十四 狂乱



 混乱の極致というなら、村人よりもその時の撫子こそが正にそうだった。

 真っ暗で顔も見えず、声だけはしっかりしていたから誰にも気付かれなかったが、実をいえば当の撫子自身が半狂乱の状態だったのだ。


 撫子は、暗闇の中を走りながら「命が、命が失われてしまう」とうわ言のように繰り返し、自分の体がどういう状態かも全く顧みず夢中で駆けては、途中何度も力尽きて土の上に倒れ込んでいた。

 俺はその度に撫子を抱き起し、繰り返し自分の命を与え続けた。

 出来たのは、それだけだ。

 撫子の無茶を止めることは、俺にはもうできなかった。


 実はこの時まで、俺には撫子のこの行動がどうしても理解できなかった。

 こいつは何故、これほどまでに懸命に村人を救おうとするのだろう。何もそこまで、と言いたくなるほど必死な形相で、死に物狂いになって村の中を駆け回っている。

 単なる善意や義務感だけでは、説明が付かねえ。

 まるで何かに追い立てられているような、何かから逃れようとしているような、そんな風にさえ見える。


 その疑問の答えを得たのは、何度目かに命を与えようとした時だった。

 そして得た答えは、俺の想像をはるかに超えるものだった。



 ――*――*――*――



 撫子に命を注ごうと、その体を抱き上げた時だった。

 突然、俺の頭の中に見たこともない光景が、怒涛のように流れ込んできた。

 初めは何が起こったのか判らず、命を与えすぎたせいで頭がおかしくなってしまったのかと思った。

 だがその景色を見ているうちに、その正体に気づいた。

 これは……撫子の記憶だ。


 俺は絶句した。

 次々と頭の中に流れ込んでくる無数の映像。その全てが、血と涙で塗りつぶされていたのだ!

 なんだ……これは……。

 道を歩けば死体があった。野を行けば争いがあった。

 何処に足を向けても追って来る、戦と病と飢饉。

 逃れ得ぬ悲痛を鎮め救い切れぬ命を救う為に、自らの命を投げ打って死線を彷徨う。

 撫子がこれまで歩んできた人生は、死と絶望にまみれた、地獄のような日々の連続だった。


 何故?

 その答えは、撫子の言っていた「言霊」にあった。


 言霊の力は、他人と魂で語り合うというもの。

 それはこちらの想いを一方的に伝えるだけではなく、相手の感情をも受け取ることになるらしい。

 それも撫子自身の意志によってではなく、周りの人間の声が頭の中に勝手に流れ込んでくる形で。

 だからそうならぬよう、普段は心に壁を作ってそれを防いでいる。

 だが相手の声が大きすぎると、その壁を乗り越えて撫子の心に入り込んできてしまうのだ。


 人の心が最も強く叫ぶ時。それは、悲鳴と絶望の声をあげる時だ。

 もちろん、喜びの声をあげる時もあるだろう。

 だが生きること自体が苦しみでしかないこんな世の中では、それを望んでも得られることはごく稀だ。

 一日中、一年中、休む暇もなく流れ込んでくる苦痛と怨嗟の声。

 撫子は生まれてからずっと、地獄の中で暮らしてきたのだった。


 いっそ、狂ってしまえば幸せだったのかも知れない。

 だが撫子は、それに耐えてしまう心の強さを持っていた。人々を絶望から救うことのできる、強大な魂を持っていた。

 だから、救い上げた。

 そうすることで自分の心を蝕む悲鳴を消し去り、その一瞬だけ、撫子は安らぎを得ることができた。

 そう、ほんの一瞬だけ。


 今も、撫子の心には村中に響き渡る悲鳴と救いを求める声が、絶えることなく流れ込み続けている。

 『痛い』『苦しい』『助けて』と……。

 撫子はその声から逃れるために、走り続けているのだった。


 それを知った時、俺は怒りに打ち震えた。

 こんなものは、力でもなんでもねえ。これは、呪いだ!

 撫子は人々を救っていたんじゃねえ。自分自身に救いを求めて足掻いていただけじゃねえか。

 どうしてこの娘がこんな目に合わなきゃならねえんだ。

 ここまでの罰を受けなければならない程の、どんな罪を犯したっていうんだ!


 更に、俺はある事実を知った。

 撫子がこの村に来たその訳。本人も気づかず『なんとなく』と言っていた、心のざわつき。その正体こそ、龍神の声だったのだ。

 地球王にさいなまれた龍神の苦鳴が、遠く離れた場所にいた撫子の心にまで届き、撫子はその声に引き寄せられてこの地にたどり着いたのだった。


 あいつら、絶対に許さねえ。

 地球王も、そして龍神もだ!

 こんな小さな、ただ懸命に生きているだけの娘の人生を、好き勝手にもてあそびやがって!

 どいつもこいつも、この俺がブチ殺してやる!



 ――*――*――*――



 夜明け近くなって、ようやく村を一回りし終えた俺達も名主の屋敷に到着した。

 撫子は一堂に集められた怪我人達を前にすると、唇を噛みしめ、だが無言で再び手当てを始めた。

 撫子のやり方は、見た目には実に乱暴なものだった。

 傷口を癒すでもなく、苦しむ者を励ますでもなく、ただ頬面を引っ叩いて「しっかりしろ」と叱咤するだけだ。

 だが、周囲の誰もが諦めたような者が、撫子に「死ぬな、目を覚ませ」と声をかけられた途端に息を吹き返すのを目の当たりにして、それを止めようとする者などいようはずもなかった。


 傷の浅い者は後回しにし、傷の深い者や命の危うい者を優先してとりあえず命さえ持てば良いという撫子のやり方は、一見雑なようだが、戦場では当たり前のことだ。

 その手際の良さと見切りの的確さには、村人たちの誰もが目を見張った。

 これは、相当やり慣れている……と。


 その間にも撫子は何度も力尽きては倒れ、その度に俺が抱き起して命を与えた。

 何度倒れても、あいつは手を止めようとはしなかった。

 最後には自分自身が立ち上がることすら出来なくなって、俺に抱えられたまま手だけを差し伸べるという状態になってさえだ。

 俺の体の方もとっくに限界を越えていたが、それを表に出す訳にはいかねえ。歯を食いしばって立ち上がり続けた。

 そうやってあいつは、夜明けまでに何百もの命を救ったのだった。

 それなのに……。



 ――*――*――*――



「うわあああああっ! わああああああっ! ああああああああ……!」


 翌朝。

 撫子は、それでも救いきれなかった者達の亡骸を前に、大声で泣き叫んでいた。



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