1月14日 中二病についての座談会(不定期)
オープンユアアイズ。
雪車町地蔵だ。
本日はちょっとした話し合いの一場面を切り取っていく。
議題は、中二病とは何ぞや? というもの。
以下、私と友人Aの会話。
「Aさん、昨今の中二病で、一番気になるところは何でしょうか」
「邪気眼だな」
「それは、中二病の一側面である邪気眼が、あたかも中二病そのものとして扱われている、という意味でしょうか」
「だいたいあってる」
※邪気眼とは、「この闇の魔王の力を宿した左目が!」とか「ぐっ、俺の右手が……!」とか、自分には特別な力があるという設定である。
「世間一般の認識として、中二病は邪気眼を示すものになってしまった、ということでしょうか?」
「というより、もともと中二病というのは漠然としたものだろうが。中学二年生が考えそうな・やりそうな妄想的行為を指して中二病だ。いきなり教室にテロリストが侵入してきたら、どう迎え撃つか。いま前方を歩いている人物が襲い掛かってきたら、どうやって受けて倒すか。この壁を殴るとして、どうやったら一撃で破壊できるか。そういう妄想が中二病だ」
「一見、邪気眼にも思えますが?」
「邪気眼は、特殊能力に近い。第三の目だとか、暗黒の炎だとか、そういうので相手を倒す。力そのものだ。総体としての中二病の一部なのは、これによる」
「なるほど。それがすべてではないと」
「どうやったら正義の味方になれるだろう。どうしたら世界を救うことができるだろう。こういう考えも中二的だが、破壊を主とする邪気眼とは取り合わせが悪い。この辺をいっぺんに同じものとしてとらえると、急に理解が難しくなる」
「では、邪気眼ではない中二病というのは、どういったものでしょうか」
「それはお前の方が詳しいだろうが」
ここでA、かなり腹を抱えて笑う。
「おまえが大好きで大好きで大好きな、愛と希望の物語さ。極論、中二病は全能感からくるものだ。その全能感を、誰かを救いたいとか、守りたいとか、自分をよく見せたいとか、そういう風に細分化させていった先に、邪気眼だとかはある。要するに、誰かを・なにかを想うということは、こんなにも強いことなのだというやつだ。お前の小説は、そんなのばかっかりだから、中二病なのさ」
「…………」
「なにも否定することじゃあない。胸を張れよ、夢見がちで、けれどそれだけ真剣に世の中と向き合ってるってことだからな。よし、今日はここまでだ。レポごっこはもう飽きた。酒をおごれ」
「……もう、仕方がないですね」
そうして、安酒を注文する私と友人なのだった。
終わり!
(続かないのか!?)
(続けたいんですか!?)
(語りつくせぬ青春の日々だろうが!)
(どう考えても創作論とかエッセイでやるべき内容でしょうが! それでは、アデュー!)
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