2月25日 読者は推理をしない?/困惑のS
突然だが読者諸氏に質問だ。
ミステリー小説を読んでいるとき、推理をするか否か。
雪車町地蔵だ。
どうやら一般的には、普通は、当たり前なら、ミステリー小説というのは、推理しながら読むものではないらしい。
……はっきり言ってカルチャーショックだった。ヤックデカルチャーだしコペルニクス的大回転だしゲシュタルト崩壊だ。ぶっちゃけいまだに困惑と狼狽と惑乱が止まらないのだが、とりあえず話を進めよう。
ミステリーのお約束と言えば、読者への挑戦状。
読者に犯人やトリックを当ててもらうという、それこそ古典時代からある代物だ。
私は常々執筆するにあたって、読者とは名探偵であると考えていた。
犯人である作者が趣向を凝らし、限界まで考え抜いたトリックに挑む名探偵であると。
もちろんトリックはフェアであるべきだし、ギリギリ読者がわかるように難度を調整したものでなくてはならない。その塩梅に二ヵ月も三カ月も頭を悩ませるのが物書きとしての当然だと思っていた。
これはミステリーに限った話ではない。それがエンタメ性のある創作物である以上、ギミックは必須だろう。意外性や真実を突き付けられたとき、読者が瞠目するような内容を執筆する、それはそれほどおかしな考えでないはずだ。
読んでいあいだ常に、作者と読者が知的な決闘を続けるものが、いわゆるミステリーだと私は信じて疑わなかった。そう今日までは。
だが、そんなことはないのだという。
読者は普通、推理などしないのだという。
……呆然とした。
それはなんの話だと思った。
自動でピースが収まるジグソーパズルを眺めることが、そんなにも娯楽になるのだろうかと深く思い悩んだ。
結論だけ言えば、価値観の違いだろう。
私だって、お絵かき配信を視るのは楽しい。そういう楽しみ方が世間一般であるということを認めるまで、丸一日かかってしまったというだけのことなのだ。
正直に言えば、まだ呑み込めていない部分も多い。
別段同意を得たいわけでも、同調を求めるわけでもない。ただただ、わたしにとってはショックな出来事だったのである。
あらためて、世の中には知らないことがたくさんあると、そう理解した一日だった。
これを今後の創作に活かすかどうかは、いまだ未知数である。
以上。
(ミステリーの根底を覆された気分になったわけか)
(というより、常識に横合いから痛打を食らった、という気分ですね)
(学ぶことは多いな、本当)
(ええ、本当に……それでは、アデュー!)
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