二十二 家族



「どうしたマリモ! 大丈夫か!」


 俺は慌てて駆け寄った。


「どうしたのじゃ! しっかりせい!」


 蓬子も、慌てた様子でマリモを抱き起こす。

 あれ? ついさっきまで殺す勢いで殴りっこしてたくせに……。

 マリモはハァハァと荒い息を吐きながら、やっとのことで口を開いた。


「熱い……、熱いよ……。助けて……体が燃えちゃう……」

「あー、こいつはマズいなあ。水のないところであんなに暴れたもんだから、体が干上がっちまったんだなあ」


 イヅナ兄さんが、相変わらず暢気そうに言った。

 おいおい、兄さんが言うとちっともマズそうに聞こえねえぞ。


「どうすれば良いのじゃ!」

「まあ、水に漬ければ」

「水か! よし判った!」


 言うや否や、蓬子はマリモを抱え上げ川に向かって走った。

 そして、自分ごとドッボーンと飛び込んだのだった。


「あーあ」

「まあ、ええじゃろ」

「うん、あれでいい」

「ぶはっ」


 川の中から、蓬子が顔を出す。


「マリモ! おいっ、マリモ! どこへ行った!」


 すると、そのすぐ隣りに、マリモが顔を出した。


「蓬子ー?」

「マリモっ!」


 その体を、蓬子が思いっきり抱きしめる。


「大事ないか! 体は冷えたか!」

「うん、大丈夫だよ。蓬子、有難う」


 さっきまでの死闘はどこへやら、二人抱き合ってよかったよかったと喜びを分かち合う。

 あーあ。


「まったくもう、ホントにしょうがねえ娘どもだ。

 なあ撫子、お前もそう思うだろう?」


 後ろを振り返ると、そこにケラケラと笑いながら川の方を見ている、撫子が立っていた。


「ああ、本当にしょうがない娘じゃ。

 じゃがな、あんなに楽しそうに笑う蓬子は、私は初めて見たぞ」

「へえ、そうなのかい」

「ああ、正直言って驚いた。あの顔を見ることが出来ただけでも、この村に来た甲斐があったというものじゃ」


 こいつが驚くことがあるなんて、そっちの方がびっくりだぜ。


「蓬子」


 川から上がってきた二人に、撫子が声をかける。


「撫子姉さま!」


 蓬子は撫子の顔を見て一瞬喜びの表情を浮かべたが、すぐに顔色を変え、地べたに這いつくばった。


「もっ、申し訳ありませぬ! 姉さまに頂いた大切な衣装をこのように!」

「あはは。良い良い、楽しそうで何よりじゃ。衣も一緒に遊べて喜んでおるぞ」

「はいっ!」


 次に撫子は、マリモを見た。


「そなたが摩璃桃まりもも姫か?」

「そうだけど、お姉さんは誰?」

「私は、蓬子の姉の撫子と申す者じゃ」

「あっ、ろうさんのおはしためさん!」

「妾?」


 撫子が目を丸くする。


「マリモ! ぬしゃあまたしてもっ!」


 蓬子が声を荒げる。


「うわ、こりゃマズい」


 俺は後ろを向く。


「そうかそうか、狼に求婚したのは姫の方が先じゃものな。うむ、正室は確かに姫に違いない。私は側室というわけじゃな」


 だが撫子はそう言って、ニコニコとマリモに笑いかけた。


「セイシツってなに?」

「一番目のお嫁さんという意味じゃ。側室は二番目じゃ」

「ふうん」

「姫よ、ちょっと手を貸してくれるか?」


 撫子はマリモの手を取ると、自分の腹にそっと当てた。


「実はな、ここに狼の赤子がおる」

「えっ、狼さんの赤ちゃん?!」

「うむ。まだ人の形は成しておらぬが、確かにおる」

「すごーい! いつ生まれるの? もうすぐ? あした?!」

「いやいや、生まれるのはまだまだずっと先じゃが。

 もし生まれたなら、姫よ。その時は姫も私と共に、この子の母になってくれるか?」

「うんっ、いいよ! マリモもお姉さんと狼さんの赤ちゃんのお母さんになる!」

「良し。それでは今から、私と姫は仲間じゃな。

 いや、いっそのこと姉妹になるか?」

「うん! やったー! やったー! お姉さんと仲間だー!

 じゃあ、お姉さんがお姉さんでマリモが妹だね! やったー!」


 そのやりとりを背中で聞いていた俺だったが、予想外の和やかな展開に、ホッとして前を向いた。

 そして振り向いた俺の眼に最初に入ってきたのは、寂しそうに俯く蓬子の姿だった。


「撫子姉さまあー」

「どうした、蓬子」

「姉さまとマリモが姉妹になってしまいましたら、我はどうすれば良いのでございまするかあ?」


 蓬子が涙目で訴える。

 あーあ、大切な姉さまを取られた気分になっちまったんだな。まあ、無理もねえか。


「何を申すか。おぬしは元より私の妹で、娘ではないか。この子が生まれたら、おぬしはお姉さんになるのじゃぞ」

「我が、お姉さんになるのですか?」


 蓬子が目を丸くする。


「そうじゃぞ」

「そうですか……。では、我に新しい家族ができるのですね」


 そう言って、顔を伏せる。俯くその眼から、ポタポタと涙が毀れ落ちるのが見えた。


「嬉しい…嬉しい……」

「蓬子、どうして泣いてるの?」


 マリモが、その顔をきょとんとして覗き込む。

 判ったようなことを言うつもりはねえが、この娘も撫子に劣らねえくらい辛い人生を送ってきたんだろう。きっと、沢山の涙を流しながら。

 これからお前が流す涙が全部、嬉し涙になるといいな。

 

「それとな、蓬子」

「はい」


 蓬子が顔を上げる。


「ここにいる狼も、おぬしの家族じゃからな。これからは兄と思うて、存分に慕うがよいぞ。くふふっ」

「はあっ?!」

「どうした、嫌か?」

「嫌でございます! どうして我が、こんな馬糞男を慕わねばならぬのでございまするか!

 そんな物好きは、姉さまとこの河童娘だけで充分でございます!」

「お前らなあ……」


 家族か……、家族ね……。まあいいけどよ。


 兎にも角にも。

 これが、これからの長い人生を確かに家族同然、ある意味では撫子以上の深さで付き合うことになる、蓬子と俺との最初の出会いだった。



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