で水をかけられる王子。

 …脱がされる服。

 早くお風呂を用意して!

 服はもうダメだ、用品店で買って来ないと!

 まさかあんな所に落ちるなんてねぇ、可哀想に!

 …屋敷内は朝から大パニックである。

 結局王子はそのまま離れの風呂小屋の洗い場で奥さんに全身をがしがしと洗われ、木造りの樽風呂に入れられ、さらに浴槽から出てもう一度洗われたのであった。

 入浴…と言うより全身洗浄が終わると王子はぐったりしてしまって、部屋で横になりながら縁側の向こうに見える庭先に揺れる花などをぼんやりと眺めていた。

 …昼御飯になっても食欲が出てこない王子はそのまま昼寝して、やがてぐっすり熟睡してしまったのである。


「…王子、大丈夫?」

 …気が付くと、奥さんが添い寝をして心配そうに王子の顔を覗き込んでいた。

 幼い乳呑み子のような気持ちになって奥さんの胸に甘えると、奥さんは王子を優しく抱きしめ、王子の髪に頬ずりして…匂いを嗅いだ。

 王子は女の人に本格的に抱きしめられたのは初めてのことだったので、にわかに安らいだ幸せな気持ちになった。

 …何しろ物心ついてからフミにさえ優しく抱きしめられたという記憶が無かったのである。

「女の人の身体って何て優しく柔らかいんだろう…」

 …王子は萎びていた心が少しづつ潤うような気持ちになるのを感じて、素直に

「女の人ってすごいな~!」

 と子供心に思ったのだった。


 …夕方にもう一度お風呂のお湯が入れ直され、王子は奥さんと一緒に再度入浴して、その後家族が揃って晩御飯を食べた。

 その頃になってようやく王子の顔にも明るさが戻ってきたのであった。

 …夜、部屋に布団が敷かれ、奥さんが王子にパジャマを着せている時、お母さんがそっと近寄って来て、

「どぉ?」

 と訊いた。

 奥さんは王子の手の袖口のところへ顔を近付けて匂いを嗅ぎ、眉間にシワを寄せて言った。

「…まだ何となく臭い」

「…そう…」

 という訳で流山の女2人は王子の前でガックリとうなだれたのであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る