六 噴煙



「ぶえーっくしょい!」


 翌朝、俺は藪の中で目を覚ました。

 あーあ、なんか近頃の俺って、こんなのばっかしだな。

 いったい俺は、この村へ来てから何回死にかけたんだろうな。もういい加減に嫌んなってきたぜ。

 つってもまあ、ほとんど自業自得なのは判ってるけどさ。

 まあいいや。


「よっこらせっ!」


 と、起き上がる。

 体の方は、何ともねえようだ。マリモの小べ……薬がまだ効いてるのかな。

 でも、いつまでも効くわけじゃねえって言ってたもんな。これからはあまり無茶をしないように、自重するとすっか。

 どうせ無理に決まってるけどよ。


 本堂に戻ってみると、撫子なでしこの姿は見当たらなかった。

 何処かに出かけているのか。


「それにしても随分とまあ、風通しが良くなっちまったな」


 板壁の真ん中に、昨夜俺がぶち抜いた穴が大きく口を開けている。

 うーむ、これを塞ぐのはちょっと手間だな。かと言って、このままにしといたら村の連中に怒られちまうだろうし。

 しゃーねえ、名主みょうしゅのところで板切れと道具を借りるか。

 何て言い訳しようかな。

 それとも、面倒だから正直に言っちまうか。

 あのクソ女にぶっ飛ばされましたって、はは。

 はーあ……。

 溜息を吐きながら、再び庭に出る。

 ん?


「よー、起きたか。朝餉あさげをもらってきたぞ。一緒に食おう」


 ちょうど、撫子が鍋をぶら下げて帰ってきたところだった。


「菜草粥じゃ。雑穀交じりじゃが旨そうじゃぞ。それにホレ、焼き鮎もある」


 昨夜ゆうべのことなんかすっかり忘れちまってるような、爽やかな笑顔。

 どうやら機嫌は直ったらしいな、やれやれ。

 それはそれとして、だ。


「その餓鬼どもはなんだ?」


 撫子は、数人の幼い餓鬼んちょを引き連れていた。


「おお、一緒に食そうと言うので連れて参った。飯は大勢の方が美味かろ?

なっ?」

「うん!」


 撫子と手を繋いでいた娘っ子が、嬉しそうに応える。

 他の子供らも、争うように撫子の周りに纏わり付こうとする。

 撫子は「これ危ない、鍋がこぼれる」などと声を上げながら、一緒になってはしゃぎまくっていた。

 なんだかな。こうした姿を見ていると、昨日の化け物じみた様子が嘘のように思えてくる。

 どにでもいる、普通の娘にしか見えねえや。

 なんともまあ、不思議な女だ……。


 撫子は、庭先の焚火跡の上に鍋を置くと、椀と箸を並べた。

 そこへ餓鬼どもが、大振りの鮎を一匹ずつ置いて行く。

 ほおなるほど、旨そうだ。見ているうちに腹が減ってきたぜ。


「おい、ろう


 撫子が手招きをする。


「ほれほれ何をボケッと突っ立っておる、早うこっちに来て座れ。

 それとも、食う前に一発やりたくなったか?」

「っ……。はあーあ」


 堪らず、大きな溜息を吐く。

 食欲なくなっちまった……。



 ―*―*―*―



 朝飯を終えた後、俺と撫子は連れ立って名主の屋敷へ向かった。

 餓鬼どもも、皆それぞれに家に帰って行った。「またねー!」と元気よく手を振りながら。


「よおー、ろうあにさん。巫女様も、お早うさんだなあ」


 屋敷に着くと、庭先に数人の年寄が集まっていた。


「よお、佐助爺さん。早いね」

「お早う、皆の衆」


 俺達も軽く手を上げて挨拶する。


「ゆんべは良く眠れたけえ?」

「眠る暇なんかなかったんじゃねえのかい?」

「いやあ、羨ましいこって。うひひ」

「巫女様もお楽しみだったべ」


 この品のない雑言ぞうごんは、さっきの餓鬼どもとは大違いだ。

 ったく、助平爺どもが。

 この女をそんな風にからかったりして、蹴り殺されても知らねえぞ。


「あはは、爺様達も朝から元気だのう。皆もその歳で、まだ母ちゃんを喜ばせておるのであろう。達者で何よりじゃな」

「はっはっは! 巫女様にはかなわねえだな」

かかあにゃわりいが、おらぁもうとっくに一丁上がりだでよ」

「だども、巫女様がお相手ならおらがせがれも張り切るかもしんねえど」

「む、それはいかんぞ。倅どのにはせいぜい母ちゃん孝行をするよう、とくと言って聞かせねば」

「わっははは!」


 怒るどころか、大盛り上がりだよ。


「そんで巫女様よ、この兄さんはどうだったね?」

「黙れ爺」


 俺は余計な寝言をこくクソ爺を、ジロリと睨み付けた。


「なんじゃ兄さん、上手くいかんかったんかい?」

「ううむ、それがじゃな爺様方よ。このヘタレ男ときたら、この私に指一本触れようともせんかったのじゃよ。この私に、じゃぞ」

「「「はあ?」」」


 爺達が呆れたように俺の顔を見る。


「狼さん、なんでまた」

「うるせえ、ほっとけ!」


 若い女に向かってそんなことをズケズケと聞く爺も爺だが、それに真面(まとも)に受け答えするこの女もこの女だ。

 まったく、朝っぱらからなんて話をしてやがんだ。


「なんじゃい、怖気づいたんけ?」

「なんなら、おらが代わってやんど?」

「なっさけねえ。その棒っきれは何の為にぶら下げてんだ」

「そうじゃそうじゃ、この玉無し小僧め」


 最後のやつは撫子だ。なんでおめえまで、一緒になって騒いでんだよ。


「うるせえ、この色狂い女! ゆうべ言っただろうが! 俺はち……」


 そこで思わず口をつぐんだ。

 俺が『ち』という言葉を発した瞬間に、撫子の両眼が昨夜と変わらぬ凄まじい殺気を放つのを感じたのだ。


「ちょっと……、調子が悪かっただけだ」


 ふう、危ねえ危ねえ。


「んで、今朝はどうしただね」

「ああ、それがな……」


 この馬鹿女のせいで寺が、と言おうとしたその時だった。


「お……」


 地鳴りと共に、足の下に不快な振動が伝わるのを感じた。


「地震か」

「大したことは無さそうじゃな」


 だがその数瞬の後、俺と撫子は眉をひそめて顔を見合わせた。

 揺れ自体はさほど大きくはなかったものの、振動がいつまで経っても一向に止む気配を見せなかったのだ。

 そして、遠い雷鳴のような地鳴りも、ずっと響き続けていた。


「まただか」

「段々でかくなるだな」

「また嵐になるだべえか」


 爺さん達が、ヒソヒソと訳の分からねえことを言い始めた。


「おい爺さん、いったい何の話だ。この揺れはただの地震じゃねえってのか?」

「狼さん、巫女様、あれを見るだよ」


 佐助爺さんが、俺達の後ろを指さす。

 振り返ると、山の奥の方で一筋の煙が立ち昇っているのが目に入った。


「なんだありゃ。山火事……、いや噴火かっ!」

「いや、狼よ。何かおかしい。あれは火事でも噴火でもないぞ」


 撫子の言う通り、その噴煙は普通の煙のように空高く昇って行くわけでもなく、熱気を帯びた黒煙のような力も感じられない。

 ただ、茶色く濁った土煙が上がっているだけのように見えた。

 とは言うものの、ただの土埃があれほどの高さまで吹き上がるというのも、解せないことだ。


「ふむ。まるで地中から土砂が噴き出しているように見受けられるな」

「あっ、まさかあいつらの仕業か!」


 土砂が、という言葉で思い当たった。

 そう言えば、河童達が言っていた。あいつらは山のあちこちで穴を掘っていると。


「狼さん、何か知ってんのけ?」

「いや、はっきりと判っている訳じゃねえ。むしろこっちの方が聞きてえぜ。ありゃあいったい何なんだい?」


 佐助爺さんが溜息をついた。


「やっぱりありゃあ、盗賊どもの仕業だったんかね。そうじゃねえかと思っちゃいたが。

 ありゃあな、狼さん。連中が山に居付いて暫く経った頃から、度々現れるようになったんだあよ。

 そんで、一旦あれが始まると半日くれえは続くだ。

 見ての通り正体のよく判んねえ土煙だが、もっとよく判んねえのがだな」


 爺さんは、そこで言葉を切った。


「どうしたい?」

「あれの後に、必ずと言っていいほどおかしな事が起こるだよ。

 こんな地揺れどころじゃねえ本物の大地震とか、大嵐とか、山崩れとか鉄砲水とか。

 もしあの土煙が盗賊の仕業だとしても、いくらなんでも嵐までは起こせめえ」


 ああそうか、困ったな。

 そっちをやってるのは、実は龍神様のはずなんだが。そこまでしゃべっちまったら、こいつら本気でブッたまげて腰抜かしそうだし。


「よし、では見に行くか」


 撫子が、パンッと手を叩いた。


「見に行くっておめえ」

「何じゃおぬし、盗賊どもがあそこでどんな悪さをしておるのか、興味ないのか?」

「いや、そりゃ興味はあるけど」

「では決まりじゃ。行くぞ!」


 そう言っていきなり駆け出す撫子を、慌てて止めた。


「ちょっと待て! その前にやることがあんだろが!」

「おっとっと。ああそうであった、あはは、済まぬ済まぬ」


 あっという間に十間も先まで行ってから、笑いながらトコトコと戻ってくる。


「ったく。ああ、爺さん達、すまねえ」

「どうしただね」

「実はな、昨夜ゆうべ寺の壁に大穴開けちまってよ。

 申し訳ねえが、後で直しといてくれねえかな」

「なんだねそりゃ。それっくれえお安い御用だが、何でまたそんなことに」


 俺と撫子は、顔を見合わせた後、互いを指さして大声で言い合った。


「「この馬鹿[女・男]のせい[だ・じゃ]!」」


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