4月5日 如何なる時も先達の作に触れるのは喜びである

 そういう気構えの話をしよう。

 雪車町地蔵だ。


 人生とは模倣である。

 オギャーと生まれてきた瞬間から、死のその間際まで、ひとという生き物はマネと模倣に終始する。

 先人が積み重ねてきたことに触れて、当たり前だとか常識だとかいうものに触って、それを学んでいく。

 世の中には、とても把握しきれない量の情報が渦巻いており、それを学ぶとなれ生涯を賭しても一切足りない。

 だからこそ、目にしたもの、耳にしたもの嗅いだもの、口にしたもの触れたもの、あらゆるものから知見を得る。

 先人に学ぶとは、その良いところだけを見るのではない。

 失敗したところ、自分が拙いと思うところ、恐ろしいところ、困惑するところを見て取って、一通り咀嚼して、ではどうすれば善き方にめぐるかを判断する材料とすることだ。

 そもそもモノに善悪などはない。善悪を定めるは人間である。

 しからば、それをどう受け取るかは個人の裁量による。

 この部分を活かせ、この部分を殺せと判断するのは己である。先人が偉大であるかそうでないかを決める必要はないのだ。

 あまさず飲み込み、分類し、すべておのれの糧とすればよい。

 その表現に、教師だとか反面教師だとかというものがあるだけで、事の善悪などは問題ではないのである。

 これをもって、先人の作に触れることは、いかなる時も喜びであるとするのである。

 己が受け取り方次第で、モノとは全て変わる。

 よって、私はこう告げるにとどめることとする。

 人生を楽しみ、謳歌せよと。

 それが、学ぶということの、本懐につながることであろうから。


 以上。



(読みにくい!)

(こーゆーこっぱずかしいのはですね、読みにくい方がいいんですよ! それでは、アデュー!)

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