1月28日 たしかにコロッケは七面倒

 料理は愛情と時短の狭間!

 雪車町地蔵だ。


 最近、コロッケの話題がどこぞで盛り上がっていたりする。

 作る手間に対して食べた相手のリアクションが薄いとかそういう感じの……つまりコスパの話だ。


 よほど簡易な食べ物以外、料理というのは面倒臭い。

 魚だったら鱗をはぎ、内臓を取り、臭みを消さなくてはいけない。

 肉だって筋を断ち、叩いて柔らかくし、同じように臭みは消さなくてはいけない。

 味なんてどうでもいいというのなら、いくらでも時短はできるが。

 もし、毎日美味しいものを作りたいと思うのなら、このめんどうくささとは長い付き合いになる。

 具体的には、一生涯だ。


 毎日毎日、一日も休まず三食。

 野菜の皮を剥き、魚の小骨を取り、肉の臭みを抜いて、一晩前から出汁を取り。

 それを繰り返すのが、残念ながら料理だ。


 もちろん科学の進歩した現代、手を抜く方法はいくらでもあるが、それでも大変であることに違いはない。

 おいしいもは、手間暇でできているという事実は、何ら変わらない。

 この手間暇を、奥ゆかしく言い換えての愛情なのだ。


 面倒なら外食をすればいい。コンビニ弁当だって冷食だっておいしい。下手に自炊するより安上がりだ。

 料理は義務ではない。料理は責務ではない。

 それでも、厨房に立つ者は、料理を作る。

 なぜか?


 美味しいと、笑顔になってほしいから。


 料理はコスパだと。それなりの手間にはそれなりに似合ったものが出来上がる。

 愛する誰かに、愛する自分に。

 笑顔でいてほしいと、それが最大の対価リターンだと思うから、料理というのを作るのである。

 誰かを思って、一生、作り続けるのである。


 それをありがたがる必要はない。

 ただ一言、「御馳走様でした」と言ってくれれば、報われるのだから。

 ごちそうさまって、最上級の誉め言葉だからね。


 ……うんでも。たまには代わりに料理してほしいなーと、思ったりもするそりまちなのだった。



(家事百般)

(それは国士無双ですね)

(おいしいご飯は、自然と箸が進む)

(食と向き合うのは、案外難しいものですからね……それでは、アデュー!)

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