七 侵入


 俺と撫子なでしこはいったん寺に戻り、支度を整えてから山へと向かうことにした。

 俺は、先日と同じ手甲脚甲。

 とは言ってもこないだのは全部無くしちまったから、予備のやつを出した。それに刀とひょうと、火鏢をたんまりだ。

 例の仕掛けは、あれが最初で最後の一つだったからな。まあ、あったとしても二度と使わねえが。


 撫子はというと、特に変わった支度をするわけでもなく、薪棒を一本と頭陀袋から何やら札を数枚取り出して懐にしまっただけだ。

 ただ、俺の皮草履は大層気になったらしく、「いいなーいいなー私も欲しーなー」と強請ねだってきたので、もう一個残っていた予備のやつをくれてやったら、大喜びで着けていた。

 まあ別に、ケチケチすることもねえしな。


「どうする、川から行くか?」

「ふん、コソコソしても仕方あるまい。街道から一直線に向かうとしよう」

「そうだな」


 ということで、俺達は街道を走って山の中程まで進み、それから立ち昇る噴煙を目印に山中を走った。

 それにしても、こいつときたら脚の速さまで化け物並だな。この俺でも付いて行くのがやっとだぜ。

 つーか、少しは加減しやがれってんだ。

 なんて、息を切らしながらそんな事を考えていたら、いきなり撫子が振り返った。


「お、どうした。遅れてきたぞ」

「ぐっ」


 まさかこいつ、俺の心を読んでるんじゃねえだろうな。

 そのうえ、息の上がりかけた俺の顔を見るなり馬鹿にしたような目でニヤリと笑いやがって。


「おお、これは気が付かなくて申し訳なかったな。

 いやあ、なにしろおぬしに貰ったこの皮草履が余りにも具合が良いものでな。走るのが楽しくて楽しくて、つい夢中になってしもうた。

 さてそれでは、鈍間なおぬしに合せて少し加減してやろうかの?」


 なんて抜かしやがった。


「うっ、うるせえ! 下らねえこと言ってねえでとっとと行きやがれ!」

「くふふっ。そうかそうか、では先を急ぐとしよう」


 そう言って更に速度を上げようとする。

 あんな安い挑発に簡単に乗せられちまうなんて、ホントどこまで俺は馬鹿なんだよ。自分が嫌んなるぜ。

 くっそお、こうなったら意地でも最後まで喰らい付いてやる!

 とムキになって脚を早めようとした途端に、撫子がいきなり足を止めた。


「おおっと!」


 急に止まるもんだから、こっちは勢い余って突んのめりそうになっちまった。


「む……」


 当の撫子は、何やら息をひそめて周囲の気配を探っているようだ。


「ぜえっ、ぜえっ……。ど、どうした。はあっ、はあっ」

「はあはあうるさい。少し静かにせい」

「こっ!」


 この野郎ぶん殴ってやろうかと言いそうになったが、無駄なことは判っているのでやめておく。

 その代り「ふうーっ」と大きく息を吐いて、呼吸を整えた。


「どうした」

「見られておる」

「なに?」


 盗賊どもか。そういえば最初に来た時も、山に入った途端にあいつにバレていたんだっけな。


「あの地球王の野郎は、何かおかしな術で山の中を見張っているらしいぜ。もう見つかっちまったか」

「そうではない。それはこっちのことであろう」


 撫子はそう言って手を掲げた。


「ん? 何してんだ?」

「見えぬのか、蜘蛛の糸じゃ」

「蜘蛛?」

「そうじゃ。普通とはちょっと違うこんな糸が、そこら中に張り巡らされておる。おそらくその地球王とかいう輩は、蜘蛛を操っておるのだ。

 だがまあ、そんな事はどうでもよい。

 それよりもそこの奴じゃ。おい、隠れてないで姿を現せ」


 なんだろう。もの凄く大変なことをもの凄く簡単に流されてしまったような気がするが。

 いいのかよ、そんなんで?

 などという俺の疑問も、藪の中から現れた者によって中断された。


「ほう、これはこれは」


 撫子の呼びかけに応じるようにのっそりと姿を現したのは、一匹の銀狼だった。

 しかも、そいつは普通の狼と比べて一回りも二回りも大きい、威厳さえ感じられるほどの堂々とした体躯を持っていた。

 なんだこいつ、どう見てもただの狼には見えねえが。


「ふむ。敵意はないようじゃな」


 撫子が手を差し伸べると、その狼は、挨拶をするように鼻を擦りつけてきた。


「おぬし、ろうの手下か?」


 馬鹿やろう、そんな訳あるか。


「悪いが、知り合いにこんな奴はいねえよ」

「ふむ、そうか。

 獣のようにすばしこい奴じゃとは感じておったが、まさか本物の獣であったとは思わなんだな。

 こやつは見た目は狼じゃが、明らかに獣とは違う意思を以て私らの後を追って来ておったぞ。

 正に人のような気配を放っておった」


 やはり、普通じゃねえってことか。

 撫子は見た目は狼なんて言ってるが、その見た目からして只者とは思えねえ。獣というより、物の怪の類と言いてえくらいだ。

 ん、物の怪? てことはひょっとしたら……。


「もしかしてお前、マリモの手の者か?」


 すると狼は、応えるように「グォン」と小さく吠えた。


「そうか、なるほど納得だ。撫子、こいつは間違いなく味方だぜ」

「どういうことじゃ」

「つまりだな……」


 俺はこれまでの事を全部、撫子に話してやった。

 地球王のこと、河童達との出会い、そして河童の里と龍神……。

 村の百姓連中にはとても言えねえような事でも、こいつにならしゃべっちまっても問題ねえだろう。

 その長い話に撫子はフムフムと興味深げに耳を傾け、狼も大人しく側に控えて待っていてくれた。


「……というわけさ」


 さすがのお前でも、こんなとんでもねえ話は見た事も聞いた事もあるまい。どうだ、驚いたか。

 と思ったら……。


「ぶっ……」

「あ?」

「ぶぶっ、ぶはーっははははっ! あははははっ! あははっ! あははっ!」


 腹を抱えて大笑いを始めやがった。


「あははは! あはっ、あはっ。

 か、河童に天狗に龍神じゃと?

 しかも天狗には仲間になれと誘われ、その手下の死人しびとにはあるじを裏切るほど慕われ、挙句に龍神の姫に求婚されたとか!

 ぶははははっ! おぬし、どこまで化け物に好かれておるのじゃ!」

「うるせえ! てめえもその化け物の仲間だろうが!」

「いやあ、これは驚いた。まさかおぬしがこの山の王であったとはな。さすがは私の見込んだ男じゃ。ブフッ」


 最後のブフッ、は何だよ。


「ともかく、このおおかみ殿もただの獣ではないことは一目瞭然。狼王といったところであろうかの。こちらの王様と、ちと紛らわしいが」

「うるせえ、余計なことはどうでもいいんだよ。

 それよりお前、俺達を案内するために迎えに来てくれたのか?」


 するとその狼は、グルル……と頷いた。

 ふむ、人の言葉もちゃんと通じるらしい。


「よし、じゃあいっちょう頼むとするか。行こうぜ、撫子」

「応よ」


 狼王がきびすを返して走り出す。

 俺と撫子がその後を追って駆け出すと、同時に森のあちこちから、ザザザッと何者かが動き出す音が聞こえて来た。

 俺と撫子は顔を見合わせ、ニヤリと笑い合った。

 どうやら、他にも護衛が隠れていたらしい。なんとも頼もしいこった。

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