六 出陣


 夜明け前、俺と撫子は再び討伐軍の本陣を訪れた。

 陣では、ちょうど先発隊が発とうとしているところだった。

 後続はまだ準備の途中。陣内は混乱の坩堝るつぼと言ったところだ。

 俺達は人馬が慌ただしく行き交う中を、誰に誰何されることもなく那須の大将の待つ陣屋へと向かった。


「おお、来たな。待っていたぞ」


 大将は、漆黒の鎧に小さめの烏帽子という随分と地味な出で立ちだ。

 昨日の行軍の時にはキンキラキンのやたらと派手な鎧兜を身に着けていたが、やはりあれは人に見せるための衣装ということだったんだろう。今日は実戦ってことだ。


「ん? 蓬子よもぎこはどうした」

「今日は留守番じゃ」


 この大将は、蓬子の正体をどこまで知っているんだろうか。撫子の言葉に「そうか、それがいいな」と、ただ頷いただけだった。


 昨夜は、俺と撫子は出立しゅったつの前に少し眠ったんだが、蓬子はその間もずっと座ったまま準備を進めていたようだ。

 俺達が目を覚ますと、本堂の中はすっかり金色のもやで満たされていた。

 光は蓬子を中心に渦を巻いてゆっくりと流れていて、俺達まで湖の底に沈んでいるかのような気分になった。

 俺達はその流れを乱さぬよう静かに本堂を出たが、その間も蓬子は身じろぎひとつせず、じっと前を向いたままだった。

 ただ、出がけに撫子が蓬子の頭をそっと抱いて「では、行ってくるぞ」と囁いた時だけ、表情を変えぬまま「はい、行ってらっしゃいませ」と答えた。


「先陣はもう出るようじゃの。おぬしはいつ頃出立するのじゃ?」

「俺もすぐに出る。お前達も一緒に来い」


 大将は立ち上がりながら、側に立てかけてあった弓を手にした。

 おお、これが坂東一の弓取りとうたわれた名将の得物か。どんな逸品なのかとつい見てしまうぜ。

 大きさと型は普通の大弓と変わらないようだな。が、造りは鎧と同じでまるで飾り気がなく、真っ黒な無骨一辺倒という感じだ。

 それによく見ると弓幹ゆがらがやたらと太く、弦も固そうだ。これは、かなりの強弓と見た。


「ん? どうした。これが気になるのか」


 大将は俺の視線に気づいて、ニヤリと笑った。


「どうだ、ちょっと引いてみるか」

「へっ、いいんすか?」


 そう言って片手で差し出された弓を受け取った途端、尻餅を付きそうになった。


「うわっ!」


 何だこの重さは、まるで鉄杖てつじょう。いや杖じゃなくて……。


「これは……、鉄弓ですかい?」

「そうだ」


 無骨も無骨。弓幹には竹の部分なんてひとつもなく、全体が丸ごと一個の鉄を鍛え上げて造られている。そして弦もぶっとい鋼線を撚り合わせたものだ。

 飾りらしきものは何一つ付いておらず、僅かに握りの部分に紐を巻いて滑り止めとしてあるだけ。

 重さは、十貫じゃ利かねえだろう。

 冗談じゃねえ。こんなとんでもねえ物を片手で支えて、しかも弦を引くなんてことが……。


「くっ!」


 だめだ。何とか構えを取ってはみたが、力いっぱい引いてもビクともしねえや。


「ふふっ、貸してみろ」


 那須の大将は弓を取ると、頭上に高々と掲げ「むんっ」と気を込めた。

 肩と背中の肉がが岩のような盛り上がりを見せ、太い腕がミシミシと音を立てるように張りつめる。

 そして鋼の弦がぐいと引かれ、鉄弓は見事な扇形を描いた。


「すんげえ……」


 引き絞られた弦がギリギリと悲鳴を上げる。

 大将はそのまま弦を戻すと、ふうと息を吐いた。


「実は今の体になって唯一良かったと思うのが、この弓を引けるようになったことだ。

 生身の頃はこんなろくでもない代物を引こうなどとは思いもしなかったが、この体だと逆に普通の弓では軽すぎてまるで手応えがないのだ。

 弓造りと刀鍛冶に命じて特別に作らせたのだが、こんなものを作ってどうするのだと奴らも呆れていたぞ。わっはっは!」


 そりゃ誰だって呆れるだろ。


「さて、では行くか!」


 陣幕を出ると、周りにいた侍達が一斉に姿勢を正して大将に礼を捧げた。

 大将は立ち並ぶ侍達の間をズカズカと大股で進む。と、一人の侍が馬を引いて来た。

 この馬も普通じゃねえ。この巨体を担ぐだけあって、他の馬よりも頭一つ分も大きい。

 大将は颯爽と馬の背にまたがると、「この二人にも馬を!」と命じた。


「えっ、俺らはいいっすよ」


 立ち並ぶ侍達を差し置いて俺達みてえな野郎共が大将と馬を並べるなんて、冗談じゃねえ。俺は慌てて断ったのだが。


「そんな低い所におっては話しも出来んではないか。いいから付き合え!」


 と、聞きゃあしねえ。

 すぐに馬が引かれて来る。俺は差し出された手綱を、首を竦めながら受け取った。

 この侍も、鎌倉ではそれなりに名の通った男なんだろう。こんな訳のわからねえ野郎と女の世話までさせられるなんて、さぞかし腹立たしいに違いねえ。

 だが馬を引いてきた侍は、手綱を渡すと俺の背中をバンッと叩き、にこやかに笑いかけてきた。


「あ痛っ!」


「昨日の手合い、見事であったぞ。殿の側付きは任せた、しっかり頼むぞ」


「へえ」


 ああ、あれ見をてたのか。そういや、あの後から皆の俺を見る眼つきが変わったような気はしてたな。

 でも、あれ? 那須の大将は、他の侍はみんな敵みたいな言い方してたけど、この男は全然そんな雰囲気じゃねえな。

 こいつには深い事情は知らされてねえのか、それともいざとなればいつでも態度を変えるのが侍というものなのか。

 判んねえや。

 俺と撫子が大将の左右に並ぶと、その前後を挟むように大勢の騎馬と徒武者が一斉に隊列を組んだ。

 昨日の行軍も見事だったが、こうして馬上から眺める景色もまた壮観だ。

 見渡す限りに居並ぶの軍馬の群れは、国中の馬をここに集めたかと思うほど。そして無数の槍が天を突いて立ち並ぶ様は、畑を埋め尽くす麦穂のようだ。

 兵達は戦を前にして意気も高く、整然と列を組んでいてもざわつきは収まらねえ。

 大将が刀を抜き放ち、高々と掲げた。


「では皆の者、合戦だ!

 敵は幕府に仇なす不逞の盗賊共、遠慮などいらぬ! 捕虜も不要だ!

 一人残らず殲滅しろ!」

「「「おおおーっ!!」」」


 天に向かって放たれた大将の声に、武士もののふ達が雄叫びで答える。


「出陣っ!」

「「「うおおおおおおーー!!!」」」


 地鳴りのようなどよめきと共に、軍列が動き出した。

 三千の兵馬に踏み付けられた大地が、苦悶に堪えかねたように身震いをする。

 怒涛の如き地響きが、周囲の山々に木霊する。

 地を埋め尽くす大軍が一斉に動く様は、それ自体が一個の巨大な生き物のようにも見え、あるいは野を渡る大河のようでもあった。

 


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る